【小学校の教室の話題が“とんねるず”と“プロ野球”だった90年代前半】

 フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』が終わった。

 恐らく、昨夜久々にリアルタイムでしっかり番組を観た人も多いのではないだろうか。自分もそのひとりだ。いつだったか友人と飲んだ時に「ダウンタウンの番組はいまだに録画するけど、とんねるずはテレビ付けてやってたら観る感じ」と語っていたが、言い得て妙だと思う。ダウンタウン(というか松本人志)の出現によって“お笑い”は変わった。それは確かだ。最近は権力と筋肉が巨大化しすぎて色々とディスられることも多いが松本は間違いなく天才だったと思う。だが、同時に天才はお笑いのハードルを上げてしまった。あくまで個人的な感想だが、とんねるずの笑いに哲学や思想はなかった。あったのは勢いと才能だ。だから、下ネタ大好きの子どもでも気楽に楽しめたのである。

 90年代初頭、埼玉県の小学校では朝の教室の話題が「昨日、とんねるず見た?」と「今週のジャンプ」と「ドラクエの進捗報告」と「巨人戦の結果」だったことがある。埼玉だから西武ライオンズじゃないの? って、当時の西武は10シーズンで9度の優勝という超黄金期真っ只中で勝つのが当たり前すぎてほとんど話題にすら挙がらなかった。まさに強すぎて盛り上がらない凄まじい状況だったわけだ。とは言っても、ファミコンの野球ゲーム『ファミスタ』で強すぎる西武の取り合いが勃発してケンカとなり、どういうわけか最終的にチャリンコの校庭三周レースで決着をつけるハメになったというなんだかよく分からない逸話も残っている(著者実話)。

【1989年デストラーデ来日で西武最強クリーンナップが完成】

 西武は85年から4連覇を達成、89年は近鉄がラルフ・ブライアントの爆発で前年の“10.19”の雪辱を晴らす悲願の優勝。だが、その裏で西武はシーズン途中にカリブの怪人を獲得して「3番秋山幸二(27歳)、4番清原和博(22歳)、5番オレステス・デストラーデ(27歳)」と黄金時代の柱AKD砲を完成させる。

 ちなみにデストラーデは阪神タイガースの助っ人として契約寸前だった。88年オフ、子どもの病気治療のため途中退団したランディ・バースの代役として、阪神が目をつけたのがMLBのパイレーツに在籍していた若きスイッチヒッター(同年に近鉄からも獲得オファーがあったという)。88年10月21日付のサンケイスポーツでは、「阪神デストラーデ調査、村山監督渡米」という見出しがデカデカと1面を飾っている。だが、この話は結局流れて、89年開幕直後にバークレオの不振に頭を悩ませた西武が緊急獲得したのがデストラーデだった。

 この年、デストラーデは3Aのバッファローで33試合、打率.230、1本塁打というパッとしない成績。もちろん獲得時に騒ぎ立てるマスコミはなく、6月初旬にひっそり来日後もしばらく2軍生活が続いた。それでも1軍デビュー戦の6月20日にいきなり本塁打を放つと、83試合で32ホーマー、81打点の活躍。思わず「アメリカで見た時には、こんなに本塁打を打つ打者には思えなかったのに……」と、西武の球団関係者が絶句したというエピソードが残っている。

【打てて走れる「秋山、清原、デストラーデ」の衝撃】

 当時、日本はバブル経済の真っ只中。バブリーなフジテレビの看板番組として勢いに乗る『とんねるずのみなさんのおかげです』が、『志村けんのだいじょうぶだぁ』や『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を視聴率で上回る新時代の到来。まさに若者のカリスマ的人気を得たとんねるずが、名実ともにバラエティ界の頂点へと駆け上がった1990年から西武ライオンズは3年連続日本一を含むリーグ5連覇を達成する。名将・森祇晶監督のもと、“新人類”と称された工藤公康や渡辺久信ら強力投手陣を揃え、石毛宏典や辻発彦や伊東勤といった実力派が脇を固め、そのど真ん中に全員20代の若きAKD砲が君臨するメンバーはまさにプロ野球史上最強チームと称された。

 なお90年のAKD砲は全員30本塁打以上、二桁盗塁をクリア。まさに打てて走れる最強クリーンアップとして君臨した。ここで西武がぶっちぎりの強さで3年連続日本一を勝ち取った90~92年シーズンの3人の成績を振り返ってみよう。

90年 130試81勝45敗4分 勝率.643
(2位オリックスに12ゲーム差)

選手打率本塁打打点盗塁タイトル
秋山.256359151盗塁王
清原.307379411
デストラーデ.2634210610本塁打王、打点王

91年 130試81勝43敗6分 勝率.653
(2位近鉄に4.5ゲーム差)

選手打率本塁打打点盗塁タイトル
秋山.297358821
清原.2702379
デストラーデ.268399215本塁打王、打点王

92年 130試80勝47敗3分 勝率.630
(2位近鉄に4.5ゲーム差)

選手打率本塁打打点盗塁タイトル
秋山.296318913
清原.2893696
デストラーデ.266418712本塁打王

 90年は秋山28歳、清原23歳、デストラーデ28歳と年齢的にも全盛期バリバリ。盗塁王に輝いた秋山の「30本・50盗塁」はNPBでいまだに秋山のみの偉業だ。“カリブの怪人”デストラーデは42本、106打点で二冠獲得、NPB初のスイッチヒッターでの本塁打王が誕生。まだ高卒5年目の清原も3割・30本に加えて二桁盗塁もクリア。リーグ最多の105四球で、2人を上回るキャリアハイのOPS.1.068を記録する。3人で「計114本、291点、72盗塁」と桁違いの爆発力。日本シリーズでもセ・リーグ独走優勝の巨人を4連勝で一蹴して最強西武の名を日本中に知らしめた。

【とんねるずとAKD砲がいた時代】

 91年、92年もAKD砲の破壊力は健在でチームの日本シリーズ3連覇に貢献。この神がかった強さはしばらく続くかと思われたが、92年オフにデストラーデが地元フロリダにできた新興球団のマーリンズでメジャー復帰。翌93年秋には秋山幸二が電撃トレードでダイエーホークスへ移籍。さらに94年限りで森監督も退任し、西武黄金時代は終わりを告げる。

 毎年80勝以上を記録し、“ブルーサンダー打線”のオリックスを寄せつけず、野茂英雄を擁した近鉄をも圧倒してみせた常勝・西武ライオンズ。ちなみに94年オフ、西武の堤オーナーは夢よ再びと「ダイエーからFAで秋山、メジャーからデストラーデを呼び戻して、再び清原とクリーンナップを組ませろ」とAKD砲再結成を現場に厳命するも、秋山はダイエー残留。95年に西武復帰したデストラーデも初来日時の姿とは程遠く同年6月に帰国した。最終的に清原も96年オフのFAで死にたいくらいに憧れた巨人へ去り完全解体。わずか数年間、3人のスラッガーの全盛期が同チームで重なった奇跡。野球ファンはあのAKD砲を忘れることはないだろう。

 そして、2018年。埼玉西武ライオンズが所沢市に本拠地を構えて40周年のアニバーサリーイヤーを記念して、歴代のレジェンドOBたちをホームゲームに招くイベントの実施を発表した。デストラーデが所沢に帰還し、秋山幸二が25年ぶりのライオンズのユニフォームに袖を通すわけだ。
 
 気が付けば、とんねるずの石橋貴明と木梨憲武が現在56歳、秋山幸二とデストラーデが55歳。そう言えば、『みなおか』の名物コーナー“男気じゃんけん”によく出演していたのが清原和博だった。

 あの頃、同時代を生きた男たち。30年近く前、バブル経済で盛り上がるニッポンのど真ん中を独走したのが、とんねるずとAKD砲だったのである。


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