MLBは「現状維持」で沈静化

9月の話ですが、オーナー会議でこの議題が取り上げられ、広島が反対した――そんな報道がありました。
そこでは、DH制が拡がり続ける「セパ格差」の象徴のように扱われていました。

それに対して、野球ファン、とくにセ・リーグ各球団ファンの反応は、賛成、反対に割れているようでした。「いまさら?」と思われるかもしれませんが、一応整理します。

DH制反対の理由は、「全員が打って全員が守る『9人野球』が本来の野球の姿」、「投手に代打を出すかどうか、そこにかけひきの面白さがある」「投手の打席の意外性が楽しい・打撃のいい投手の打席が面白い」、「DHによってビッグネームのレギュラーが増えて年俸が高騰する」、「パのDH制は40年以上の歴史。昨今のセパ格差は関係ない」など。

一方、DH制賛成の理由は、「『自動アウト』のような投手の打席がなくなり、興業として魅力アップ」、「強力な打線を相手に投げる→投手の実力アップ」、「試合展開による投手交代が減る→投手の実力アップ」、「投手の実力アップ→打者もレベルアップ」などが挙げられます。

アメリカでも、交流戦の戦績がアメリカン・リーグ(DH制あり)が圧倒していて、ナショナル・リーグでもDH制を導入しようという論争が起きました。
こちらのほうはコミッショナーのロブ・マンフレッド氏が、「異なるリーグを勝ち抜いた両者が、ワールドシリーズで同じ条件下で戦うのは、とても興味深い」と、現状維持の立場を表明。しばらくはそのままということで沈静化したようです。

「セパ格差はDH制のせい」は本当か?

日本でも反対球団があったということで、とりあえず今回は見送られたようです。しかし、交流戦でも日本シリーズでも戦績で水を空けられてしまう状況で、セ・リーグの危機感は相当強いものがあります。
ネット界隈では、すっかり「セ・リーグ……セカンド・リーグの略」という揶揄が定着してしまっています。

さて、DH制を導入すれば、本当にセパの実力差は解消するのでしょうか。
先に触れたMLBでは、交流戦こそア・リーグ優位が絶対的ですが、ワールド・シリーズではア・リーグ、ナ・リーグほぼ互角。それが「現状維持」で決着した理由のひとつでもありました。
日本でも今年は3位DeNAがパの王者ソフトバンクをそこそこ追い詰めましたし、DH制ばかりを問題視するのはどうなのか……という意見もあるようです。

ただ、私は少なくとも交流戦での格差は、「DH制のあるリーグかどうか」がもっとも大きな要素だと思います。

それはなぜか。ポストシーズンは、交流戦を含むペナントレースの戦い方とはまったく別モノです。独特の緊張感の中、アドレナリンを出しまくって戦うのがポストシーズン。DeNAのラミレス監督がまさにそうでしたが、1戦必勝とばかりに持っているコマをフル動員して戦います。短期決戦は、どちらかというと戦力の違いが結果に反映されにくいと言えるでしょう。

DH制は「投手の成長」をもたらす

でも、交流戦はあくまでも長丁場のシーズン中に行われるもの。無理な戦い方はできません。
パでは、DHという強打者のポジションが1つ多いので、そういうチーム編成をします。でも、セでは、わずか9試合のパ主催交流戦のためにDH要員は置きません。そのときは、代打要員を1人DHに上げるとか、やや守備に不安のある一塁手やレフトの選手をDHに回し、俊足&好守型の選手をプラス1したりします。

結果、パのDHは「一番打てるバリバリレギュラー」、対するセのほうはふだん出ていない「補欠の1番手」がプラス1。それだけを考えても「実力差」です。そもそも編成のやり方が異なっているのですから、そりゃそうなるわなとしか言いようがありません。

攻撃力よりもっと差がつくのが、投手の差、とくにエースの差です。
先発、若きエース・藤浪は、序盤の不運な失点で1点ビハインド。しかし気迫の投球で7回を投げきり、打順が回る――でも、こんな局面では代打を出さざるを得ません。
もしDH制があれば、続投で援護を待つでしょう。こうやって力のある投手が接戦でどんどん経験を積んで、成長の機会を得ます。

DH制によって若い打者にチャンスが回るとは思いませんが、少なくとも「エースを育てるシステム」なのは間違いないでしょう。
ちょっと最近の藤浪がアレなんで、例としてはアレなんですが……。

DH制は不可逆的なシステムだ

もうおわかりでしょうが、私自身は「セもとっととDH制にしたらええやん派」です。
でも、反対派を否定することはしません。気持ちはわかりますからね。誰だって慣れ親しんだものが変わるのはイヤです。

ただ、「セ・リーガー」の中には勘違いしている人がときどきいるので、ちょっと指摘しておきたいと思います。
「2つの野球があるから面白い」という主張はいいんです。でも、その後で「だから、セパ交互にDH制を導入することにしよう」とか、「逆にセをDH制、パをDHなしによう」とか、はたまた「パもDHなしにすべき」とか言ってしまう方がいらっしゃるんです。でも、それはまったくあり得ない話、いや、言っちゃいけないことなのです。

おそらく、いやまず間違いなく、DH制というのは不可逆的なシステムです。一度その野球が当たり前になったら、もう二度とDHなしの野球には戻れない。レベルの高い野球になればなるほど。

これは、私がふだん交友しているパ・リーガーをサンプルに語っています。ほぼ100%、「パはパで楽しい野球をやっているんだから、放っといてくれ!セが何を選択しようと文句は言わないから」と言います。

思うに、「DHなしのいいところ」には、現在では「本質」から外れてしまっていることが多いのです。
「投手に代打を出すかどうか、そこにかけひきの面白さがある」とは言いますが、先ほどの藤浪への代打の例のように、かけひきというよりも「やむを得ず代打」というのが本当のところ。もっと興ざめなのは、8番を敬遠して投手で勝負、三振でチェンジっていうアレ。これを「作戦」「かけひき」と言われても、ありがたくは思いません。

「打てなすぎる投手」を打てるようにするのは不合理

何が悪いのかっていうと、投手が打てなすぎるのです。昔はもっと打てる投手がいましたが、今は数えるほどでしょう。それはもうしょうがないこと。
球種といえば速球とカーブとあと一つくらい、速球も130キロ台が中心だった昔の野球と、今の野球とではレベルが違いすぎるのです。高校時代は「エースで4番」でも、とてもセンスだけでなんとかなるレベルじゃない。

だったら打てるように練習しろ!と言いたいところですが、これは合理的ではありません。甲子園常連校の高校生をごらんなさい。限られた時間で、全国レベルになるためには、やらなきゃいけないことがビッシリです。プロだってやらなきゃいけないことがたくさん。セに入ったからって、そんなに打撃に力を入れるわけにはいきません。打撃力を上げるくらいなら、勝てる投球ができるように努力したほうが、よっぽど昇給と出世の近道です。

かくして、たいして練習もしていない、レベルが違いすぎて勝負にもならない投手の打席が生まれます。
それをもって、「意外性」とか「打撃のいい投手」と言ったところで、確率が低すぎて大半がつまらない打席でしかありません。

「全員が打って全員が守るのが本来の野球の姿である」というのはある意味では真理ですが、それはもう現代ではタテマエでしかなく、「投手は専門職」が現実です。
もう高校生ですらそうです。それでも高校野球のピッチャーがセンスと身体能力だけでそこそこ打ててしまうのは、高校野球がその程度のレベルだってだけのことです。

今の野球が「本来の野球の姿」とは言えない

もちろん、ごくまれにムーア(古い)のように打席が楽しみな投手がいるのも事実。そういう貴重な存在が現れたら、それはそれでプロの見せ物として面白いので、DHを外せばいいのです。それだけのこと。
まあ、秋山くらいではDHにしたほうがトクでしょうから、秋山の打席が見られなくなるのはさびしいです。でも、よーく考えたら、そこまでの価値はありません。それよりも、試合終盤代打を送られることなく、あと1回、もう1回と余分に投げて、投手として成長することのほうが秋山にとっては大事。そちらこそ「本質」なのです。

それと、今のDHなしの野球が「本来の野球の姿」か?という話になると、ちょっと違うと言いたくなります。
野球という競技の原形ができたとき、それは「打って楽しむ遊び」でした。ピッチャーは下投げでふんわりと打者の打ちやすい球を投げないといけないというのがルールだったのです。

そこから、ピュッと速い球を投げる「卑怯者」が現れて、じゃあそれもありにしよう、よし、変化球を開発してもっと打てなくしてやれという人も出てきて……そんな風に「観て面白い野球」へと変化を重ねて、今の野球になっていきました。

投手は、時代とともに「打たれ役」から「打たせない係」へと変化し、さらに「投げる専門職」へと変化しました。それを制度として支えているのがDH制なのです。
だから「観る野球」は、とっくの昔から「本来の野球の姿」からどんどん変化し、進化をとげていると言えるのです。

ところで、「打って楽しい遊び」のほうも今なお残っています。おそらく40代以上の男性は子どもの頃にそんな遊びをやって育ってきたのではないでしょうか。
軟式野球のないアメリカでは、スローピッチ・ソフトボールというのが「やる野球」の代表です。それはまさに「本来の野球の姿」、下投げのゆるいボールを思いっきりかっ飛ばすというものです。

変わることを恐れる必要はない。なぜならば……

さて、それでも「変わらないでほしい」という心情はよくわかるのです。
私は思います。DH制なしの9人野球、それは「昔は遠足の前日に、300円握りしめて近所の商店街のお菓子やさんに行ったよなあ。暗算して迷いながら、最後はおばちゃんがオマケしてくれたりしてな」――みたいなものであると。
一度失ったら、もう二度と取り戻せない、美しくて尊いもの、それが「9人野球」。

でもよーく考えてみると、そのお菓子屋さんの品揃えが豊富だったわけでもないし、オマケったって5円や10円の話。「そんなことでも満足していた」という話だったりするのです。
今はスーパーに行けば、たくさんの商品を選び放題。どーんと値引きもされています。昔もよかったけれど、今は今でいいところもあります。

それに、原点は決してなくなりません。日本には観て楽しい高校野球があります。「エースで4番」が大活躍する「9人野球」は、当分はなくならないはず。
たとえNPBがすべてDH制になっても、そこには懐古できる古きよき野球があり続けることでしょう。

だから、変わることを恐れる必要はない――私はそう思います。

鳴尾浜トラオ

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