記憶に残る助っ人外国人4つのカテゴリ

野球ファンの記憶に残る助っ人外国人は主に4つのカテゴリに分けることができる。まず「プレイで記憶に残る選手」。まさに助っ人と言うべき華麗で豪快なプレイは間違いなく野球ファンの心に永遠と残り続ける。2つ目は「見た目で記憶に残る選手」。異様にでかい、太っている、ヒゲの量が尋常でない、などの思い出もそうそう消えるものではない。(わたしが20年後還暦を迎えるころでもミコライオの大きさは鮮明に覚えていることだろう)3つ目は「エピソードで記憶に残る選手」。ホームランを打ち、とんでもないテンションでハイタッチをして同僚の肩を脱臼させてしまった方、お告げで帰られた方などはこれに当たる。

そして最後が「名前で記憶に残る選手」。ポンセ、トラックスラー、バナザード、ラジオ、タラスコ、オバンドー、マホームズ、スクルメタ・・・。数え上げればきりがないが、なぜか我々の記憶に「名前」が残る助っ人外国人は多くいる。もちろん結果を出した方もいるが、そんなに活躍していなくてもその「名前」がいつまでもあたまをぐるぐると回り続けてしまう選手はとても多い。(私もお風呂に入っているときなど、ふとしたときになぜかガトームソンの名前が浮かんで来てしまう。)

名前のインパクトも抜群ヒラム・ボカチカ

今日紹介するのは「名前が頭に残る助っ人」部門の上位といってもいい、元西武ライオンズのヒラム・ボカチカ。当時「ボカチカ」という、どこか恐ろしさを感じる名前は我々に相当なインパクトを与えた。さらに「恐怖の9番バッター」という謎の打順キャラクターも相まって西武ライオンズファンのみならず、多くの野球ファンの思い出に残る選手となった。
来日当初はやはりその名前から「ボカチカ打って欲しい」という球団社長の危ういコメントが飛び出してしまったりもしたが、最終的にデーブ大久保氏との乱闘で「ボカチカ」殴り合う寸前までいったのはいい思い出だ。
2008年から2009年までの2年間という短い期間だったが名前通りのパンチ力あるバッティングと、日本シリーズで放った内海選手からのホームランは忘れられない。

そんなボカチカ選手の情報はTwitterにて知ることができる。

ボカチカのTwitter

サングラスをかけたイカつすぎる人物。この人こそヒラム・ボカチカ氏本人だ。現在Twitterは1年ほど更新されていはいないが、ほぼ野球に関するつぶやきが多い。(私の持論で外国の野球選手は宇宙の情報をリツイートをしがち、というあるあるがあるのだがそれは見当たらない)
フォローしている人たちも野球選手の友人からオバマ、トランプまで幅広い。メキシコの超美人お天気お姉さんをフォローしているのが目を惹くくらいだ。
注目すべきは去年の5月30日のつぶやきだ。

なんと娘さんが高校を卒業されている。そしてなんとボカチカ顔なのだろう。娘さんはお父さん似なのが一瞬で伝わる。現在41歳のボカチカ氏。23歳くらいでもう娘さんがいたことになる。ドラフト1位で指名され、娘さんを授かったころにはドジャースへの移籍と共に結果も出し、ボカチカ氏はついにメジャーへの切符をつかんでいた。日本にきて田中賢介選手へ殺人スライディングをしていた瞬間も、このお嬢さまがすくすくと育っていたことを考えると感慨深いものだ。

ボカチカの見せてくれた熱いベースボールスピリットは、当時の西武を確かに勢い付けていた。現在は野球選手としては活動しておられないが、また別の分野でボカチカスピリットを見せておられることを祈っている。我々野球ファンの記憶に「ボカチカ」という名前は永遠に残り続けることだろう。


ザ・ギース尾関高文