前例の無いコネクション入団

アレックス・ラミレスJr.が日本にやってきたのは2004年。父親の「ラミちゃん」ことラミレスのつてで、練習生としてヤクルトの練習に参加をしたのだ。とは言えラミレスと事実上の血縁関係は皆無。再婚した奥様の連れ子であった。その後ヤクルトが契約を結ぶ際ラミレスが「息子が入団できなければ他所と契約しようかなあ・・・。」という空気を醸し出し、なんとこのラミレスJr.もヤクルトの支配下登録選手となるのである。これだけでも驚きなのだが、なんとこのラミレスJr.野球未経験者。球速も120キロ台。「2塁も守れる」という本当かどうか分からない謎の触れ込みも含め、当時野球ファンに激震が走ったのを覚えている。「ラミレスと3年契約ができるから仕方ない」という球団側の気持ちもギリわからないでも無いが、とんだ抱き合わせ販売である。かつて「ドラクエ3」が欲しいあまりに、抱き合わせされた「たけしの挑戦状」を涙をのんで購入した苦い思い出が蘇る。「たけしの挑戦状」は意外にも私には面白かったが、この抱き合わせ販売されたラミレスJr.の成績は惨憺たるものだった。

ラミレスJr.の成績

当初「右投げ」ということだったのだが左でも投げれることが分かり、ピッチャーをする際はサウスポーとして登板する事となったラミレスJr.。「左でも投げれるからサウスポーにするか!」というノリが、当時の異常な雰囲気を我々に伝えてくれる。さらに一年目は春キャンプで足を痛め(筋肉痛)ダウン。2軍で1回投げるも三四死球1失点という成績。2年目は防御率54・0。結局3年間で0勝0敗防御率10・80となる。とんでもない数字ではあるが、「左で投げてみよう!」というスタートから考えると頑張った方なのかもしれない。球速も130キロ台まで伸びてもいたので、幼い頃からしっかり訓練をしていればいいピッチャーになっていた可能性もある。「抱き合わせ入団」という形でラミレスJr.と出会ってしまったことが悔やまれて仕方ない。

ラミレスJr.の記憶に残るエピソード

ラミレスJr.の驚きのエピソードにも何度も驚かされただろう。特にラミレスJr.が「超偏食」というニュースは衝撃を受けた。エビ、カニの甲殻類がまったくダメ。毎日チキンとステーキだけの食事。 さらには焼肉店の叙々苑が大好きでラミレスパパに「ジョジョエン、ジョジョエン」と高級焼肉をねだる・・・。
漫画に出てくるような二世である。そんなラミレスJr.はその後高知ファイティングドッグスへと移籍。シーズン途中で帰国となるのであるが現在は何をしているのだろうか。そんなラミレスJr.の現在をInstagramで発見することができた。

ラミレスJr.のInstagram

実は帰国後、休学していた大学で経営者になるための勉強をしていたラミレスJr.。現在は自己紹介にも書いてある通りこの「起業家・社長」としてSOTOSPORTSを運営しているのだ。素晴らしい。かつて日本でコネ入団と言われた悔しさをバネに、経営の勉強をして見事自分の夢を叶えたのだ。そしてこちらも見て頂きたい。熱いメッセージも我々に伝えてくれている。

ラミレスJr.が起業家としていかに熱い想いで仕事と向き合っているのか、そして我々も熱い魂を持っていれば夢は叶うと言うことを教えてくれる。ラミレスJr.の今後の起業家としての成功を陰ながら祈っている。いつかラミレスを超える伝説をその道で残すことができますように。

補足 こちらの「SOTOSPORTS」にアクセスしたところ、ページ自体が消えていた。会社自体が無くなってしまったのか、違う新たな会社へと変貌を遂げたのかは皆様のご想像におまかせする。


ザ・ギース尾関高文