日ハムのエースとして活躍したグロス

 グロスと聞いてまず思い浮かぶのはあのウエービーな長髪だろう。当時は珍しかったあの髪型に、助っ人外国人の中でも1、2を争うほどのルックス。そしてエースとしても活躍した実力。さらには誠実な人柄。パーフェクトな助っ人外国人といっても過言ではないグロスが来日したのは1994年だった。シーズン中急遽テコ入れのために日ハムへと入団したグロス。190センチ近いその身長から投げるボールはそれほど早くはないものの、現在のメジャーのトレンドである「ムービングボール」を中心とした打たせてとるピッチングであった。さらには中4日での登板を志願するなど、肩もスタミナも十分。一年目は6勝止まりだったものの2年目には16勝、3年目には17勝をあげ、パリーグ史上初の「最多勝助っ人外国人」にも輝く。日ハムのトム・クルーズとしての人気も日増しに高まり、名実ともに日ハムのエースとなっていくのだった。

グロス伝説

 とにかくボールが遅かったグロス。三振を取ることも多くはなかった。グロスの珍しい記録といえば「奪三振0完封」だろう。1995年7月4日の西武戦で三振を1つも奪うことなく完封。2011年にソフトバンクの岩崎翔投手が達成するまで16年間誰一人としてなし得なかった記録だ。

 さらに今年菅野投手が今年成し遂げた3試合連続完封。これもかつてグロスが達成した記録である。しかしそんな素晴らしい成績だけではない。クールな風貌とは似つかわしくない熱いハートの持ち主でもあった。仙台で試合が組まれていた日の前日。繁華街でいざこざに巻き込まれてしまったグロスは肋骨を骨折。そんな大怪我をひた隠しにして次の日なんと先発登板をしたのだ。怪我を隠してでもローテーションを守るその精神力はあの鉄人衣笠氏のようである。かと思えば「闘魂」のハチマキをつけたりとお茶目な一面もあったグロス。当時はヤクルトに似た名前のノーヒットノーランピッチャー「ブロス」もいたので記憶が混ざってしまう方もいるかもしれないが、キップ・グロスは日本ハムファイターズを代表する素晴らしい助っ人外国人であったのだ。

現在のグロス

 そんなグロスはその後メジャーへ復帰。レッドソックス、アストロズと渡り歩き引退となった。現在53歳となっているグロス。あのハリウッド俳優のようなルックスは今どのようになっているのだろう。大概の助っ人は筋肉質の身体が膨張を続け、当時の2倍近い膨らみになってしまっている例をたくさん見てきている。グロスはそんな事がないと信じたい。あのまま渋く年をとっていてほしい。そんな身勝手な願いと共に様々なSNSを調べたところ、facebookにあのグロスが登録をしているのを発見した!

 現在はカリフォルニア、レッドランズにお住いのグロス。(どうでもいい情報だがレッドランズは東京都日野市と姉妹都市である)レッドランズの野球クラブのコーチをしているようである。お友達にはあのヤンキースソリアーノも。こういう友達はどのように繋がるのか過程が気になるところでもある。

 さて、グロスの投稿を遡って見てみると10年ほど前のグロスを見つけた。驚くなかれ、こちらがグロスだ。

 最初トム・クルーズがなんでグロスのfacebookに写っているんだ?どこかで会ったのだろうか?と本気で思ってしまった。それほどにトム・クルーズに激似の写真だ。改めてそのハリウッド感に感動してしまった。

 フットボールなども好きなようで、フットボール系の投稿もたくさんしているグロス。と、その時こんなギョッとする投稿もみつけた。

 クリスマスに豚を一匹さばいたよ!という少し恐ろしい投稿も。さすがアメリカである。

 では現在のグロスはどうなっているのだろうか?こちらがその写真だ。

 素晴らしい!想像以上に、とても渋いおじさまになっているグロスがそこにはいた。そう、まるでケビンベーコンのような味のある年のとりかたである。グロスは今でも我々の思い出にあるスマートなグロスなのであった。

 あと数年後この写真のグロスにとてもよく似ている息子さん(恐らく)がハリウッドデビューする日を楽しみに待ちたいものである。


ザ・ギース尾関高文