優良助っ人外国人ウインタース
マット・ウインタースが日本に来たのは1990年。日本ハムファイターズが東京ドームを本拠地としていた時代である。西崎幸広がエースとして活躍し、若き田中幸雄も台頭しつつあったこの時代。Bクラスが常連と言っても過言ではない苦難の時であった。
そんな状況を打破するべくカンザスシティ・ロイヤルズからやってきたウインタース。オープン戦で近藤貞雄監督から2軍行きを命じられる寸前に結果を出し開幕一軍へ。あれよあれよと言う間に打ちまくり一年目から35本のホームランを放つ。翌年からも打率こそ3割を超えることはなかったが、4年連続30本以上の本塁打を記録するのだった。この素晴らしい成績もさることながら、ウインタースはプレイ以外の場所でもチームに貢献する。そう、ウインタースはユーモアでもチームを盛り立てたのだ。
元祖助っ人エンターテイナーウインタース
「野球はエンターテイメント。だから自分は常にお客さんを喜ばせたい。」といって憚らなかったウインタース。チアガールと一緒にダンスをする、チョンマゲのヅラをかぶる、ラジコンカーを走らせる・・・・。ウインタースのいるところに笑いあり。全力でどんな時もお客さんを楽しませるその姿は多くのファンに愛され、ついたあだ名は「踊るホームラン王」。プロ野球史上初めて雨の日のヘッドスライディングパフォーマンスをしたのはカープのマイク・デュプリーだと言われているが、グラウンドでマジックを披露するまでしたのはウインタースが初めてではないだろうか。(グラウンドにボールを置いてその上にタオルを隠し、ボールを消すマジック)そんなウインタースは惜しまれつつ1994年に引退。助っ人エンターテイメントの礎を築いた偉大な選手であった。
現在のウインタース
しかしその後は日本ハムと縁が切れてしまうわけではなかった。ウインタースは日本ハムの駐米スカウトとして、今も日本ハムへ優良助っ人を送ろうとアメリカ中を駆け回っているのだ。そんなウインタースのSNSはどこにあるのか・・・。なんとウインタースは普通にFacebookをしていた。これが現在のウインタースだ。
現在57歳になるウインタース。優しい面影が残るあのウインタースである。そしてこちらの投稿にも驚くべきものが!
こちらの懐かしい投稿。コメント欄を見て頂きたい。なんとブーマーからのコメントがあるのだ!助っ人同士でこのような交流があったりするのだなあ、と感慨深く感じていた刹那恐ろしい写真が目に入って来た。
なんとこれはウインタース家のハロウインの飾り付けなのだ!さすが元祖エンターテイナーウインタース。ハロウインでも全力で楽しむ姿勢はさすがとしか言いようがない。しかしとにかく怖い。怖過ぎるのだ。こちらも見て頂きたい。
ご覧いただけただろうか。電気椅子に座らされているようなモンスターまでいる。こんなものが家にあったらまともな精神状態でいられる自信がない。私が子供なら間違いなくトラウマになってしまうだろう。しかしウインタースはこの恐ろしさを存分に楽しんでいるようなのだった。
最近では、ウインタースのエンターテイナー遺伝子を受けついだレアードもスカウトしたウインタース。今後も野球界を明るくしてくれる助っ人をたくさん日本につてれ来ていただきたいものである。