発達障がい児のための運動指導法は、全指導者への指針になる

<未来は、誰かに限定されたものであってはいけない。しかし現状、指導環境の不足によって、スポーツのある未来を描くことが難しい人たちがいる。>
株式会社ボディアシストで、発達障がい児のための運動教室を開催する西薗一也氏は、発達障がいを持つ子どもたちを指導できる人材の少なさを指摘した。

この“指導者不足”は、「運動を因数分解して教えることができる人材の不足」と言い換えることができる。たとえば、縄跳びをするとき、「縄を持った手を振り下ろす動作」と「上にジャンプする動作」を順番に行うことで、10回、20回と連続して飛ぶことができる。
しかし、西薗氏が指導した発達性協調運動障害を持つ女児の映像を見ると、この上と下へのあべこべの動作を整理することができず、縄を下すと同時に体もジャンプしてしまうため、縄が体の下を通る前に足が着地してしまっていた。

そこで西薗氏は縄跳びの動作を、①降ろした縄が足に当たってから、②その縄を飛び越えるという練習を繰り返し行うことで、2つの動作の連続を体に染みつかせた。結果、1,2時間ほどの練習で、その女児は連続して縄跳びを飛ぶことに成功していた。

この「0.1を積み重ねて1をつくる」(西薗氏)メソッドによって、成功体験を感じさせることが大切だと西薗氏は話す。発達障がいを持つ子どもたちに、なぜ運動が苦手なのかを尋ねると、「どうせできない」「つまらない」「怒られる」といった回答が返ってくるという。出来不出来を人前で披露するという体育特有の性質が彼らの苦手意識を助長しており、自己肯定感を失わせ、結果的に努力することの意味すら感じられなくなってしまっていると西薗氏は考える。

スポーツで創る未来から一人も弾かないために、今後の指導者には運動知識以上に求められるものが多い。指導力、集団統率力、障がい知識、保育知識、遊びと運動学、発達障がい児が苦手とする短期記憶に関する知識、知識をかみ砕くキューイングのスキル。そして一番大切なのは、褒める力であると西薗氏は話した。
子どもたちの自己肯定感を育み、スポーツを通じた成功体験を積ませることができる指導者として唯一無二の存在になってほしいと、講演を締めくくった。

秋田豊がヘディングで家を建てられた理由

元日本代表DFの秋田豊氏は、「サッカーで学んだこと」というテーマで壇上に立つと冒頭に、小学校のころの夢は野球選手だったと話し始めた。夏は野球、冬はサッカーと両競技を経験しながら、より高いレベルで競技ができる環境を選んだ結果がサッカーだったそうだ。

そんな秋田氏がサッカーから学んだことは、ビジョンを持つことの重要性。秋田氏の現役時代の得意技といえばヘディングだが、「俺はヘディングで飯を食う」と決めたのは高校2年生の頃だった。そのきっかけは、チームメイトのプロ入りが決まる中で自分の武器の無さを痛感したことだという。それから1日50本のヘディング練習を毎日行い、「ヘディングで家が2軒建ちました」と会場を沸かせた。

秋田氏はここで、かつて名古屋グランパスでのチームメイトでもあった本田圭佑選手を例に挙げ、あの有名な文集の話を引き合いに出した。本田選手も、秋田豊氏同様に恵まれた身体能力を持っていたわけではない。しかし、文集に綴ったビジョンから逆算した行動を日々続け、セリエAで10番をつけた。秋田氏は、子どもたちに夢を持たせることが指導者の使命だと締めくくった。

自分の手で食事を摂った日から、パラリンピックへの道が始まった

花岡伸和氏は、車いすマラソンでアテネ、ロンドン五輪入賞を果たした元パラリンピアンだ。高校3年生のときにバイク事故に遭い、脊髄を損傷して下半身の機能をすべて失った。高校卒業を控え、前途洋々であるはずの時期だ。しかし花岡氏は当時から、「下半身機能だけしか失っていない」という捉え方をしていたという。

大きな絶望感こそなかったものの、一か月間の寝たきり生活は男子高校生にとってストレスも大きかったようだ。追い打ちをかけたのは、看護師に食事を口に運ばれること。「こんな簡単なこともできないのか」。ショックを感じた花岡氏は、すぐさまその介助を断り、震える右手でスプーンを握った。ほとんどを服にこぼしながらも、何とか自分の力で食事を食べ終わった瞬間が、パラリンピックまでのスモールステップの始まりだったと花岡氏は振り返る。

ロンドン五輪の「すっきりした5位」(花岡氏)を最後に競技を引退し、現在指導者の立場だ。2020東京オリンピック・パラリンピック開催が決まる前は、パラリンピック競技への注目度はほぼ0に近かった。今、徐々にメディアのスポットが向き始めたパラリンピアンの使命は、多様性を表現することだという。「事故後、僕は何も失っていなかった」と話す花岡氏は、「障がいとは何かを失っている状態」という無意識のなかにあった固定概念を、ひょいとひっくり返す明るい関西弁で壇上をあとにした。

スポーツを通じた人間力形成で、一歩先ゆくアメリカ。

『スタンフォード式 疲れない体』の著者である山田知生氏は、アメリカにおいてアスリートが持つべきとされている素養を語った。アメリカでは、スポーツを通じて社会人になる準備をするという考え方が浸透しているため、競技成績が秀でているだけでは良いアスリートとは認められない。文武両道は当然のこと、高いコミュニケーション能力やビジネス感覚を養うことが必須とされている。

ここでいうボランティア活動は日本よりもシビアだ。家庭の経済環境により修学旅行に行けない子どもは、自分でその費用を賄うために花やレモネードを売る。春にヒマワリを売っても売れない。夏は甘いレモネードの売れ行きが良い。必要性に迫られ、子どもたちは自然にマーケティング観点を身に着けていくという。
高校生くらいになれば、アスリート(体育会学生)は小児病棟を訪問したり、保護施設に入っている子どもたちを試合に招待するといったスケールの大きな活動に従事する。こうした活動を経て、Resilience、Health、Environmental Developmentを身に着けていく。

要は、アスリートは競技だけをしていればいいわけではない。山田氏はスタンフォード大学のゴルファーを例に挙げ、練習や大会といった<アスレティック>と、授業やテストのための<アカデミック>の時間それぞれに、ほぼ同じだけの時間を割いている現状を紹介した。

指導者に求められること

講演は、四者が壇上に揃ってのディスカッションへと移る。スポーツ経験を健全な人格形成に結びつけるために、ここでも指導者の重要性が語られた。

発達障がいを持つ子どもへの運動指導という観点で講演を行った西薗氏は、指導者が苦手意識を持つ科目の一位は体育である一方、子どもたちが一番受けたい科目も体育であるという両者の乖離を紹介。子どもたちの自尊心の醸成に大きな役割を持つ科目であるために、指導者のスキルアップの必要性を訴えた。

元パラリンピアンの花岡氏は、「自分が何者か」を選手に感じさせる指導が重要だと話した。パラリンピックで対峙した海外選手の多くは強いアイデンティティを持っており、自分のルーツを強く意識していることが、選手としての強さにもつながっていると感じたようだ。

スタンフォード大学の山田氏は、得意分野と不得意分野のスキル差が大きいほど、自尊心の欠如につながりやすい傾向があるとし、そのギャップを埋めることが人間力の形成につながると話した。得意分野を伸ばす職人的価値観が良しとされる風潮があるなか、ある種ジェネラリスト的な指導法の提案には意外性があった。

山田氏が語る“スタンフォード式”が日本に浸透するためには何が必要なのだろうか。講演後に尋ねると、「上の立場に意見するコミュニケーション力」という回答が返ってきた。スポーツの世界で育まれる<上下関係>の意識は、日本以上にアメリカのほうが強いと感じることもあるという。そんななか、自分よりも年上の相手と円滑なコミュニケーションを取るための講座が、スタンフォード大学の指導者用のカリキュラムには組み込まれている。上下関係が厳しいということは、言い換えれば「上が変われば変わる世界」ということ。変える力をもつ若き指導者の育成が日本でも必要になりそうだ。


小田菜南子