桜花学園、井上眞一監督に『常勝チームの作り方』を聞く「つまりは、あきらめないで育てることですよ」
昨年末のウインターカップを制し、3冠を成し遂げた桜花学園。ウインターカップではこれで21回目の優勝、チームを率いる井上眞一監督にとって全国優勝は通算61回目となった。卒業と入学で常に選手が入れ替わる高校において、これだけ勝ち続けることができる秘訣は何だろうか。新たな代への切り替えを図る桜花学園を取材した。 卒業を前にした3年生が下級生に『稽古』を付ける日々 2月9日の夕方、桜花学園バスケットボール部の体育館には3年生を含む20数名の部員が練習に励んでいた。オールジャパンを終えた後も3年生は毎日部活に来ている。ただその立場は『後輩を指導する側』だ。 この日はインサイドの守備、特にサイズのある留学生とのマッチアップを想定して、ボディコンタクトで相手を止めるバンプ、シール、ポストアップといった動きを繰り返し練習していた。3年生の馬瓜ステファニーや梅沢樹奈が『稽古をつける』のは1年生の選手。U-19日本代表でも実績のある先輩が相手では不利は否めない。井上監督は何度もプレーを止めて、身体の向き、腕の当て方、密着マークしながらもボールからも目を離さない方法を教え込んでいた。 地味な指導の繰り返しだが、井上監督も選手も真剣そのもの。3年生に『真剣勝負』の厳しさはなく、時おり笑顔も見えるが、それでも気づいたことは厳しく、そして入念に指摘する。狭いペイントエリアの中で身体をぶつけ合う地道な練習がひたすら続いた。 新チームには長身選手が不在となる。「当然、オフェンスもディフェンスもスタイルを変えます」と言うのは井上監督だ。「セネガル人選手とのマッチアップを想定して、インサイドに入って来るのを迎えに行って止めるのではなく、最初からベタッと付けと。パワーで負けてしまうでしょうけど、ファウルになってもいいからエンドラインまで押していけと。そういう指導をしています」 「今年はインサイドの2人が1年生になるので、コンタクトの弱さが目立ちます。だからアウトサイドのシュート力とディフェンスで勝負」。イメージは出来上がっている。あとは日々の練習でそれに近付いていくだけだ。 毎年選手が入れ替わる中で『常勝チーム』を維持する秘訣を聞いてみた。「秘訣はないですが、基本をしっかり教えること。それと一人ひとりの性格も特徴もあるから、その良さを生かして毎年のチーム作りを考えていくことです」。そして井上監督は目を細めながらこう言う。「つまりは、あきらめないで育てることですよ」 スカウトの秘訣は「安心して選手を預けられる環境」 桜花学園には全国から優秀な選手が集まってくるが、全国の中学校のトッププレーヤーが自然に集まってくるわけではない。「中学校に挨拶に行って『この選手をください』と言うだけで済むような簡単な話ではありません。周囲の人から『桜花でやるのは無理だ』と言われるケースは多いです。それでウチに来るのをやめてしまう子もいますね」 日本代表のポイントガードを務め、現在はトヨタ自動車でプレーする大神雄子は山形出身だが、小学校の時にウインターカップをテレビ観戦して以来、桜花学園でプレーすることを目標にバスケを続けてきた。これはスカウトで苦労する必要のなかった数少ない例だ。 JX-ENEOSサンフラワーズとシアトルストームでプレーする日本のエース、渡嘉敷来夢の場合は、彼女が中学2年の時にゴールデンウィークに桜花学園が主宰する『ジョイフルカップ』にチームごと招待し、桜花学園の環境を見てもらった。 リオ五輪で活躍した髙田真希の場合もそうだ。髙田は「下手だった自分のどこを評価して声をかけてもらったのか分かりません」と当時を振り返るが、井上監督は髙田の高さとフィジカルの強さに目を付けていた。技術的には見劣りがしたが、井上監督は「スキルは後で身に着ければいい」と意に介さなかった。髙田の決心を促すために、髙田がファンだったという内海亮子と諏訪裕美、当時Wリーグでプレーしていた桜花学園OGを豊橋まで呼んで、髙田と面談してもらっている。 「みんな一人ひとり、入るまでのストーリーがありますよ」と井上監督は言う。 強いだけでは選手は安心してやって来れない。井上監督は選手を一人も脱落させないこと、そしてそれぞれの実力に見合った進路を決めるところまで含めて、中学校の顧問や親が安心して選手を預けられる環境を整えている。 桜花学園の選手は全員が体育館に隣接する寮で暮らしている。2人部屋で12室なので、部員は24名まで。それ以上増やすつもりはない。「大学に入れることを考えると1学年8人が限界でしょうね。15人もいたら見れない。コートが1面なので、練習もできません」と井上監督は言う。 井上監督も元々は中学校教員。守山中を強豪に育て上げた頃、桜花学園(当時の名称は名古屋短期大学付属高)の理事長から「選手を欲しい」と相談され、安心して選手を送り出すためには専用の体育館や寮などの施設が必要だと説いたことがきっかけとなり、自身が桜花学園に移ることになった。それが1986年のこと。その数年後に現在の体育館と寮が完成したが、桜花学園は井上監督の赴任1年目にインターハイで優勝し、現在に至るまでの『常勝軍団』となっている。 「3年間でものすごく伸びる年代。そこを教えるのは楽しい」 選手の面倒を見るという点で、井上監督のこだわりは群を抜く。バスケットボール選手には付き物であるケガの予防と処置についての知識も豊富で、「このケガであればここ、リハビリはあそこの病院、こういうケガならこの先生に相談すればいい」と、愛知県だけでなく全国の病院やリハビリ施設、医師の名前がすらすらと出てくる。 同じように、選手を送り出してもらう全国の中学校、選手を送り出すWリーグの各クラブや大学とのコネクションも豊富。選手全員の進路についても責任を負っている。それぞれの選手の実力や希望に応じて、「次のステージで、その子にとって一番良い環境でバスケを続けられるように」というのが井上監督の『思い』だ。 70歳になった今、後継者のことも考えなければならないが、ただ指導するだけならともかく、この『人脈』を引き継ぐことのできる人材を見つけるのは難しい。 「この前も校長から、『そろそろ総監督になって現場は誰かに任せては』と言われたんですが、これがいないんですよ。コート上の指導ができる人はいると思いますが、リクルートのところ、中学校の先生とのつながりとなると難しいです」 「どんな人であれば任せられると思いますか?」の質問に対し、「大神ぐらいならできるかもしれない」と井上監督はかつての教え子の名前を挙げた。「でも、Wリーグと違って高校の外部コーチでそれだけの給料は払えない。指導者も育てればいいのかもしれないけど、人付き合いがすごくできる人材とか、探してもそうはいないので。逆に言うと私が辞めた後、イチからやり直すようなつもりでないと無理でしょうね」 もっとも監督自身、桜花学園で選手を指導するモチベーションは一向に衰えない。「3年間の成長がすごく見えます。Wリーグでの3年間と高校の3年間ではまるで違って、3年間でものすごく伸びる年代なので。そこを教えるのは楽しいですね」 少なくとも今のところ、井上監督は身の引き方に興味を持っていない。目の前にいる選手たちをどう育てるか、それだけに集中している。それはつまり、桜花学園が全国の強豪であり続けることを意味する。
取材=松原真 構成=鈴木健一郎 写真=古後登志夫