文=河合拓

W杯での躍進も期待された日本代表

 昨年の今頃、日本のフットサル界は大きな期待に包まれていた。ミゲル・ロドリゴ監督が率いて7年目を迎えたチームは、2004年の台湾大会、2008年のブラジル大会、2012年のタイ大会に続く、4大会連続でのフットサルワールドカップ出場が確実視されていた。

 親善試合では世界トップレベルの相手と互角の試合を展開。世界ランキングでもアジアではイランに次ぐ9位に位置していた。アジアからワールドカップに出場できるのは5カ国で、過去13回のアジア選手権で一度も準決勝進出を逃したことのない日本が、アジア予選を突破できないと考える人はいなかっただろう。

 そうした前評判通りに、W杯予選を兼ねたAFCフットサルアジア選手権の直前に行われたコロンビア代表との壮行試合で、フットサル日本代表は2連勝を収める。コロンビア代表は2016年のW杯開催国であり、2012年のタイ大会でも4強入りを果たした強豪国であり、そのチームに連勝したチームに対する期待値は高まり続けた。

 ところが、日本代表はアジア選手権の準々決勝でベトナムにPK戦の末に敗れ、初めて4強入りを逃してしまう。さらに、その後の5位決定プレーオフの初戦でもキルギスタン代表に2-6と大敗を喫して、4年に一度の世界大会に出場することもできなかった。

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ジャイアントキリングの立役者が新監督に

 アジア選手権後、フットサル日本代表のミゲル・ロドリゴ監督は契約満了で退任となり、W杯に出られないチームは指揮官不在となった。その期間に愛知県の刈谷市で開催された親善大会では、元フットサル日本代表選手だった木暮賢一郎(現シュライカー大阪監督)氏が臨時で指揮を執った。チームはW杯出場に向けて準備を進めるウズベキスタン代表と3-3で引き分け、因縁のベトナム代表には7-0で勝利した。

 アジア代表としてW杯に出場する2カ国を相手に、本来のポテンシャルを見せた日本だったが、当然アジア選手権の結果は変わらない。W杯本大会でのアジア勢は、イランが決勝トーナメントでブラジル代表を破る番狂わせを演じ、過去最高の3位に躍進。ミゲル・ロドリゴ監督が率いたタイ代表、日本を破ってW杯の出場権を獲得したベトナム代表も、初の世界大会の舞台で決勝トーナメント進出を果たした。

 アジアのライバル国が夢舞台で好成績を残すのを、蚊帳の外から見ることしかできなかった日本は、W杯後に新監督を迎え入れた。それが、アジア選手権で日本を破ったベトナム代表を率いていたブルーノ・ガルシア監督だ。

 ブルーノ監督は、2016年に3度のトレーニングキャンプを行った。監督が自ら選出した12月の2度に渡るトレーニングキャンプメンバーには、37歳のFP森岡薫(ペスカドーラ町田)、34歳のGK藤原潤(バルドラール浦安)、33歳のFP小曽戸允哉(シュライカー大阪)らを含む、アジア選手権に出場した14選手のうち9選手が選出された。世代交代を行うと思われたフットサル日本代表だったが、数名の若手が招集されたものの、その顔触れはほとんど変わらなかった。

2016年12月6日、日本サッカー協会は名古屋で行われるトレーニングキャンプに参加するフットサル日本代表のメンバーを発表した。
フットサル日本代表候補トレーニングキャンプ(12/12~14@名古屋) メンバー

空洞化している選手層

 ブルーノ監督は、ベトナム代表監督時代にフットサル日本代表を細かく分析した。日本代表の中心選手の特徴については、北澤豪フットサル委員長も舌を巻くほど知り尽くしているという。アジア選手権のメンバーを選ぶことで、その予備知識を生かせるメリットはある。しかし、2年後のアジア選手権はともかく、4年後のアジア選手権とW杯を見据えると、世代交代は避けて通れないだろう。

 ベトナムで多くの若手を発掘したブルーノ監督は、「代表に相応しい選手であることが証明されれば、年齢という数字にはこだわらない」と、自身の考えを明確にしている。だが、大幅なメンバー変更がなかった理由については、経験豊富なベテランを脅かす若手や中堅選手の不在も理由に挙げた。

 実際、Fリーグの各クラブで中心となっている選手の多くは、30代の選手だ。これまで、ほとんどのクラブは下部組織が整っていなかったこともあり、20代半ばの選手は少ない。2015年にU-18フットサル日本代表が活動を始めたため、10代後半に有望な選手が少しずつ現れつつあるが、これまでA代表に入っていた選手たちとの力の差はあまりにも開き過ぎている。そのため、少なくとも今年11月に予定されている2018年のアジア選手権予選までは大幅なメンバー変更のないまま、フットサル日本代表は活動を続けていくだろう。


河合拓

2002年からフットサル専門誌での仕事を始め、2006年のドイツワールドカップを前にサッカー専門誌に転職。その後、『ゲキサカ』編集部を経て、フリーランスとして活動を開始する。現在はサッカーとフットサルの取材を精力的に続ける。