文=村上晃一

なんばグランド花月の支配人はラガーマン

 恒例となった「よしもとラグビー新喜劇」が、2017年1月31日、大阪の「なんばグランド花月」で行われた。その名のとおり、お笑いの吉本新喜劇とラグビーのコラボ企画だ。

 お笑い芸人が目指す舞台である「花月」で、ラグビーのトップ選手が喜劇役者とともにお芝居を繰り広げ、その後はラグビー経験者やファンの「ラグビー芸人」とトークを繰り広げる企画。2011年に始まって、今回で7回目となる。

 なぜ「野球新喜劇」や「サッカー新喜劇」ではなく、「ラグビー新喜劇」が継続して行われているのか。不思議に感じる人が多いかもしれない。仕掛け人は、なんばグランド花月(NGK)の新田敦生支配人だ。

 新田さんは、大阪の阪南高校から関西学院大学でラグビー部に所属したラガーマンだ。2011年の夏、新田さんは考えた。「2019年に日本にラグビーのワールドカップが来る。ほんまに盛り上がるのかな。なんか、自分にできることはないかな」。目の前には吉本新喜劇が繰り広げられていた。「これをラグビーと絡めたら、一般のお客さんもラグビーのワールドカップが日本で開催されることを知ってくれるんとちゃうやろか」

 会社の同志社大学ラグビー部OBの後輩に相談し、企画は動き出す。驚いたのは出演を依頼するための「ラグビー芸人」をピックアップしたときだ。中川家の兄・剛と弟・礼二、ケンドーコバヤシ、ブラックマヨネーズの小杉竜一、ジャルジャルの後藤淳平と福徳秀介、スリムクラブの真栄田賢、新喜劇の座長の川端泰史などなど。出てくる、出てくる。吉本はラグビー芸人だらけなのだ。

 野球やサッカーの競技人口に比べれば10分の1ほどのラグビーなのに、芸人の中でのラグビー率が異様に高い。「これは行ける」。初演は2011年9月4日、ニュージーランドで開催される第7回ラグビーワールドカップの直前だった。立ち見も出た満員の会場は爆笑の連続。大ウケだった。興業としても成功したラグビー新喜劇は恒例化していく。

「ラグビーはほんまにおもろい人間が多いです」

©吉本興業

 新田さんはダウンタウンの初代マネージャーとしても知られている。東京や名古屋の劇場にもかかわってきて舞台には愛着がある。ラグビーとの共通点を感じることも多かった。以前、こんな話を聞かせてくれた。

「ラグビーも舞台も稼ぐ人は一握り。お金になるから始めるという発想はない。ラグビーを選ぶ人はこのスポーツに対して純粋でしょう。芸人も自分たちの芸とお客さんの笑いに純粋です。似ていると思います。ラグビーはほんまにおもろい人間が多いです」

 ラグビーは激しいコンタクトを伴う危険なスポーツだ。練習も厳しい。筆者の持論だが、ラグビーを選ぶ人間はエネルギッシュだ。エネルギーがないとこのスポーツはできない。エネルギッシュな人間が激しく体をぶつけ合うことで、より強いエネルギーを獲得し、心身ともにタフになる。その仲間の中でもとびきりの「おもろい人間」は、とてつもなく面白い。芸人になっても成功する人が多い気がするのだ。

 ラグビー芸人の一人であるスリムクラブの真栄田さんとトークライブをしたことがある。彼は言っていた。「お笑いもチームプレーなんです」。ひな壇芸人は、リアクションがすべてだ。人の話をより面白くするために言葉のパスを出す。それを受け止めずに個人プレーを走る人間がいると場は白ける。ここにもラグビーとお笑いの共通点はあるようだ。

「僕も漫才をするときは、タイミングを見計らって相方の内間にパスする。ラグビーだって、先輩が一年生に楽しさを教えるためにパスしてあげるでしょう。そういう愛は通じるところがありますよ」

 ぜひ、ラグビー新喜劇を見に来てほしい。真剣にラグビーとお笑いに向き合う芸人の姿を見ることができるから。思い切って言い切らせてもらおう。今やラグビー選手の憧れの舞台は、「花園」「秩父宮」、「花月」である。

 きっとこれからも「ラグビー新喜劇」は続いていく。お笑いとラグビーの親和性を、ぜひとも確認していただきたい。


村上晃一

1965年、京都府生まれ。10歳からラグビーを始め、現役時代のポジションはCTB/FB。大阪体育大時代には86年度西日本学生代表として東西対抗に出場。87年にベースボール・マガジン社入社、『ラグビーマガジン』編集部勤務。90年より97年まで同誌編集長。98年に独立。『ラグビーマガジン』、『Sports Graphic Number』などにラグビーについて寄稿。