現役時代に選手がやっておくべきこと
「あの選手は、どこの事務所なの?」
こんな会話がスポーツの現場でも日常茶飯事となりつつある。取材対象は芸能人ではない。ここ数年、契約、移籍交渉を代理で行うエージェント(代理人)の事務所とは別にメディア露出、管理などを請け負うマネジメント事務所に所属する選手が珍しくなくなった。プロサッカーのJリーグ創成期、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)所属の武田修宏氏が大手芸能事務所のホリプロ入りし、話題を呼んだが、今ではニュースになることもない。むしろ、実績ある選手の「事務所入り」は当たり前となっている。
マインツ(ドイツ)の武藤嘉紀らが所属するポリバレント株式会社の代表取締役を務める飯田修平氏は、プロサッカー界のマネジメント事情を次のように語る。
「実際、事務所に入るサッカー選手は増えていると思いますし、これから入りたいという話もよく聞きます。武田修宏さん、中田(英寿)さんの頃から長年かけて、マネジメントに関する情報は選手間で共有されてきました。アスリートの選手寿命は限られていますし、メディアに出て知名度を上げるメリットも分かっているので、その生かし方を考える人も増えています」
知名度を上げることは、アスリートがセカンドキャリアに向けて、準備できることの一つだと言う。
「現役時代のほうが、各方面に人脈を広げられます。知名度が上がれば上がるほど、その効果は大きい。例えば、さまざまな企業の人たちとの接点を持ったときも反応はいい。現在サッカー選手で仮に数年後、現役を引退し、監督になりたいと思っても、いまは『監督候補』があふれている状況です。例えば、そのとき『キミが監督になるならスポンサーになろう』というメーカーとの人脈があれば、ほかとの差別化になるでしょう。競技を離れて、別の事業を始めようと思ったときにも、一度つくった人脈が生きてきます。選手は価値を高められるときに、高めたほうがいい。それを理解している選手が多くなっているので、人脈をつくるチャンスを増やすためにマネジメント事務所に入る人も増えているんだと思います」
ポリバレントに所属する武藤のようにサッカーに集中する環境作りと、その他さまざまなサポートをしてくれる事務所に入る例もある。ポリバレントではセカンドキャリアに向けて、選手たちへの教育もしている。
「選手によっては定期的に事務所に来てもらい、企画書のつくり方、プレゼンテーションの仕方なども指導しています。引退後、いざ事業を始めたいと言っても、いきなりはできませんからね。うちに所属するフットサルのFリーグで活躍した北原亘(16年3月に現役引退)には指導者として業界に貢献するだけでなく、実業家として新たな資本や人脈をフットサル界に呼び込むといった形で還元してもいいよねという話もしています」
芸能タレントとスポーツ選手の違い
マネジメント会社の事務所の様子 ©杉園昌之 スポーツ選手のマネジメントは、芸能タレントのそれとは異なることが多い。大手芸能事務所でのマネジャー経験を持つ飯田氏は、その違いについてこう話す。
「芸能の新人タレントさんとの違いをいうと、現役プロスポーツ選手の場合は、たとえ無名であっても1試合の活躍で、知名度が一気に上がる可能性があり、さまざまなメディアに取り上げられます。メディア露出が増えると、その選手のイメージをハンドリングしていくことが重要。だからこそ、選手次第、マネジメント次第というところもあります。選手としてのブランディングはとても大事なことです」
さまざまな理由で事務所を移籍したり、辞めたりは頻繁にある。仕事の有無や、ブランディングの方向性の変化によって問題が起きることも珍しくない。広く業界を見てきた飯田氏は事情をよく知るからこそ、収入の多寡に関わらず、選手の意見を尊重した仕事の入れ方をしている。それが双方の一番の利益に繋がると考えているからだ。選手のドキュメンタリー映像やパンフレットの制作などを行なうメディア・コンテンツ事業なども展開しており、マネジメント事業以外にも会社の柱となる業務を行っている。「ポリバレントに関して言えば、スポーツマネジメントの収入以外にもリソースを確保していく必要がある、という経営判断に至りました」と笑みを見せる。
ポリバレントは、スピードスケート、スケートボード、スノーボード、水泳、バスケットボールといったさまざまなジャンルのスポーツのさらなるメディア露出を増やすために、選手たちのサポートも積極的に行っている。選手側も目先の収入アップだけを求めているわけではない。五輪種目でもあるスノーボードクロスの桃野慎也選手は、ポリバレントに入った理由を聞くと口元を緩めた。
「一番はメディアに出たかったからです。競技の知名度を少しでも上げたいと思っています。来年は平昌五輪がありますし、もっとスノーボードクロスを知ってもらいたい。事務所に入って、『andGIRL』、『Hanako』といった女性誌に取り上げてもらい、これまで競技にあまり興味を持っていない女性の方がSNSで反応してくれたのはうれしかった」
屈託のない笑顔を見せる24歳の言葉には、競技全体を盛り上げようとする思いがにじんでいた。そこに大きな欲はないように見えた。選手とマネジメント事務所の「幸福な関係」は、互いに求め過ぎないのがちょうどいいのかもしれない。