「血みどろの格闘」
大の里の武器は何といっても192㌢、191㌔という堂々たる体格。破壊力抜群の当たりで先手を取り、圧力を生かして突き、押しで攻めたり、得意の右四つに組み止めて前に出たりと迫力満点の取り口が光る。日体大時代には3、4年と2年連続してアマチュア横綱の称号を手にし、入門前から豊かな将来性がさけばれていた。
幕下10枚目格付け出しの初土俵から負け越しがなく、所要13場所で最高位を射止めた。現行の年6場所制となった1958年以降初土俵の力士で最速昇進という快挙はとかく、体の大きさや素質に目を奪われがちだが、見逃せないのは角界入り後の地道な鍛錬だ。大の里より高身長もしくは重い力士、アマチュア時代に輝かしい実績を残した力士に必ずしも、大出世が約束されているわけではない。大の里は四股やすり足、てっぽうなどの基礎を徹底し、力を向上させた。本人は「部屋での稽古が一番、実になった。今まではそこまで大事にしてなかったけど、とにかく基礎を忠実に」と明かした。全力士のお手本になるような強化のアプローチといえる。
この道程は6月3日に亡くなったプロ野球界のスーパースター、長嶋茂雄さんを想起させる面がある。長嶋さんは立教大時代、本塁打数で当時の東京六大学リーグ記録を更新した。鳴り物入りで巨人に入団し、その後の大活躍には多言を要しまい。期待される場面で安打を放つ勝負強さは、天賦の才能とも称された。しかし長嶋さんはこれに反論。元来の素質に安閑とすることなく、プロになってからも陰で人一倍の努力を積んでいたことを自伝で告白していた。「私の本質というのは、天才肌でもなんでもない。夜中の一時、二時に苦闘してバットを振っている。人がいなくなったところでは、自分との技への血みどろの格闘を一人で必死にやっていた」(「野球は人生そのものだ」)。新時代を切り開き、豊昇龍とともに相撲界をけん引しこうとしている大の里。〝ミスタープロ野球〟と呼ばれた長嶋さんのように鍛錬を蓄積していけば、最終的に到達する高みにつながっていく。
名古屋ゆえの大変さと相性
大の里にとっては、さまざまな点で今場所はチャレンジングな15日間となる。まず新横綱の大変さがある。負ければ騒がれ、不成績が続けば引退と背中合わせの地位に転じた。不滅の69連勝を樹立した第35代横綱双葉山は、他を追いかける状態から追われる立場になることで、精神的充実を維持する難しさを指摘していた。
取組以外に横綱土俵入りの務めが加わる。2番相撲を取るのと同じくらい心身を消耗するとの経験者の声もある。しかも1月の初場所と5月の夏場所の後には地方巡業がなく、本場所の前に何度も土俵入りを披露する機会がない。同じく名古屋場所から最高位に就いた第61代横綱北勝海の八角・日本相撲協会理事長は「相撲の稽古は名古屋に来る前も1日50番くらいしっかりやっていたけど、土俵入りは巡業がなくて人前でやる機会がなかったので緊張していたのを覚えている」と述懐している。
さらに名古屋場所との相性がある。初土俵以来負け越し知らずの大の里だが、角界での過去2年、ともに納得のいく成績ではなかったという。「今までいい思い出がない」と厳しめの自己評価だ。2年前は東幕下3枚目で3勝3敗からの7番相撲で白星を挙げ、最後に勝ち越しを決めた。初優勝の翌場所だった昨年は新関脇として臨み、2連敗スタートなど4日目まで1勝3敗。その後に持ち直して13日目に不戦勝で給金を直し、9勝6敗だった。
横綱土俵入りという神経を集中させる新たなルーティン、土俵外では祝賀行事の増加など、これまでとは異なる環境に身を置く新横綱。年6場所制となって横綱昇進場所での制覇が5人と少ないのも無理はない。ただ、壁が高ければ高いほど、それを乗り越えようとする姿に人々は心を動かされ、克服して栄冠を手にしたときには大きな感動を呼ぶ。師匠の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)は大の里について「まだ成長途上だと思っている」。名古屋では60年ぶりに新会場に移る本場所。昨年までの悪いイメージを振り払って進化を披露すれば、これ以上ない「横綱大の里」の船出となる。
単なるプロ競技ではない粋
名古屋場所を語る上で、暑さは密接に関係している。年6場所の最後として1958年に本場所に組み込まれると、まず金山体育館が会場だった。名古屋場所を共催する中日新聞社発行の報道写真集には、当時を振り返って次のような記述がある。「冷房のない館内を走り回る取材記者は、短パンにランニングシャツ、首にはタオルという姿」(「熱き男たちの系譜」)。そして1965年、昨年まで開催されていた愛知県体育館に場所が変更されたことには「冷房完備。前年までの〝南洋場所〟がウソのような、日本で一番快適な場所に変身した」(同)と今では想像しにくい状況だった。気象庁のデータによると、名古屋の7月の平均最高気温は1965年で29・9度だったのが、2024年には34・3度と4・4度も急上昇。時代の変遷や空調設備の経年で、愛知県体育館でも暑さをしのぎながらの観戦になっていった。
今年の東海地方は平年より15日早く、7月4日に梅雨明けが発表された。名古屋でも最高気温が35度を超える日がざら。そんな中で力士たちはまげを結い、公の場では浴衣など着物姿で活動する。一般男性のように短パンやTシャツの方が快適かもしれない。合理性が重宝される現代においても着物に袖を通して足元は雪駄や下駄。こうした要素も大相撲の価値を形づくっていることを忘れてはなるまい。ある相撲協会幹部はこう強調する。「そりゃTシャツとかジャージとかの方が動きやすいかもしれないけど、この世界には受け継がれてきたものがある。一目見てお相撲さんだと分かるし、伝統文化の一部でもあるので大事にしていかなきゃならない」。単なる〝相撲競技のプロ〟ではなく〝大相撲〟の表現がふさわしい国技の世界。守るべきものを守る姿は粋であり、国内外から愛されている一因だ。暑さの顕在化によって、余計にそれらが印象づけられている。
名古屋場所で前回、会場が変わった1965年は横綱大鵬が17度目の制覇を遂げた。千秋楽に12勝2敗同士の横綱対決で佐田の山を下して賜杯を手にし、大いに盛り上がった。エアコンの効いたIGアリーナで、横綱中心の熱い土俵の再現なるか。大の里に注がれる視線も日に日に熱を帯びている。