文=松原孝臣

レスリング界の重鎮が見た印象的な光景

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 東京都北区西が丘の一角は、いまや、スポーツ強化の一大拠点となっている。国立スポーツ科学センター(JISS)があり、味の素ナショナルトレーニングセンターがある。ナショナルトレセンは、屋内競技の練習施設に加え、近隣の陸上トラックがあり、さらに選手が宿泊する施設も備えている。2015年、施設前の通りは、「ROUTE2020トレセン通り」と名付けられた。

 これらの施設で、さまざまな競技のトップアスリートたちが合宿しながらトレーニングに励み、怪我をした選手はJISSで治療やリハビリにあたる。練習施設や医療をはじめとするスタッフの充実は、選手の強化に、大きく寄与してきた。

 実はその効用は、練習環境の充実だけにとどまるものではない。異なる競技の選手と交流できる場所であることも、意義となっている。以前、日本レスリング協会強化本部長そして女子日本代表を監督として世界最強へと育てた栄和人氏がこんな話をしたことがある。

「北京(五輪)のときね、レスリングの選手たちが試合に向かう他の競技の選手を激励しているんですよ。前はそういうことなかったから、けっこう、心に残っていますよ」

他ジャンルの選手との出会いが導いたメダル

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 北京五輪が開催されたのは2008年だが、同年1月にナショナルトレセンは始動している。拠点を同じくするから知り合った選手たちが励ましあう。そのエピソードは、ナショナルトレセンの意味を伝えていた。やがて、その交流は深まっていった。競技の悩みやトレーニング方法を話し合ったりすることで、互いの刺激となり、自身の競技へと還元していった。

 その一例として、柔道の中村美里をあげることができる。2008年の北京、2016年のリオの2つのオリンピックで銅メダルを獲得した第一人者だ。中村はロンドン五輪後、以前に傷めた膝の手術とリハビリに踏み切った。そのときにJISSで過ごすことになったが、それは新鮮な時間だった。自費で海外遠征に行く選手の存在を知って、いかに恵まれていたかを実感し、知り合った選手と互いの競技生活を、人生を語り合い、生活に、視野に広がりを持てたと感じた。そして柔道へ取り組む気持ちを新たにした。その時間があって、リオでのメダルがある。

 いまやバラエティ番組などでも、異なる競技の選手が親しそうに話をしているのを目にするのは珍しくはなくなった。当たり前のような光景は、だが、栄氏の言葉が示唆するように、かつては当たり前ではなかった。交流を深めるなど、思いもよらなかった。

 それはスポーツに限った話ではないかもしれない。接することのない業界や業種の人は縁遠く思える。その距離が遠ければ遠いだけ、知り合う意味を感じることすらない、ということはままある。だがそれは思い込みかもしれない。もし接する機会があれば、思ってもいなかったような視点を得たり、刺激を受けるかもしれない。

 そう考えると、JISSやナショナルトレセンのように、多くの、さまざまなところにいる人々が出会える場を設けることは、スポーツに限らず大きな意味がある。


松原孝臣

1967年、東京都生まれ。大学を卒業後、出版社勤務を経て『Sports Graphic Number』の編集に10年携わりフリーに。スポーツでは五輪競技を中心に取材活動を続け、夏季は2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオ、冬季は2002年ソルトレイクシティ、2006年トリノ、 2010年バンクーバー、2014年ソチと現地で取材にあたる。