日常に寄り添うランニング、進化を加速する大会
──2007年に東京マラソンが創設されて、国内のランニング人口が急増しました。東京マラソンは健康づくりやスマートウェルネスに大きな役割を担っていますが、どのように感じていますか?
早野 私は「健康づくり」という言い方はしたくなくて、どうやってランニングに取り組めるのか、いかに日常のなかに落とし込んでいけるのか、を考えてきました。コロナ禍以降、自宅で過ごす時間も多くなってきたと思います。そのなかにランニングを取り入れて、楽しく走っていただく。その結果、副次的に「痩せた」「風邪を引きにくくなった」「スタミナがついた」などの〝ご褒美〟があればいいかなと思っています。
──アシックスは「ASICS健康経営宣言」を公表して、従業員とそのご家族のWell-being(身体的・精神的・社会的に良好である状態)を目指して、健康推進活動を行っています。
廣田 アシックスの研究では「State of Mind グローバル調査」では 運動を「15分09秒」実行すると、精神的にポジティブな影響を与える可能性があるというデータが示されています 。東京マラソンに参加することもそうですけど、ちょっと体を動かしてみよう、でいいんですよ。特に歩いたり、走ったりは気軽にできる運動です。東京マラソン財団は東京マラソンだけでなく、関連イベントも多くやっています。ストレスが多い時代だと思うので、軽いランニングから始めて、心身ともに軽やかになっていただきたいですね。東京マラソンをきっかけに体を動かす方が増えればうれしいなと思います。アシックスの従業員も仕事の途中に約15分の身体を動かすデスクブレイクを行い、Well-beingの向上とストレスを軽減し、「Sound Mind, Sound Body」を体現する取り組みを行っています。
──近年はシューズの進化が目覚ましく、ランナーのタイムが向上しています。市民ランナーを含めて、走るのが楽しくなっていると思いますが、どう感じていますか?
廣田 東京マラソンはエリート選手が出場していて、私たちがサポートしている選手も出ています。彼らが真剣勝負する場所で、選手からのフィードバックを受けて、シューズ開発につなげています。これも非常に重要な場になっていますね。
早野 東京マラソンの優勝タイムは第1回大会が2時間09分45秒だったんですよ。ワールドマラソンメジャーズに入るにあたり、他のレースディレクターからは、「もっとエリートを速くしなきゃダメだよ」と指摘されていたんです。一般ランナーが盛り上がるなか、投資をしながらエリートのレベルをグッと引き上げて、2時間2分を切ろうかというところまできました。これは世界中のマラソン大会でトップスリーに入るようなタイムです。最近はアシックスを履く選手の上位入賞も増えてきて、東京マラソンは縦(エリート選手)と横(一般参加者)がいい感じの取り組みになっています。
廣田 コースを2017年にリニューアルして、よりタイムが出る大会にされたことも非常に大きいと思います。アシックスの海外契約選手のなかで「東京に出たい!」というアスリートが非常に増えてきています。それに世界トップの選手が競り合うレースは迫力が違いますね。
早野 私は昨年まで、レースディレクターとしてバイクの後ろに乗って、レースを間近に観てきました。37㎞地点まで世界記録ペースで行った年がありました。あと5㎞。どうにかしたいですね。
東京マラソンの未来は!?
──東京マラソンは2027年に記念すべき第20回大会を迎えます。そこに向けたビジョン、パートナーとして東京マラソンに期待することを教えてください。
早野 私は早々と、「世界一の大会にしたい」という思いがありました。そのなかでも「安全・安心」な大会。これはすでに世界一じゃないないかなと思っています。それから「世界一エキサイティング」な大会。世界記録が出るかもしれない、そんなワクワクするレースを展開したいですね。出場したすべてのランナーが、俺はそこを走ったんだよ! とフィニッシュ後に話が咲くようなレースをしたいと考えています。それから「世界一あたたかく優しい」大会。これはダイバーシティ、障がい者、ホスピタリティなど様々な広がりを含んでいます。そして自分たちが言うのではなく、ランナーが走った後に、「東京が世界一だね」と言ってもらえるような大会にしていきたいです。そういうシチュエーションを第20回大会に向けて、事業にちゃんと落とし込んでいるところです。
廣田 東京マラソンはコロナ禍を経て、ものすごく変わったと思うんですね。2020年と2021年は特にご苦労されたはずですが、コロナ禍の後は、圧倒的に海外の人が増えてきました。これは大きな変化です。コロナ前は日本人が日本で一番出たいマラソン大会だったと思うんですけど、今は海外の人たちが「出場したい!」と熱望する大会になりました。
早野 そうですね。定員3万8000人のうち外国人は約1万8000人ですから。海外から多くの方に来ていただき、彼らは国内を旅行するので、経済効果も凄いんですよ。2025大会では全国規模で約787億円の経済波及効果をもたらしたと算出いただいております。
廣田 これだけ国際化された大会に成長したのは非常に素晴らしいことです。東京マラソンは「東京がひとつになる日。」という合言葉があるように、海外から来た人たちも含めて、東京がひとつになるんですから。海外のマラソン大会に出場すると、東京マラソンは安全・安心でストレスが非常に少ないと感じます。一方で、まだ東京全体で「東京マラソンを楽しむ」ところまでは至っていないのかな、と。東京マラソンの開催日前後は東京にいる全員がなんらかの運動をするなど、さらに価値を上げていきたいなと思います。

早野 我々は東京マラソンをスポーツのカテゴリーに留めたくないんです。東京マラソン財団は2027年1月開催予定の「長崎ミュージックマラソン」(仮称)をプロデュースします。スポーツ、音楽、アートなどは精神的な文化として必要で、我々を幸せにしてくれるものです。そういう世界観をすべてのパートナーさんたちと築いていきたい。第20回大会に関わらず、我々が目指す世界観に向けて、具体的な事業に落とし込んで、ランニングを通じて、副次的にみんなが幸せで健康的な社会ができないかなと思っています。
廣田 日本中でいろんなタイプのマラソン大会が増えていくと、ランニングにもっと広がりが出てきます。そういう意味では、「長崎ミュージックマラソン」は非常に楽しみですよね。
早野 ミュージックマラソンという名称をつけること自体も新しいと思いますし、ミュージシャンがランナーを、ランナーがミュージシャンをリスペクトする。私が住んでいた米国・ボウルダーにはBolder-Boulderという10㎞レースがあるんですけど、1㎞ごとにバンドがいて、その音楽がランナーに力を与えてくれるんです。
廣田 ランニングは平和じゃないとできません。昨今いろんなところで紛争もありますが、平和だからこそこういったイベントができるんです。マラソン大会は平和の価値を味わう貴重な機会だと思いますね。
──多角的な広がりを見せている東京マラソンですが、シンプルに東京で世界記録が誕生する瞬間を目撃したいファンは多いと思います。
早野 2027年の第20回大会に向けて、現時点ではまだ言えませんが、エリートランナーのリクルートに影響してくようなことや、ある意味、「世界一」と言われるような部分を作ってきたいと思っています。2026年には発表したいです。
廣田 アシックスとしては、とにかく「世界一速く走れるシューズ」を作りたい。主役はアスリートですけど、我々はアスリートに負けない努力をして、彼らの脚を支え、安全・安心で快適、なおかつスピードが出るシューズを作り続けています。7月下旬には、『METASPEED』シリーズの新作である『METASPEED SKY TOKYO』と『METASPEED EDGE TOKYO』。 さらに8月には片足重量約129g(27.0cm)の軽量モデル「METASPEED RAY」を発売しますが、アシックスのシューズはまだまだ進化しますよ。
──2027年の第20回大会に向けての〝新たなドラマ〟を楽しみにしています。
前編:アシックスの廣田会長&東京マラソン財団の早野理事長 東京マラソンを支える立場と大会を作り上げる立場、それぞれの想い
東京マラソンを大会初年度から現在に至るまで、「パートナー」として支えてきたのがアシックス。2007年にスタートした都市型マラソンと日本が誇るスポーツメーカーはどのように進化してきたのか。株式会社アシックス代表取締役会長CEOの廣田康人氏と昨年まで東京マラソンのレースディレクターを務め、現在は一般財団法人東京マラソン財団の理事長/CEOの職に就いている早野忠昭氏による対談企画。
〈関連記事〉東京マラソンの軌跡と未来地図
2007年にスタートした東京マラソンは、単なるスポーツイベントの枠を超え、社会全体に大きな影響を与えてきた。そして2027年、記念すべき第20回大会を迎えるにあたり、その軌跡と未来をたどる連載企画がスタートする。第1回目は、フリーアナウンサーの宇賀なつみさんが東京マラソン財団の早野忠昭理事長にインタビュー。大会運営の秘話や日本のスポーツ文化に与えた変革など、〝これまで〟の東京マラソンと〝これから〟に迫っていく(前編)。