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取材・文=石塚隆 写真=櫻井健司

プロ野球の怖さを知った悪夢の8月

©Baseball Crix

「気持ちのなかで、バッターが怖くなっていきましたね……」

 トレードマークである、柔らかな笑顔が消える。

 昨シーズン、DeNAの守護神である山﨑康晃はプロ野球史上初となる新人から2年連続30セーブ以上を挙げる働きを見せたが、一方で夏場にはプロに入ってから最悪とも言える不調に苦しめられた。トータルの成績は2勝5敗33セーブ、防御率3.59と、数字を見てもわかるとおり芳しい結果だとは言い切れないものがある。とくに8月は、防御率15.12とクローザーとしてありえない数字にまで落ち込んだ。

 冒頭の山﨑の言葉は、この時期の心理状況を振り返ってもらったものだ。果たして山﨑になにが起こっていたのだろうか。

「技術的なことで言えば、ストレートと自分自身の生命線であるツーシームがバッターに見究められ、すべてが後手後手にまわってしまいました。相手に研究されているといった感覚もありましたが、それ以上に問題だったのが体力不足です」

 課題だった、1年間を投げ切るスタミナが足りなかった。肉体は心と密に連動する――自身の体をコントロールできなくなると、メンタルにも不調をきたすのはアスリートの常である。山﨑はこの時期、プロ野球選手になって初めて眠れない夜を過ごしていた。

「ナイトゲームが終わって帰宅して、ようやく眠りにつけるのが3時とか4時。次の日、デーゲームだったら8時には出発しなければいけないので、肉体的にもメンタル的にも厳しかったですね」

 山﨑は、野球を「メンタルスポーツ」だと言い切る。気の持ちようで、いかようにも状況をコントロールできるようになる、と。

「バッターが怖かったと言いましたが、自信がないときは、やっぱり『打たれるんじゃないか……』と思ってしまう。また、腕がぜんぜん振れなくなることもあれば、ストライクゾーンが本当に小さく見えてしまったこともありました。

 けど考えてみれば、そういった気持ちに自分自身勝手になっていってしまった側面もあったと思うし、それが僕の弱さでもある。プロとしてしっかりそこに向き合わなければ、僕はなにも得ることはできません。この状況を2年目で経験できたのは、自分にとって大きな成長に繋がったと思います」

山﨑を救ったチームメイトたちの献身

©共同通信

 夏場、厳しい状況を経験したものの、シーズン終盤にかけ山﨑は徐々にではあるが復調していった。そして球団史上初のクライマックスシリーズ(CS)進出に貢献。巨人と広島と対戦したCSでは3セーブを挙げた。

 そんな山﨑の苦しい時期を支え、復調に手を貸してくれたのがDeNAのチームメイトたちだった。
 
 不調に陥り配置転換が行われると、DeNAの“勝利の方程式”をともに構成する田中健二朗、須田幸太、三上朋也が山﨑に代わってゲーム終盤を守り抜く。またキャプテンの筒香嘉智は、山﨑が連続して救援に失敗するとゲーム後食事に誘い出し一緒に時間を過ごした。

 山﨑は柔らかい表情を取り戻し、次のように語る。

「本当にありがたいことですよね。バックアップしてくれる形が目に見えたというか。チームとして、単に僕に言葉をかけてくれるだけではなく、行動に移してくれたことで自分自身気づくことが多かったんです。

 また、キャプテン(筒香)と食事に行っていろいろな話もしました。現状を見て、正しい線引きをしてくれたというか、本当気持ちが楽になったんです。キャプテンばかりでなくたくさんの人に、これから頑張っていくために必要なことを教えてもらいましたね」

 昨年引退した“ハマの番長”こと三浦大輔氏の言葉も忘れられない。

「三浦さんからは常に『打たれても、打たれても、やり返せ!』と言われてきました。調子が悪いときリフレッシュするために海を見に行ったり、街に出て散歩したりしたけれど、結局、野球の借りは野球でしか返せないんですよ。それが良くわかったシーズンだったし、三浦さんからはピッチャーとして大事なことを教わりました」

 野球はチームスポーツではあるが、とくにプロともなれば個人としてのスタンスが重要視される。だが山﨑は今回、チームによって救われた。「DeNAに入団して良かったんじゃないですか?」と尋ねると、山﨑は笑顔でうなずいた。

「素直にこの球団に入団することができて良かったと思っています。このチームの持つ雰囲気があったからこそ、立ち直れたのかもしれない。昨シーズンは仲間に助けられた1年間でしたね」

心を折ることはできない3年目の決意

©共同通信

 さて、優勝を目指す今シーズン、山﨑はキャンプで積極的に投げ込み体力強化に努めていた。

「投げ込みが少ない状態だとどうなるか昨年わかったので、今年はしっかりと投げて鍛えているといった感じですね。去年が苦しかった分、今年はしっかりと戦っていきたい」

 ブルペンでは持ち球のストレートやツーシームばかりでなく、スライダーを積極的に投げ込む姿が目についた。

「今年はスライダーを武器にしたい。昨シーズンはストレートとツーシームでひたすらやってきてもがき苦しむ場面もあったので、他に頼るボールが欲しかった。そこで、スライダーなのかなって。長いペナントを戦うには引き出しを増やさなければいけないと思うし、自分自身まだまだ詰めてやれることはあると思いますし、幅の広い投球を心掛けたい。

 それから、大切なのはシチュエーションを考えて投げ分けるということでしょうね。正しい判断を自分ですること。リスクの回避、またはいくところはいくといった判断をするためにも実戦を積み整理する。もう3年目ですし、気持ちの余裕というか、プロとしてどれぐらいのペースでやっていけばいいのか理解しているつもりです。なんとか優勝も見えてきたチームのなかで、僕自身もう絶対に折れることはできない。なんとしても1年間投げていきたい」

 シーズンインを前にしたこの時期WBCの開催があって盛り上がりを見せているが、過去“侍ジャパン”に選出されていた山﨑にとって現状、どのような思いが胸に去来しているのだろうか。

「正直言って(代表になれず)悔しいと言えば悔しいですよ。ただいまは、そこを気にするよりも、チーム内におけるポジション争いのほうが大事なのは間違いありません。

 それに、昨年の成績で代表に選ばれても自分自身不安というのが正直なところなんです。しっかりと今シーズン成績を残して、晴れて侍ジャパンに参加したい」
 
 山﨑の言葉から感じるのは、現地点において本来の自分を完全に取り戻せたという確信をまだ得てないということ。やはり、実戦を通して確固たる結果を出さなければ、本質的な自信を取り戻すことはできない。

「キャンプはもちろんシーズン前がひとつの山だと思っています。この山をいい感じで超えられれば、自分はもっと強くなれるはず。この苦しい時期が、数年後に小さなことだったと思えるようなプロ野球人生にしたいんです」

 現状としかと向き合い、己の力で超えていかなければ未来は拓けない。3年目となるプロ野球人生――塗炭の苦しみの果てに見た、観衆に夢を与えるプロとして生き方とはいかなるものだろうか。

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(プロフィール)
石塚隆
1972年、神奈川県生まれ。スポーツを中心に幅広い分野で活動するフリーランスライター。『週刊プレイボーイ』『Spoltiva』『Number』『ベースボールサミット』などに寄稿している。


BBCrix編集部