文=山本孔一

シーズン目標を達成した小さな街のクラブに前代未聞の要請が届く

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 日本政府の要請によりスペイン国王歓迎レセプションに参加するため、日本に帰国することになった乾貴士。同レセプション参加のため、来週行われるリーグ戦2試合を乾は欠場しないといけないことから、スペイン国内でも小さな議論は生まれたが、炎上というまでのものではない。

 その一番の理由は、エイバルが既にクラブの一番の目標である1部残留を決めていることにある。UEFAヨーロッパリーグ出場という新たな目標を設定し、メンディリバル率いるチームはリーガの戦いを続けているが、ヨーロッパリーグへの出場権獲得はエイバルにとってボーナスであり義務ではないからだ。

 ビルバオ、サン・セバスチャンに挟まれ、スペイン内戦の悲劇をピカソが描いたゲルニカの近隣の街であるバスク地方の小さな山間にある人口28,000人の街のクラブにとって、日本政府からのコンタクト、“スペイン国王歓迎レセプションに所属する日本人選手を招待したい”との王室が関与する案件の連絡は、クラブの歴史をひも解いても初めての出来事であり、日本での市場拡大、認知度アップの点からいっても逃すことのできないチャンスだ。

 もし、チームが下位に低迷し残留を争っていたり、残留が決まっていないシーズン当初の話であったりしたら、もちろんエイバルも断りを入れていた。そのことはクラブ広報も認めており、「最も大事なのはクラブであり、残留が決まっていなければ乾を出すことはなかっただろう。だが、今のクラブの状況から言えば、喜んで送り出す事ができるし、誇りに思っている」と話している。

 だが、それは現場の話ではない。監督メンディリバルにとっては戦力として起用できる選手が、たとえ1試合でもいないことは喜べることではない。しかも2試合も欠場することになる。だからこそ、選手本人の意志を監督は確認していた。

「試合があるから参加するつもりはない」

乾の意志は明確だった。メンディリバルも選手の意志を尊重するつもりだった。だが、クラブの願いは乾がレセプションに参加することであり、監督もクラブに雇われている以上その意向に従わざるを得ず、改めて乾と話し合いの場を持ち参加することを求め、乾も首を縦に振った。

「危機感を持つというのはいいこと」

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 今回の日本帰国はサッカー選手の乾にとっては、定位置争いをするライバルに塩を送るものであり、メンディリバルも「今回の乾の日本帰国はクラブの外交的な話としか言えない。乾を起用することができなくなったが、今回の件で乾が一番に影響を受けるかもしれない。なぜなら、彼の代わりにプレーをした選手がいいパフォーマンスを見せた場合、改めて自分の力でアピールをして居場所を取り戻さないといけないからだ」と獲得した定位置を失う可能性があることを示唆している。

 だが、そんな言葉も乾は介さない。日々の練習、試合が真剣勝負の場と真摯にサッカーに取り組んでいる彼は、自分が絶対なるレギュラーではないと常に気を引き締めている。今回の件も決まったことであり、自分の立場を改めて見直すいい機会だとポジティブに考えるようにした。

「チームのためと思って参加することにした。エイバルの決定に従うし、サッカー以外でもチームに頼まれてやってくれと言われることがあればやらないといけない。行ってしっかり何かできればいいと思いますし、光栄なことなのでプラスに考えて、チームに戻ったらまたサッカーで頑張りたい。ポジションをあけますし、そこは危機感をもってやれる。危機感を持つというのはいいことだと思うので、それもプラスに考えながらやっていきたい。今でも保証はないですし、保証されたことなんてこのチームに来て一度もなかった。それに、保証があると面白くないとも思います。なので、今までと変わりはないと思います」

乾が帰国する意味

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 では、チームメートは今回の件をどう見ているのだろうか。チームキャプテンであり乾が信頼を置いているメンバーの一人であるダニ・ガルシアは、「クラブの事情を考えても招待は受けるしかない。普段味わえる経験ではないのでタカには楽しんでもらいたい。自分が彼の立場なら? 同じようにクラブの要請を受け入れると思うよ」とクラブの意向であることを汲み取る発言をした。

 また、お辞儀パフォーマンスを共にする仲のセルジ・エンリッチも「日本に行くのは仕方がない。クラブの決定だから選手は受け入れるしかない。タカが帰ってきたらどんな感じだったかをきかせてもらうよ」と普段とは違う経験をする日本人選手のみやげ話を楽しみにしている。

 一個人として考えれば、今回のスペイン国王歓迎会に出席できることは名誉なことであり、誰もができることではない。ただ、疑問が残るのはどのような基準で日本政府が乾を招待しようと決めたかだ。

 来日するスペイン国王フェリペ6世はアトレティコ・マドリードのファンであり、ベティスの名誉会員とサッカー好きであることはスペイン国内では知られている人物である。歓迎会で国王とアトレティコ戦について話をするなど、サッカー談義に花を咲かせることは十分に考えられるが、歓迎会という舞台を考えればワンシーンに登場するくらいの重要度であり、絶対に必要なゲストかと言われれば疑問は残る。

 ともかく、乾の日本帰国をめぐる議論が出たことは、普段であればニュースで聞き流すレベルの話である海外国王訪日に関して、多くの人々に興味をもたせたことは確かだ。それだけでも、十分にエイバルの日本人選手乾貴士のスペイン国王歓迎会参加は、大きな意味を持ったと言えるのではないだろうか。


山本孔一

1974年6月2日生まれ、埼玉県出身。2000年、スポーツマネージメントを学ぶためスペインに渡り、ヨハン・クライフ国際大学に入学。以降スペインを中心に欧州サッカーを取材。リーガでプレーする日本人選手やレアル・マドリード、バルセロナの試合に足を運び、現地の声を伝えている。