タイガー・ウッズの伝説的勝利から20年 1997年の当事者たち
20年前の1997年の「マスターズ」。当時21歳だったタイガー・ウッズはゴルフ史に残るメジャー優勝を飾った。2位に12打差をつけてグリーンジャケットをさらった圧勝劇。そのインパクトは世界を驚嘆の渦に陥れた。米ゴルフダイジェスト誌・2017年4月号では「97年の当事者たち」と題し、空前の4日間を振り返った。(GDO編集部) 米国ゴルフダイジェスト社提携 Used by permission from the Golf Digest(R) and Golf World(R). Copyright(c) 2017 Golf Digest Publications. All rights reserved 20年前のタイガー・ウッズによる12打差の勝利から、マスターズとゴルフはどのような変貌を遂げたのか。 ラストシーンは誰もが覚えているが、それがどのように始まったかは誰も覚えていない。時計の針を1997年「マスターズ」の1週間前に戻してスタートさせてみよう。 当時、アイルワースでマーク・オメーラと練習ラウンドを回ったタイガー・ウッズは、パー5の2ホールでバーディを獲り損なったにもかかわらず、「59」をマークした。オーランドからオーガスタへと向かう機中、彼らはこんな会話をしたという。 21歳だったウッズは、当時40歳で、メジャー54試合に出て勝ちのなかったオメーラに「グランドスラムで勝つのは可能だと思う?」と問いかけた。マークはタイガーを見つめながら、そんな質問をした人間はジャック・ニクラスくらいだったが、彼でさえ、そんな大きな声でたずねはしなかった、と思いを巡らせていた。 「非現実的だ」。長い間を置いて、オメーラはこう答えた。 しかし、ウッズは「僕は可能だと思うんだ」と返したのである。 史上最もインパクトの強い72ホールとなったその大会は、20年前の4月10日に始まり、4月13日にクライマックスを迎えた。強風に松葉が舞った木曜日、トップスタートから30人がオーバーパーを叩く展開となった。 プロとして既に3勝を挙げながら、まだ「全米アマチュア選手権」のタイトル保持者でもあったタイガーは、オーガスタの伝統のもと、この年はディフェンディングチャンピオンのニック・ファルドと同組でプレーした。タイガーのアウトは「40」。従って、反撃の口火を切った10番のバーディを“物語”の始まりとするのも良いかもしれない。 あるいはその前日、40歳の誕生日を祝ったセベ・バレステロスと、ホセ・マリア・オラサバルとともにタイガーが9ホールの練習ラウンドを回ったときには、既に何かが起こっていたのかもしれない。セベが彼に見せた“ちょっとした技”を試してみるため、スペイン人選手たちから少し離れてプレーしたタイガーは、その夜、「彼(セベ)のグリーン周りはすごかった。他の選手からしか学べないこともあるんだ」と話しているのだ。 コースにいながら、テレビ観戦の方を好んだ父アール・ウッズは、タイガーが初日の12番で見せたチップインが、彼のラウンドを甦らせたとみている。息子よりも情緒的なアールは、あのちょっとした一打こそが、セベの親切心がよびさました天賦の才ではなかったかと思った。ちなみにそう言った後、タイガーは「よしてくれよ、父さん。調子に乗っちゃ駄目だよ」と父親をたしなめている。 心臓の手術から回復中だったアールが、オーガスタのレンタルハウスの長椅子で居眠りをしていたその日のこと。部屋の中でパットを練習していたタイガーは、彼を起すことに乗り気ではなかったが、「父さん」と囁いたことでアールはハッと我に返った。 「僕のパットのストロークはどうなっているかな?」 「気に入らないな」。アールは、時折タイガーを笑わせることのある変に重々しく、抑揚のない声で答えたが、この時ばかりはタイガーも笑わなかった。 「どこがいけない?」 「バックスイングの始まりで右手がちょっと崩れている」 アールは寝床へと向かい、タイガーは絨毯の上でパッティングをし続けた。
1997年のマスターズ。タイガー・ウッズは前年王者のニック・ファルドからグリーンジャケットを授かった(Getty Images/米ゴルフダイジェスト誌)