文=座間健司

10万人のソシオを抱えるアトレティコ

 アトレティコ・マドリードがスペインで“2番目”のクラブとなった。

 リーガを席巻するのは、今も昔もレアル・マドリードとバルセロナの2クラブ。それは世界中の人が知っている常識だ。スペインに暮らしていれば、バルのウェイター、ショップ定員、もしくは病院の待合室にいるおばあちゃんにまで「バルサか? レアルか?」と訊かれる。返答が質問者の愛するチームと同じであれば永年の同志を見つけたように握手をし、反対であれば「間違っている!」と大げさに反論してみたり「あぁ、もう話すのは止めよう」といった冗談を掛け合ったりする。マドリディスタが「チャンピオンズリーグの優勝回数は11回だ」と話せば、バルセロナニスタは「カラーテレビになってから、いくつ勝ち取ったんだ?」とやり返す。そこに年齢や性別は関係ない。この質問は、コミュニケーションを図る上での常套句なのだ。

 歴史、実績、実力、人気でスペインを文字どおり2分する2強の存在。だが、そこに割って入ろうともがいているクラブがある。アトレティコ・マドリードだ。現在、アトレティコ・マドリードのソシオ(ファン会員)の数は、レアル・マドリードのソシオ数を上回っているという事実は、あまり知られていない。

 3月23日、アトレティコ・マドリードのソシオ数が10万人に到達した。翌日のスペイン紙『アス』は「偉大な赤白のファミリーは、すでに10万人のソシオを抱える」と見出しをつけ、スペインで2番目、世界で8番目にソシオ数が多いクラブだと報じた。トップはバイエルン・ミュンヘン(28万4041人)、次いでベンフィカ(15万6000人)、シャルケ(14万4761人)、ドルトムント(14万4141人)、バルセロナ(14万3459人)、スポルティング・リスボン(12万9000人)、ポルト(12万人)と続き、アトレティコ・マドリード(10万人)という順番だ。同じくスペインの首都を本拠地とするレアル・マドリードは、9万1671人で9位。ソシオの数は、隣のメガクラブよりも多いのだ。

1992年のソシオ数は1万5000人

©Getty Images

 アトレティコ・マドリードのソシオ数は、1972年に9度目のリーガ制覇をした時に5万8000人まで増えた。しかし、その数をピークに下がり続け、1992年には1万5000人まで落ち込んでいた。チームの低迷に加え、当時の名物会長ヘスス・ヒルが年間シートの価格を2倍にしたことが大きな要因だった。

 東西を問わず、やはり強いチームは、人を惹きつける。近年では2部に降格した2000年に、7000人ほどが離れたが、その後はまずまずの数字をキープ。2011年、アルゼンチン人のディエゴ・シメオネが監督に就任すると、アトレティコ・マドリードは毎シーズン、タイトル争いをする強豪に変貌した。2011年にヨーロッパリーグを勝ち取ると、2013年にコパ・デル・レイ、2014年にはリーガを制覇し、2014年と昨シーズンにはチャンピオンズリーグ決勝進出を果たした。右肩上がりの戦績にソシオ数も同調する。2014年に6万4000人、2015年には8万1256人、2016年には9万192人になり、そして2017年には10万人に到達した。

 10万人のソシオのうち、4万8441人が年間シート購入者だ。また30歳以下がソシオの44パーセントを占めており、全体の22パーセントが女性となっている。さらに39パーセントがマドリード市内在住で、35パーセントがマドリード州。他のスペインの地域が24パーセントで、海外は2パーセント。スベインの全州にアトレティコ・マドリードのソシオがおり、また世界74カ国にソシオが存在する。ソシオの会員番号1番は、ホセ・ルイス・ロドリゲスという91歳の男性で、7歳だった1933年からソシオを続けている。そして10万人目のソシオになったのは3歳のニコラスくんで、彼のお父さんもアトレティコ・マドリードのソシオだ。

 ソシオの数でライバルを上回ったアトレティコ・マドリードは、名実共にレアル・マドリードと肩を並べることはできるのか。限りなく難しいことだが、何十年後かに「レアルとバルサ、あとアトレティコのうち、どのチームが好き?」という質問が当たり前になるかもしれない。そのくらいシメオネ監督のアトレティコ・マドリードは輝かしい歴史を築いている。

座間健司

著者プロフィール 座間健司

1980年7月25日生まれ、東京都出身。2002年、東海大学文学部在学中からバイトとして『フットサルマガジンピヴォ!』の編集を務め、卒業後、そのまま『フットサルマガジンピヴォ!』編集部に入社。2004年夏に渡西し、スペインを中心に世界のフットサルを追っている。2011年『フットサルマガジンピヴォ!』休刊。2012年よりフットサルを中心にフリーライター&フォトグラファーとして活動を始める。