『電撃結婚』で間宮佑圭から大﨑佑圭へ「結婚して思うのは、自分の一番の味方でいてくれる人ができたこと」
電撃の発表だった。4月3日、JX-ENEOSサンフラワーズの大黒柱であり、リオ五輪代表の間宮佑圭が、27歳の誕生日を迎えたその日に、自身のインスタグラムにて結婚を発表したのだ。入籍は昨年末に済ませており、「未熟者の2人ですが、お互いに支え合い、笑顔を忘れず、一生懸命精進して参ります」と素直な心境を綴っている。 知人との食事会で知り合った大﨑さんは2つ年下の会社員で、3年半の交際を経てゴールイン。今年度も日本代表候補に選出されていることから、今後はFIBAの登録ルールであるパスポート名の「大﨑」姓にて選手活動を続けていく。 27年前のちょうど今。 長崎県諫早市でそれはそれは静かに、そして真っ青な状態で此の世に参上し、看護師さんにお尻をペチンと叩かれ産声をあげました。 この27年間を思い返せば、どんな時も心強い家族の支えがありました。 家族の支えなしでは、今、この場所に存在していることは100%なかったと思います。 この度、そんな家族のもとを離れ、新たに家庭を築いていく事となりました。 この度と申しましても、実は昨年末に入籍していました! 入籍してからも別居生活が続き、やっと同じ屋根の下で暮らすかと思えば、嫁はファイナルで戦闘モード。。笑 やっと我が家に落ち着いた空気が流れ始めたところです。 まだまだ未熟者の2人ですが、お互い支え合い、笑顔を忘れず、一生懸命精進して参りますので、今後ともよろしくお願い致します。 27歳…年だけは立派な大人になりました!! 新たな幕開けでございます!! お誕生日おめでとう!わたし! 結婚おめでとう!わたし! #4月3日#1:57 YUKA OSAKIさん(@mamipoco.21)がシェアした投稿 - 2017 4月 2 9:57午前 PDT 『ミセスプレーヤー』として現役を続行するケースは、海外に目を移せばとても多いが、20代で、しかも現役の日本代表選手としては、日本のバスケ界では非常に珍しい。かつてはJX-ENEOSの楠田香穂里(旧姓・川上)がアテネ五輪の前年に29歳で結婚し、アテネ五輪を最後に引退。また同じく、JX-ENEOSのOGでアテネ五輪を最後に一度は引退した小磯典子(旧姓・濱口)も、2005年にアイシンAWの選手として復帰したのち、2007年に33歳で結婚してミセス選手になったケースがある。 女子選手の結婚は選手生命における大きな分岐点となるが、夫婦間とチームの理解があるならば何も支障はない。むしろ、間宮のようなトッププレーヤーがミセスプレーヤーとして第一線で活動していくことは、今後の女子選手の生き方に様々な選択肢を与えることだろう。 激闘のシーズンが終わり、束の間のオフを迎えている今、『大﨑佑圭』としての結婚観と選手生活について語ってもらった。 「いつまでも選手をやっていい」と応援してくれます ――このたびは結婚おめでとうございます。まずは結婚を決めた理由を聞かせてください。 これといった理由はないんですけど、お付き合いしている途中から自然と結婚を意識していて、「オリンピックが終わってからしようか……」みたいな感じでしたね。この人とはずっと一緒にいるんだろうなあという意識はあったので、結婚は自然の流れでした。 ――26歳での結婚は女子スポーツ選手としては早いです。自然の流れでの結婚だったとはいえ、結婚をして、第一線で選手活動をしていくことは大変だという考えはありましたか? 結婚したとしても、選手としての生活のリズムを変えられないことは彼も分かっていたので、私としては「それでもいいのなら」という感じでしたね。現役でいる間は家庭に入ったり、彼の生活を支えることはできないけれど、「それでもいいんだったら」という感じです。 チームからも「メイ(ニックネーム)なら結婚しても選手としてやってけるし、賛成だよ」と言ってもらえたので、それこそ、婚姻届けを出すか出さないか、紙切れ一枚のことで、今までと変わりない感じです。 ――選手を続けることについて、旦那さんはどんな意見を持っているのですか? すごく応援してくれるし、理解してくれますね。だから自分も心地良いんです。なんのストレスもなく、バスケに支障をきたすような相手ではなく、むしろ頑張らせてくれて、ほどよく休ませてくれる相手なので、うまくやれているのかな。「なんなら、いつまでも選手をやれば」みたいに言われます(笑)。 「結婚したいという思いは自然の流れだった」 ――結婚をして選手との両立については、どう考えていますか? 選手生活をどうしようかというより、東京オリンピックを目指した時に、このまま選手として3年間頑張っていくのか、それとも一度選手を辞めて、子供を産んでから復帰したほうがいいのか、というところで悩んだりはしました。 でも、今子供を産んだとしても、日本代表でやっていくならば海外遠征とか合宿があるので面倒を見ることはできないし、両親もまだバリバリに働いているので、子供の面倒を見てもらうことは現実的ではないので。なので、選手として1年1年やって、日本代表として活動できなくなったら、その時はその時。そういった考えはチームや旦那さんには伝えています。そうやって1年1年やっていく中で、自分のゴール地点が東京オリンピックだったら万々歳かなと考えています。 ――結婚は自然の流れだったけど、日本代表を含めた活動との両立に悩んだという感じですか。 そうですね。でも一人で悩んでも答えは出ないし、結局はチームスタッフと話し合わないと結論は出なかったので。毎日毎日考えた結果、『考えても仕方がない』というところにたどりつきました。自分一人の問題ではないし、個人競技ではないので、一人で答えを出すことはできなかったです。でも結婚したいという思いは自然の流れだったので、特に大きく考えることはなかったです。 ――大﨑選手の結婚については、女子選手に様々な生き方があることを示してくれたと思います。結婚について、女子選手に伝えたいことはありますか。 私が今言えることではないですが、チームスタッフと家族の信頼を得られるのなら、結婚をしてもバスケットを続ける生き方があってもいいと思います。選手としてのモチベーションになりますね。 ――旦那さんに支えてもらっている『幸せオーラ』が出ていますね。 そうですかね(笑)。やっぱり、結婚して思うのは、自分の一番の味方でいてくれる人ができたことですね。親とはまた違う味方が。彼にすごく支えられていることは試合中でも感じるし、彼の一言で気持ちが落ち着いたりするので、すごく支えられています。 「名前は変わりましたけど、私という人間は変わらない」 ――入籍は昨年末とのことですが、入籍だけは先にする予定だったのですか? もともと、オリンピックが終わって、Wリーグの開幕前に入籍できたらと思っていたんですが、私も開幕を控えてバタバタしていたし、旦那も仕事の関係で忙しい時期が重なってしまったんです。準備はしていたのですが延びてしまって、それで年末に籍を入れました。 ――誕生日に自分の言葉で結婚を発表したのは、シーズンが終わったタイミングだから? 発表はシーズンが終わって、全部が落ち着いてからがいいかなと思っていて、それだったら、誕生日が4月の頭なのでちょうどいいかなと。自分の言葉で伝えたかったし、ファンの方も自分の言葉で言うのを待ってくれていると思ったので、そのようにさせていただきました。 ――これからの生活スタイルはどのようになりますか? 今まで通りです。ひまわり寮と体育館がある千葉県内に私のアパートがあるので、そこで一緒に生活をしています。家から体育館に通って練習をして、寮でご飯を食べて、また家に帰って、という感じですね。 ――改めて「大﨑佑圭」として、ファンの方にメッセージをお願いできますか。 名前は変わりましたけど、中身だったり、プレースタイルだったり、私という人間は変わらないです。選手としては1年1年、頑張っていきますので、これからも変わらずに応援していただければと思います。
文=小永吉陽子 写真=野口岳彦、古後登志夫