【リオ五輪、その後】栗原三佳(トヨタ自動車)度重なるケガの試練と向き合いながら『自分の仕事』をやり切ったシーズン
クイックリリースから放たれる3ポイントシュートを武器にリオの舞台で躍動した栗原三佳。3ポイントの確率は51.1%(全体3位)、平均12.7点、リバウンド5本と高いスタッツを記録し、20年ぶりとなる五輪ベスト8に大きく貢献した。 しかしその活躍の裏では、初戦のベラルーシ戦にて右手親指の付け根を剥離骨折するアクシデントに見舞われていた。リオで躍動したシューターは、痛みと戦いながら五輪の舞台で3ポイントを決めていたのだ。 リハビリに努めて復帰をしたのは11月下旬。だが、ケガの試練は一度では終わらなかった。2月18日、クォーターファイナル1戦目のトヨタ紡織戦で、今度は左手の中指がパックリと折れてしまう解放骨折のアクシデントが栗原を襲った。処置によってプレーを続行できたことは幸いだったが、万全とは言えない状態の中で、4年ぶりのファイナルを戦わなければならなかった。 ここでは5つのキーワードをもとに、ケガを乗り越えたシーズン、そしてオリンピックで得たことについて語ってもらった。 KEYWORD[1]Wリーグファイナル 4年ぶりのファイナル、善戦しても勝つのは難しかった 「新人の時以来のファイナルでしたが、思ったよりもプレッシャーなくやれたというのが終わってみての感想です」 「JX-ENEOSは強かったです。1戦目、2戦目と良い形でディフェンスができたのですが、3戦目はチームみんなの動きが良くなくて抵抗できませんでした。自分自身のことで言えば、クォーターファイナルとセミファイナルでは仕事を果たせて、チームをファイナルの舞台に連れていくことができましたが、それがファイナルとなると、勝利に導くのは難しかったです。そんなに悪い内容だとは思ってないのですが、ファイナルでどう戦うべきかを考えさせられました。ファイナルで勝つ難しさを経験したので、これを次につなげたいです」 KEYWORD[2]5位から準優勝への躍進 選手たちで話し合い、対応力がついたシーズン 「この1年、チームはすごく成長しました。昨シーズンからベックさん(ドナルド・ベックヘッドコーチ)が来て、私たちにいろいろと教えてくれましたが、去年はベックさんのバスケットをやることに必死なだけで終わってしまいました。今シーズンは少し余裕が出てきたのか、決められたことをやるだけでなく、そこからどうやって対応していくかをみんなで話し合い、自分たちでアレンジしてやれるようになりました。それがファイナルまで来ることができた要因です。トヨタはディフェンスのチームですけど、ディフェンスではコートに出た選手が積極的に動けるようになったし、チームの底上げが感じられました。1年を通して成長できたので、来年はさらに成長する姿を見せられると思います」 KEYWORD[3]オリンピックとその後 絶好調だったオリンピックとその後のモチベーション 「オリンピックは調子が良くて、プレーしていてすごく楽しかったです。ヨーロッパ遠征の時から相手より速く走ってシュートを打つ練習をしていたので、リオでもガンガン走れました。そこにリュウさん(吉田亜沙美)が打ちやすいところに面白いようにパスをくれるんですよ。初戦のベラルーシ戦で最初のスリーを打ったときにリキみなく打てて、そのシュートも『入るかなー』という感じだったのが入ったので『これはイケる』と思いました。練習と同じことができるから余計に楽しくて、自信に満ち溢れてプレーしていたというか、アドレナリンが出ていましたね(笑)」 「そんな楽しかったオリンピックが終わると、『これからどうしよう……』という思いが募ってきました。目標という目標が今すぐにはできないし、Wリーグではこのままの調子でいかないことはわかっていたので、どうやって気持ちを上げていこう……という感じで日本に帰りました。さらに帰国後、オリンピックで痛めた指を検査をしたら、剥離骨折だと診断されたので、ますますどうしようという気持ちになりました。これも試練だと受け止めて、リハビリに専念するしかなかったです」 KEYWORD[4]ケガの試練 壁にぶつかってきた経験値で試練を乗り切る 「リハビリ中はオリンピックで得た自信がどこかに行ってしまい、振り出しに戻った気がしていました。『シュートの感覚さえ戻れば、オリンピックで得た経験は生かせる』。その一心でリハビリをしていましたが、神様に『まだまだ頑張りなさい』と言われているような苦しい毎日でした」 「11月末に予定より早くに復帰することができましたが、年内のゲームは本調子には遠かったです。最初はベンチスタートでしたが、ウチはみんなが試合に出て役割を果たすチームなのでスタメンにこだわりはなく、出た時間に自分の仕事をやろうと思って臨みました。オールジャパンあたりからシュートタッチが戻ってきて、徐々にチームに馴染んでスタメンに戻り、クォーターファイナルとセミファイナルで、ようやく大事なところで仕事ができました」 「今シーズンは骨折に始まり、骨折に終わったシーズンでしたが、何とかやれ切れたのは、自分にできることを探し、自分の仕事をやることを意識したから。私のトヨタでの役割は3ポイントだけではないので、ドライブをしたり、チームのチャンスを作るために動いたり、何よりディフェンスとリバウンドを心掛けました。リバウンドが取れるということは動けていることなので、そこからペースをつかんでいくんです」 「私自身、シュートが当たらないときにディフェンスとリバウンドを頑張ることは、スランプだったオリンピック予選(2015年アジア選手権)で学んだことです。今までも何度か壁にぶち当たってきましたが、そのたびに気持ちを切り替え、自分にやれることを見つけてきました。そういう経験があったので、オリンピックでもシュートの調整ができたし、ケガをしても調子を戻すことができたんだと思います。完璧ではなかったですけど、自分の役割をやり切れたことをこれからの自信にしていきたいです」 KEYWORD[5]日本代表 日本代表として頑張りたい思いは持ち続けている 「日本代表に選ばれたい気持ちは持ち続けています。そこの気持ちは切れてないです。でも東京オリンピックはと聞かれれば、そこまでは考えられないです。日本代表に選ばれるためにはリーグで結果を出さないといけません。今シーズンはケガをしてしまったので、それでも認めてもらえるようなプレーをしなければいけない、と思いながらやっていました。でも考えすぎてしまうとダメなタイプなので、そこだけにこだわりすぎず、自分の仕事をしっかりやって選れることがいちばんだと思っています」 「それで選ばれなければ潔く身を引きます。東京を目指して若い子を育てていかなきゃいけないことも理解しています。まずは指を完治しなければならないので、少し休んでからまた気持ちを新たにチャレンジですね」
文=小永吉陽子 写真=野口岳彦、古後登志夫