文=平野貴也

真剣勝負から離れた選手が刺激を受ける

©平野貴也

 高校、あるいは大学までサッカーをプレーした選手が、卒業と同時にその競技から引退するのは珍しいことではない。むしろ、プロになる夢を果たせなかった者の多くが、真剣勝負の場から離れていくのが普通だ。昨年、ビーチサッカーの日本代表に選出された佐藤栄祐も、それが当たり前と思っていた一人だった。佐藤は航空自衛隊の浜松基地で働いている自衛官だ。鹿児島県の強豪校である神村学園高校を卒業した後、近大高専に進んで新設されたサッカー部でプレーしたが卒業と同時に本格的に競技を続ける生活を終えた。そして、2008年に祖父と同じ自衛官という仕事に就いた。まさか、その選択が新たな勝負の場への入り口だとは思っていなかった。

 自衛隊は有事の際に過酷な現場へ赴く。2011年の東日本大震災や昨年の熊本地震における自衛官の働きぶりは、読者の皆さんの記憶にも新しいところだろう。有事に備えた訓練を行うため、体を使う機会が多い仕事だ。そのため基地や駐屯地の中には、グラウンドや体育館、プールやジムが備わっており、スポーツも盛んに行われている。自衛隊におけるスポーツは健全な心身を作り上げるだけでなく、厚生活動の一環でもあり、隊員の絆を深めるための活動でもある。いくつかの競技では自衛隊内での全国大会が行われている。

 浜松の基地には静岡県西部社会人1部リーグを戦い、年に一度開催される全国自衛隊サッカー大会を目指すサッカーチームがある。入隊後に自衛隊サッカーの存在を知り、競技の場に戻った選手は少なくない。4月30日に第51回全国自衛隊サッカー大会の決勝戦が行われた味の素フィールド西が丘には、J1広島に所属するMF佐々木翔が観戦に訪れていた。神奈川大時代のチームメートを激励するためだった。プロになる選手たちと共に戦った経験のあるレベルの高い選手も出場している大会なのだ。優勝した海上自衛隊厚木基地マーカスでは、第88回全国高校選手権の優秀選手に選出された大楠恭平(神村学園高出身)もプレーしている。半ば「社会人のサッカーなんて……」と本気の勝負をあきらめていた選手たちが刺激を受ける大会だ。

本気の勝負を経て日本代表を目指す

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 佐藤は入隊後に自衛隊サッカーの存在を知り、浜松基地のサッカー部に入部した。そして、競技の再開が思わぬ扉を開いた。当時、基地のサッカー部に所属していた先輩に、ビーチサッカーもプレーしている宮津広記さんがいた。一緒にやってみないかと誘われて行った先に、現ビーチサッカー日本代表の小牧正幸(ヴィアティン三重)がいたのだ。佐藤は小牧を目標としてビーチサッカーにも並行して取り組むようになり、日本代表を目指す気持ちを持ち始めた。

 昨年4月、関東ビーチサッカーリーグに所属する東京レキオスに加入した。今季は東海リーグに新設されたヴィアティン三重のビーチサッカーチームに移籍。今では立派なビーチサッカー選手だ。平日は仕事の後に基地でサッカー部の活動に参加。週末はビーチサッカーをプレーしている。昨年6月の合宿でビーチサッカー日本代表に初招集され、8月にはコンチネンタルビーチサッカートーナメントに参加。残念ながら5月開催のビーチサッカーワールドカップの日本代表入りはならなかったが、2年後に開催される次のワールドカップを目指すという。

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 自衛隊サッカーの存在がなければ、佐藤が熱い勝負の世界に戻ることはなかったかもしれない。第51回全国自衛隊サッカー大会に浜松基地サッカー部の一員として参加した佐藤は、その思いをこう話す。
「自衛隊でサッカーをできているのは大きい。こんなことになるなんて、全然、想像していなかった。大人になったら、プロとか日本代表にならない限り勝ち負けに本気でこだわってサッカーをする機会は多くない。でも、この大会(全国自衛隊サッカー)はみんなが気持ちを懸けている。こういう気持ちでサッカーをできることがすごく大きい。ビーチサッカーをすることに関しても、仲間がすごく応援してくれている」

 全国自衛隊大会では中盤でプレー。不安定な砂浜の上で正確性が要求されるビーチサッカーに取り組むうちに、ボールの扱いが丁寧になったと話すとおり、正確なパスでチームの舵を取り、ドリブルではボールを浮かし、奪いに来た相手の足をかわした。残念ながら決勝ラウンド進出はならなかったが、自衛隊サッカーをとおし、新たにビーチサッカーという目標を得た佐藤の目は生き生きとしていた。「今のビーチサッカー日本代表は、本当にワールドカップで優勝を狙える力を持っているので頑張ってほしい」と今はエールを送る立場だが、自衛隊サッカーをとおして技を磨き続け2年後の大舞台を目指す。


平野貴也

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト『スポーツナビ』の編集記者を経て2008年からフリーライターへ転身する。主に育成年代のサッカーを取材しながら、バスケットボール、バドミントン、柔道など他競技への取材活動も精力的に行う。