文=座間健司

初のタイトルに迫ったマグナ・グルペア

 試合終了の笛が鳴った瞬間、吉川智貴は思わず崩れるようにコートに座り込むと両手で頭を抱えた。赤い輪になって喜ぶエルポソ・ムルシアには見向きもせず、すべてを出し切った吉川は、ただただ涙を流していた。

 5月6日にスペインフットサル国内タイトルの1つ、コパ・デル・レイ(国王杯)決勝が首都マドリードから車で1時間のグアダラハラで開催された。

 スペインはフットボールだけでなく、フットサルでも大国だ。ワールドカップでは過去8大会で優勝2回、決勝進出5回。2年1度開催される欧州選手権では、10大会で優勝7回。スペイン代表の強さの要因の1つが、国内リーグの競争力の高さだ。スペイン代表選手に加え、ブラジル代表ら各国の実力者が競い合う。世界最強リーグとして認知されている。名古屋オーシャンズに在籍し、FリーグMVPを2度受賞しているポルトガル代表リカルジーニョも現在はスペインでプレーする。

 スペインには4つのタイトルがある。前シーズンのリーグ戦王者とカップ戦王者が戦うスーペル・コパ、プレーオフを含めたリーグ戦、レギュラーシーズン1巡目の上位8チームが開催地に集まり集中的に行われるトーナメントであるカップ戦コパ・デ・エスパーニャ、そしてコパ・デル・レイだ。

 コパ・デル・レイは2010-2011シーズンから創設された大会で、1部、2部のチームに加えて、プリメーラ・ナショナルA(地域リーグ1部)のチームが参加するトーナメント戦だ。準決勝までは、カテゴリーが劣る、もしくは前シーズンの順位が下のチームの本拠地で1試合行い、勝者を決める。準決勝はホームとアウェーの2試合でファイナリストを決め、決勝は中立地で1試合開催される。

 吉川智貴が所属するマグナ・グルペアは、今シーズン、コパ・デル・レイ決勝にクラブ史上初めて進出した。マグナ・グルペアは1978年スペイン北部ナバーラ州イルスンに創設され、1998-1999シーズンから今日まで1部のカテゴリーを保ち続けている。マグナ・グルペアは2009-2010シーズンのリーグ・プレーオフ決勝進出が最高の戦績で、タイトルを勝ち取ったことがない。今回のコパ・デル・レイ決勝はクラブにとって公式戦2度目の決勝で、タイトル獲得の最大のチャンスだった。

痛恨だった前半終了間際の失点

©座間健司

写真:マグナ・グルペアのサポーターが掲げる紙には「吉川!!! 今日は“勝利”だけがOK」と書かれていた。

 日本代表にも選出された吉川智貴は、名古屋オーシャンズからマグナ・グルペアにレンタル移籍して2シーズン目を迎えていた。「慣れて余裕が生まれるようになりました」と言うように、2年目の今シーズンは、持ち前の前線からのディフェンスだけでなく、ドリブルで切れ込み、ミドルシュートを狙うなど攻撃面でもその存在は日増しに大きくなっている。

 コパ・デル・レイ決勝では、マグナ・グルペアがエルポソを圧倒した。リーグ制覇5回など実績があり、かつ各国のスター選手を集めた名門相手にチーム同様、吉川も躍動する。前半は圧巻のパフォーマンスだった。エルポソのスペイン代表ピヴォ、アレックスを最後尾でマークし、激しいポジション取りに勝てば、次の場面では同じくスペイン代表アタッカー、ミゲリンの縦へのドリブルに身体を滑り込ませて、突破を封じていた。ディフェンスだけではない。左サイドでボールを受けるとドリブルから縦へ、もしくは中へ切れ込み、決定機をつくっていた。試合を生中継する実況も吉川の名を連呼する。「吉川は過去の日本人選手の中で最も戦略的に優れている」と元スペイン代表コーチ・カンチョがコメントしていた。

 スペインリーグでは岩本昌樹(現バルドラール浦安)、木暮賢一郎(現シュライカー大阪監督)、鈴村拓也(現デウソン神戸監督)、小野大輔(現バルドラール浦安)、高橋健介(現バルドラール浦安監督)、星翔太(現バルドラール浦安)、荒牧太郎(現バルドラール浦安)ら多くの日本人選手がプレーしてきたが、公式戦決勝でプレーした日本人は、吉川が初めてだ。吉川は決勝に到達しただけでなく、メインキャストとして舞台に立っていた。

 勢いに乗ったマグナ・グルペアは、会場に駆けつけた1,300人の緑のサポーターの後押しもあり、2点を先行した。その中心にいたのは、日本人選手だった。

 劣勢だったエルポソは、前半終了30秒前に第2PKを得た。そのチャンスをきっちり決めて、2-1で前半を折り返す。

 結局、この1点が重く響いた。

 前半を飛ばしたツケが、後半に重くのしかかる。吉川も「ああ、これはやばいなって」思っていた。後半が始まると前線からプレスにいけず、マグナ・グルペアは自陣に後退することが多くなった。

「僕も前からプレスに行こうとしましたが、チーム全体がもう上がらなくっていた」

 エネルギーは前半で使い果たしてしまったようだ。するとエルポソが完全に主導権を握り、そして試合残り90秒で、逆転に成功した。すぐさまパワープレーを始めたが、マグナ・グルペアに反撃の力はなかった。

 前半には多くのチャンスがあり、得点が決まったかのように緑のスタンドが声をあげたシーンは4回あった。その内2回を的中させたが、あともう1点決めていれば、マグナ・グルペアは前半の貯金で逃げ切れただろう。もしくは、前半終盤に軽率なファウルで第2PKを与えなければ、優勝カップを掲げていたチームは赤ではなく、緑だったかもしれない。

W杯アジア予選に続き、残った大きな悔しさ

©座間健司

写真:試合終了の笛が鳴ると、マグナ・グルペアの吉川智貴はコートにうずくまり頭を抱えた。



 マグナ・グルペアは表彰台に上がり、各選手がメダルをかけられ、キャプテンには慰め代わりの銀のプレートを渡された。スタンドの緑のサポーターに囲まれた道を登る吉川を多くの人が励ますように声をかける。肩を叩く。吉川はその間、顔を下に向けたままずっと泣いていた。

「こんなに応援してもらっているのに、もう申し訳なくて」

 吉川は2016年2月に行われたワールドカップ予選を兼ねたアジア選手権時に着用していた日本代表のユニフォームを、自宅のリビングに飾っている。日本はその大会で歴史的な敗北を経験した。準々決勝で敗れ、プレーオフも敗れ、2004年から3大会連続で出場していたワールドカップの出場権を勝ち取れなかったのだ。日本フットサルにとって一刻も忘れたい大会だが、吉川はワールドカップ出場を逃した悔しさを忘れないためにその大会のユニフォームを常に目の入るところに置いている。

 大きな挫折は、選手を向上させる。吉川はスペインで全てのチームから警戒され、尊重される存在になった。そして、今はスペインの大舞台では涙が枯れるほど悔しい思いをした。はたして、この経験は吉川をどんな選手に変貌させるのだろうか。


座間健司

1980年7月25日生まれ、東京都出身。2002年、東海大学文学部在学中からバイトとして『フットサルマガジンピヴォ!』の編集を務め、卒業後、そのまま『フットサルマガジンピヴォ!』編集部に入社。2004年夏に渡西し、スペインを中心に世界のフットサルを追っている。2011年『フットサルマガジンピヴォ!』休刊。2012年よりフットサルを中心にフリーライター&フォトグラファーとして活動を始める。