文=いとうやまね
ホスト国のアイデンティティとプロの仕事
©Getty Images 今大会のVI(ヴィジュアル・アイデンティティ)は、大会トロフィーである「ビッグイヤー」と、開催地ウェールズの象徴「ドラゴン」である。『トロフィーを守護するドラゴン』をイメージしているらしい。今大会に限らず、モチーフには毎年ホスト国の豊かな文化や歴史、精神が反映される。
ドラゴンは「ウェールズ旗」に描かれていることで知られるが、その由来は伝説に彩られている。本来は赤いのだが、今CLのドラゴンは「青」。あくまでデザイン上のことで、特に意味はないそうだ。
CLファイナルのVIは、会場となるスタジアムを飾る化粧はもちろんの事、使用ボール、ポスター、チケット、町中を彩るフラッグ、車両、テレビ、WEB、他、ありとあらゆるものに展開される。ドラゴンのフォルムそのものに加え、ウロコの文様を効果的に扱っているので、ぜひ注目してもらいたい。
コンセプチュアル・ワークとデザインは、UEFAのマーケティングパートナーであるルツェルン(スイス)のTEAM Marketingと、ロンドンのクリエイティブエージェンシーDesignwerkが共同開発している。このチームはUEFA主催の多くの大会をディレクションしている、プロ中のプロだ。細かいアプリケーション展開に至るまで、彼らがすべて一括して行っている。
カーディフ城とのコラボレーション
©Getty Images ファイナルの会場になっているのは、ウェールズの首都カーディフだ。その中心にそびえるカーディフ城の城壁の上に、突如巨大なドラゴンが出現した。その胸元にはビッグイヤー抱かれている。壁面には、ファイナリストの2チームを中心に、ここを目指して戦ってきた強者たちのフラッグが横一列に並んでいる。これを見れば、否が応でも気分が高まってくるというものだ。
カーディフ城は、遥かむかしの1世紀ころ、ローマ人がやって来て砦を築いたのがその歴史の始まり。ノルマン征服後は同じ場所に再び要塞が築かれた。現存する城郭は、19世紀に当時の城主が補修建築させたもので、現在はカーディフ市が所有している。
カーディフ市は町の様々なイベントを積極的に受け入れている。例えば、ウェールズ代表が活躍した2016年の欧州選手権では、城の中庭を開放し大々的にパブリックビューイングを行った。今大会のドラゴンは5月の半ばに設置され、期間限定の観光スポットとして話題になっている。公共の、ましてや歴史ある建造物群に巨大オブジェを取り付けるというのは、なかなか日本では許されないことだ。
カーディフ城はといえば、昔からその手のコラボに理解がある。2015年に開催されたラグビーW杯の時も、城壁を打ち崩すかのような巨大ラグビーボールが突き刺さっていた。ラグビーボールもドラゴンも、制作したのは地元の制作集団ワイルドクリエーションで、普段はCMや舞台、映画、展示会などでクオリティの高い仕事をしている。今回はUEFAから直々の依頼だったようだ。
ウェールズのドラゴン伝説
©Getty Images ドラゴンとウェールズの関わりを見てみよう。ブリタニア(古代イギリス)は、1世紀から5世紀初めまでローマ帝国の支配下にあった。当時のローマ軍は「トビトカゲ」の軍旗を使用しており、これがドラゴンの由来とされている。ローマ支配下のブリタニアでは、君主の多くがレッドドラゴンを軍旗にしていた。ウェールズ王室の開祖キネダも、英雄アーサー王もそれを受け継いだとされる。
ここまでは、おおよそ史実だ。ここから先は少しロマンティックな話になる。たくさんあるドラゴン伝説のうちのひとつを紹介しよう。『魔法使いマーリンの伝説』という話だ。
5世紀半ばになると、ローマ軍がブリタニアから撤退する。すると今度はヴォルティゲルンという国がこの地域を治めることになる。ヴォルティゲルンはウェールズに新しい要塞を建築しようとするが、日中建てたものが夜になると崩壊するという不思議な現象が起こった。王は魔法使いの少年に命じて原因を調べさせたところ、地下で赤い竜と白い竜が戦っていることがわかったのである。
魔法使いマーリンは、「この赤いドラゴンがブリタニア(ウェールズ)であり、白いドラゴンはアングロサクソン人を指している。力に勝っている白いドラゴンが、この後の“アングロサクソンによるブリタニア征服”を暗示している」と予言し注意を促したという。結局のところ、ブリタニアは運命には逆らえなかったわけだが、赤いドラゴンの勇気と誇りは守られ、ウェールズの「権威と団結」の象徴として、現在まで引き継がれている。
ウェールズの街を歩けは、頭上から足元まで、そこかしこにドラゴンを見つけることができる。ドラゴンはこの町そのものと言って、過言ではない。
過去10年のファイナルVIと東京五輪
ここからは、過去の「CLファイナル」におけるVIを一覧してみたい。一目で開催都市とそのスピリットが感じ取れるはずだ。VIには、開催する側にアイデンティティの再確認と名誉と誇りを、来場者および視聴者には期待感を促すという、重要な命題がある。クリエイティブサイドのエゴだけで突き進むと、たとえ良いデザインであっても、現場や人々が付いてこなくなる。
わが国では、2019年にラグビー・ワールドカップ、2020年には東京五輪という大きな催し物が続く。おそらく、現在急ピッチで各種デザインの落とし込み作業が行われているはずである。東京五輪のロゴマークは、すったもんだの挙句、市松模様をモチーフとした完成度の高いデザインに決まった。
もちろん、これで終わりではない。この市松模様は一体何なのか、東京とどう関わりがあるのかという“共通認識”を、ことあるごとにアピールする必要がある。なぜなら、東京人にとって市松模様は、ウェールズのドラゴンのように、誰もが知るアイデンティティではないのだから。
ミラノ2016 「ガッレリア」
イタリア・ミラノにある歴史的な巨大アーケード。イタリア王国の初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の名が冠されている。ガラスのドーム天井と床のモザイク画による紋章も見どころ。
ベルリン2015「ブランデンブルク門」
ドイツ・ベルリンの歴史的建造物。古典主義様式の門で、上に四頭馬車と女神ヴィクトリア像が乗っている。かつては東西ドイツを分断した門であり、ベルリンの壁崩壊の象徴でもある。バックはオリンピア・スタディオン。
リスボン2014「天球儀と風配図」
ポルトガルの大航海時代に使われていたアーミラリ天球儀。風配図は風の吹く方向と強さ、時期で方位を対応させるもの。形がバラの花びらに似ることから「ウインド・ローズ」と呼ばれる。ベレン地区の巨大モザイク画が直接のモチーフ。
ウェンブリー2013「王冠」
イングランド・ロンドン。コンセプトは、「ヨーロッパの王座を築く」。ファイナルを「戴冠式の場」と捉え、勝者が「ヨーロッパの王たち」と称される。モチーフの王冠は、ヨーロッパの王室のどこにもないデザイン。
ミュンヘン2012「ドイツ表現主義と現代建築」
ドイツ表現主義は、20世紀初頭のドイツで生まれた前衛芸術運動。相対するミュンヘンの街を中心とした多様な近代建築。その融合とエネルギーを表している。アリアンツ・アレーナもモチーフのひとつ。
ロンドン2011「向かい獅子」
英国の伝統的な紋章を、現代風にアレンジ。ライオンは「百獣の王」であり、勇気・力(権力)・王権の象徴。英語の2つの書体、Caslonで伝統や歴史を、Gillで新しさを表現している。
マドリッド2010「フェスタ」「アルカラ門」他
スペインと言えば「フェスタ」。華やかなリボン状のもので表している。フェスタを祭と訳すのはニュアンスが違う。祭は非日常だがフェスタは人生そのものらしい。アルカラ門はシベーレスの噴水と共にマドリードを代表するモニュメント。5つあるアーチの真ん中を通れたのは王のみ。
ローマ2009「コロッセオと月桂冠」
現代のトロフィーと古代ローマの勝利シンボル、月桂冠。コロッセオは古代ローマの闘技場であり、死をかけた真剣勝負が行われていた。現代のスタジオオリンピコの原型ともいえる。
モスクワ2008「聖ワシリイ大聖堂、ボリショイ劇場、他」
ロシア・モスクワにある、新旧ランドマーク的建造物を、1910年代半ばにはじまった、ソ連における芸術運動「ロシア構成主義」風にデザインしている。テーマは「ダイナミック・モスクワ」