文=大塚一樹
停滞するゴルフ界に現れた救世主
先月、今シーズン限りでの現役引退を表明した宮里藍が、引退表明後初の国内ツアーに挑んだ。8日、兵庫・六甲国際GCで行われたサントリーレディスの初日には、スター選手として長年女子ゴルフ界を牽引してきた宮里の勇姿を一目見ようと、平日にもかかわらず初日としては大会史上最多の6,735人が詰めかけた。
早すぎる引退を惜しむ声も聞かれるが、今回は宮里が日本ゴルフ界に残した足跡と、功績について「3つの神対応」という視点から改めて考えてみたい。
バブル景気とともにプレーヤーを増やし、一躍人気スポーツになっていったゴルフだったが、経済的な落ち込みはツアーにも深刻なダメージを与えた。バブル崩壊で痛手を受けたスポンサー企業の撤退が相次ぎ、1990年には44試合を開催していた国内男子ツアーは徐々に減少し、近年は30試合弱で推移している。
勢いをなくす男子ゴルフに変わって新たな時代を迎えたのが女子ゴルフ界。その担い手となったのが、当時、女子高生プロゴルファーとして大きな注目を集めた宮里藍だった。
2000年、中学3年時にすでに日本女子プロゴルフ協会 (LPGA) ツアー初出場を果たしていた宮里は、2003年にミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメントで優勝を果たす。その9日後にプロ宣言を行ったのだが、このときはまだ高校3年生。日本史上初の高校生プロゴルファーとなった。
日本経済の状況は相変わらずだったが、宮里の活躍と比例するように、女子ツアーの試合数は順調に伸びていった。宮里がツアーに初出場した直後の2001年には男子ツアーの試合数を上回り、その差は開く一方。女子ツアーだけが活況を呈するのには、明確な理由があった。
“藍ちゃんフィーバー”は、“年配の男性”“接待”“バブリー”という旧来のゴルフが持っていたイメージを払拭するのに十分なインパクトを持っていた。ファンにも笑顔で対応し、サインにも快く応じる。いまでこそ当たり前の光景だが、当時のゴルフ界のファンと選手の距離感は近いとは言い難かった。そんななか、宮里藍が見せた対応は、ゴルフに新たなファンを呼び込む神対応だった。
ツアー数増加に貢献したスポンサーへの神対応
©Getty Images 観客数が増え、テレビ中継の視聴率も上がり続けた女子ツアーは、スポンサーからも注目を集める存在になる。男子ツアーをさておいて、女子ツアーにスポンサードしたいという企業も多かった。はじめはブームに乗っかるつもりで手を挙げた企業も多かったが、宮里や同い年のライバル横峯さくららを中心とした女子プロゴルファーたちは、トーナメントの前夜祭、プロアマ戦などにも積極的に参加し、開催地や協賛企業へ“プロ”として誠意を持った対応を続けた。こうした努力の甲斐ああって、2017年の女子ツアーは、レギュラーツアー38試合、スタップアップツアー21試合、シニア女子ツアー5試合、特別支援大会を合わせると67大会と増加を続け、賞金総額も史上最高を更新している。
バブル期、それ以前のゴルフ界には欠けていたファン目線、スポンサーを意識したプロ意識を持ち込み、確立したのが宮里藍だった。スポンサー企業にとって、宮里をはじめとする女子選手たちの神対応は、スポンサード継続の十分な動機になったはずだ。
後輩に範を示したメディアへの神対応
©Getty Images 男子、シニア、女子 チームが一堂に会するスリーツアーズ選手権という大会がある。2005年、この大会の記念すべき第1回大会を取材したときのことだ。宮里藍、横峯さくらを擁する女子チームはギャラリーからも大注目を集め、取材も集中した。
プレーや大会への質問が続く中、あるテレビ番組の特集で毛色の違う質問をする必要があった。担当番組では、男子、シニア、女子、それぞれのティーの位置を決めるコースディレクターが主役だったため、ティーの位置を含めたコースディレクションについて聞かなければいけなかった。メディア対応に立った宮里と横峰は、はじめは戸惑っていたが、こちらの質問の位置をしっかり理解しようと、技術的な解説も交えながら時間を割いて丁寧に答えてくれた。
宮里以降、ゴルフの、特に女子ゴルフ選手のメディア対応は年齢にかかわらず、どんな質問にでも自分の言葉でしっかりと答えることが主流になった。協会が研修を行うなどの努力ももちろんあるが、後輩たちにとっては宮里藍というロールモデルの果たした役割は大きい。2006年に宮里自身がアメリカツアーに専念してからは、日本ツアーに与える直接的な影響は減ったが、宮里のゴルフにかける情熱、チャレンジ精神、プロゴルファーとしての振る舞いは同世代の、そして後輩のゴルファーたちに大きな影響を与え続けている。
東北高で2学年下有村智恵は、「神様みたいな存在で、プロゴルファーとしてもお手本だった」と宮里の引退を惜しんだ。幼少期から切磋琢磨し合った盟友・横峯さくらも自身のブログで「藍ちゃんと友達になれたこと。同じときにゴルフができたことは、私にとってとても大切な宝物です」と綴っている。
ファンだけでなくライバル、後輩たちからも愛された宮里藍の勇姿を見られるのはあとわずかだが、宮里藍というプロゴルファーの登場以降、女子ゴルフはプロスポーツとしての価値を大きく高めたことは紛れもない事実だ。