インタビュー=内田暁、撮影=松岡健三郎

アメリカに行けばプロ転向の選択肢を残しつつ勉強できる

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(2009年の高校総体。女子シングルス決勝で秀明八千代の美濃越舞を破り優勝した渋谷教育幕張の小和瀬麻帆)

――最初にアメリカの大学に興味を抱いたのは、いつ頃だったのでしょう?

小和瀬 実はすごく幼い頃……父親の仕事の関係で、タイのバンコクに住んでいた5~10歳のときでした。その当時、現在ATPのオフィシャルフィジオとして活躍されている鈴木修平さんのご一家もバンコクに住んでおり、家族ぐるみで仲良くさせていただいていました。私にとって8歳年長の修平さんは、お兄ちゃんみたいな存在。その修平さんがアメリカの大学に行くと聞いて「かっこいいな!」と思いました。帰国してからは吉田記念テニス研修センター(TTC)に通っていたのですが、今度はそこで先輩である鵜沢周平さんがアメリカの大学で活躍していると知り、改めて行きたいなと思ったんです。最初は、「英語かっこいいな、外国かっこいいな」という漠然としたあこがれでしたが、その後に鵜沢さんから具体的に「奨学生になればお金も出る、勉強のサポートもすごい」という話を聞き、「だったら、私も頑張ってみよう」と思いました。

――最終的にアメリカの大学進学を決意したのはいつ頃ですか?

小和瀬 高校に入る前から大学はアメリカに行きたいと思っていましたが、具体的に決めたのは高校2年生のときです。ただ実は高校3年生になったばかりの頃、一度「もうテニスをやめる!」と思い詰めたことがありました。ガットも全部切って(苦笑)。最上級生になったときに下の世代からのプレッシャーも感じたし、同期の友人でライバルでもあった美濃越舞ちゃんに3連敗したというのも大きかったと思います。私の年代は同期に土居美咲さんや奈良くるみさんがいて、一つ下にも江口実沙さんや今西美晴さんがいたとても層の厚い世代。それらジュニアの頃から世界で戦う同世代がいる中で、「自分はプロに行けないんじゃないか、これだけ頑張ったのにプロでやっていけないんじゃないか……」と怖くなりました。誰もが突き当たる悩みだと思いますが、「もしプロでできないなら、なぜ今やっているのか? ダメなら早いうちにやめたほうが良いんじゃないか、こんなに苦しいのに……」と思ってしまって。その中でアメリカの大学を選んだのは、大学に行けばプロ転向の選択肢を残しつつ勉強もできるので、可能性を広げられるというのも大きかったと思います。

すべてがカバーされるフルスカラシップ

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(左=2004年RCA選手権に出場したトーマス嶋田)

――具体的には、どのような手法で進学先を見つけたのでしょう? 仲介企業などがあったのですか?

小和瀬 いえ、私のときにはまだ仲介役の企業などはありませんでした。なので、DVDに自分のPR動画を焼いてアメリカの大学へ一斉に送りました。あと大きかったのは、元デビスカップ日本代表選手で、今はナショナルチームのコーチをされているトーマス嶋田さんの存在です。TTCの関係者とトミー(トーマス)さんが知り合いだったという縁もあり、トミーさんに全面的に助けていただきました。実際に大学探しに動き始めたのは、高校3年生の晩夏でした。アメリカの大学は9月が新学期なので、ちょうど1年前くらいです。ただこれはすごく遅いケースで、今はもっと早くなっていると思います。9月頃からいくつかの大学に連絡を取り、11~12月くらいには密に連絡を取り合うようになりました。翌年1月には、トミーさんが当時コーチをされていたサウスカロライナに語学勉強を兼ねて滞在させていただき、その間に大学のコーチに来ていただいたり、自分で尋ねて見学させていただいたりしました。アメリカの大学には“48時間訪問”という制度があり、奨学生候補には2日間大学見学をするための飛行機代や、宿泊費まで出してくれるんです。そこで複数の大学を見た中から、最終的にはジョージア大学を選びました。

――小和瀬さんが奨学生に選ばれたのは、高校時代の戦績が評価されたからでしょうか? それともジュニアの国際大会での獲得ポイントなどでしょうか?

小和瀬 両方だと思います。ただ私は、ITF(国際テニス協会)のジュニアランキングはそれほど高くありませんでした。なので、国内の戦績で大丈夫だと思うし、実際にコーチが見て「合格」と言えば合格なので、コーチとのコミュニケーションも大きいと思います。あとは、スカラシップの枠が空いているかどうかのタイミングですね。大学にもよると思いますが、ジョージア大学女子テニス部には、フルスカラシップ(全額奨学金)枠が8枠ありました。その枠が埋まっていると新入生には回らないのですが、私のときはちょうど4年生がまとまって卒業したので、新規で6つの枠があったんです。NCAAのシステムが素晴らしい点は、アメリカンフットボールやバスケットボールなどの人気競技で得た収益金をすべての競技に配分している点です。しかも、男女雇用均等法がNCAAにも適用されているので、男女で使える奨学金も同額なんです。ただ、男子はアメフトなど大人数の選手を要する競技があるので、そちらに多くのお金が使われます。すると他の競技では、女子のほうがスカラシップ枠が多かったりするんです。ジョージア大学テニス部の場合は、男子は確か4~5枠だったはず。「女子で良かったね」と、他の子たちとも冗談で言っていました(笑)。

――フルスカラシップとは、どこまで金銭的にカバーされるのでしょう?

小和瀬 大学によって違うと思いますが、私の場合は本当に全部出していただいて……それこそ、コンタクトレンズ代まで出してもらえました(笑)。授業料から教科書代、家庭教師まで出ます。というのも、大学側から「家庭教師を受けなさい」と言われましたので。医療費もすべてカバー。宿舎代や食費、試合の遠征費はもちろん、ラケットやウェアなどの用具も全部出していただけたので、本当に恵まれていました。

――複数あった選択肢の中で、ジョージア大学を選んだ決め手は何だったのでしょう?

小和瀬 私は好奇心が旺盛なので、栄養学や心理学、それこそビジネスも勉強したいと、勉強面でもいろいろと楽しみにしていました。ただ一番のプライオリティは、やはりテニス。7校ほどからオファーをいただいた中で、地域で選ぶのか、大学そのもののレベルで選ぶのか、あるいはスポーツのレベルなのかといろいろと考えましたが、最終的にはテニスの強さと環境で決めました。実際にジョージア大学を訪れたとき、施設の素晴らしさに圧倒されたんです。コートはインドア12面、アウトドアも4面あり、それがすべて20名ほどのテニス部員のためだけにあるんですよ! ジムも充実しているし、スタジアムも最大で5000人の観客が入れる大きさ。それらを見て、「こんなところでテニスができる機会はない」と思い決断しました。

NCAA所属選手のキャンパスライフ

©小和瀬麻帆

(共にキャンパスライフを過ごしたチームメートと卒業式で記念撮影)

――まずは進学されたジョージア大学ですが、キャンパスや周囲の大学街も含め、どのようなところなのでしょう?

小和瀬 大学があるアセンズという街は、正直に言ってしまうとかなりの田舎です(笑)。車で10分走ると牛がいるという感じでした。大学があるから栄えた街なので、勉強とスポーツに集中できたし“アメリカのカレッジ生活!”というのを満喫できました。在学中はドーム(dormitory=学生寮)に滞在していましたが、その中でも奨学生専用のランクの高いドームに住ませていただきました。シャワールーム付きの個別の部屋があり、リビングとキッチンを4~5人でシェアするのが基本です。リビングで他の人と話したり勉強したりするのですが、大学の方針として、いろんな競技の生徒たちが集まるようにしていたようです。なので私のルームメートにも、オリンピックで金メダルを取った競泳の選手がいたりしたんです。競技は異なっても同じアスリートだし生活リズムも同じなので、みんな仲良くなりました。大学によっては海外からの学生が多いところもありますが、ジョージア大学は母校愛が強い人が多いこともあってか、アメリカ国内の生徒が多かったですね。テニス部では入学時は私以外にスペイン人が一人いるだけでした。なので、最初は英会話がきつかったです。後にロシアの子も入ってきたので、「こういう表現や発音がわからないよね!」と共感できたりしましたね(笑)。

――英語は進学前から勉強されていたのでしょうか?

小和瀬 はい。TOEFLも取りましたし、SAT(大学進学適性試験)も受けました。それでも実際の会話は勉強とは違うので、やはり難しかったですね。いきなり英語で大学の授業を受けるのですから。ただ、その中でも大学には教育指導官がいて、どのクラスを取ったら良いかなどの助言をくれます。あとメンター(mentor=指導者)という役職の方がついてくださり、その方が「ここを勉強した方が良い」、「ここは家庭教師をつけて集中的に勉強しよう」とアドバイスをくださります。なので、学業面の待遇はばっちりでした。

――何を専攻したんですか?

小和瀬 マーケティングと、インターナショナルビジネスを専攻しました。アメリカでの就職は多くの場合、企業などに応募する時点で“この資格、この学部の学位がないとダメ”というようにはじかれるので、みんな将来を見据えながら勉強しているし進路も選んでいます。ただ多くの大学では専攻を決めるのは3年生からなので、それまでは考える時間があるのが良い点だし、私がアメリカの大学を選んだ理由の一つでもあります。

――勉強は厳しかったですか?

小和瀬 厳しかったです! 授業の評価は4点満点なのですが、評定平均が2.0を下回ってしまうと、NCAAの基準で試合に出られなくなるんです。なので、コーチたちも「勉強しろ!」という感じで、時々「今日はテニスはなし! 勉強しよう」という日があるくらいでした(笑)。実際問題、選手も忙しいし眠いし疲れているので、それくらいプッシュされないとなかなか難しいところもあります。あとはNCAA所属選手全員が同じ条件なので、試験が近づくと競技の枠を超えて600~800人くらいのアスリートたちが情報交換しながらドームで勉強していました。

――大学での1日のタイムテーブルを教えて頂けますか?

小和瀬 6時半から走り込みなどの朝練習。授業を受けるのは8時~12時の間です。その後にお昼を食べて、ストレッチなどをしてから2~4時くらいがテニスの練習になります。4~6時頃がウェイトやアジリティ(敏捷性)のトレーニング。その後にご飯食べて勉強して、10時には寝ていました。2~3年生くらいになると、いつ頑張るべきかがわかるし自分でスケジューリングもできるようになるので、外に食べにいく時間も作れます。でも1年のときはカツカツで……。本当に1分も無駄にしていないと思いました(笑)。そこで「どうしてそこまでできたのだろう? 日本と何が違うんだろう?」考えたとき、思い至ったのが移動時間の短さです。住む場所も教室もコートもすべてがキャンパス内にあるので、10分くらいで移動可能。キャンパスですべてが完結するんです。

専属の栄養士や心理士もいる環境

©小和瀬麻帆

(「チーム・ファースト」という初めて近い経験を得た大学対抗の団体戦)

――逆にそのような環境の中で、ホームシックにはなりませんでしたか?

小和瀬 ありました。最大のストレスは英語で自由に話せないこと。夜に眠れなかったり、日本に帰りたいと思ったり……。あとは食生活が変わったために太ってしまい、テニスでも動きが悪くなったことも悩みでした。でも、そのときにも栄養士さんにメニューを考えてもらったり、スポーツ心理学の方に話を聞いていただいたりと、大学のサポート体制に助けていただけました。

――アスリートのために栄養士や心理士たちがいるのですか?

小和瀬 はい。心理士の方にはプライベートな相談もできますが、基本的な役割はパフォーマンスを引き出すことです。チーム全員に心理学を教えてくれたり、チームメートとの関係性やコーチとの悩みなどを個別に相談もできたりします。栄養士も含め3~4人はサポートしてくださる方たちがいたので、恵まれた環境でした。また、アスレティックトレーナーやフィジオは、テニス専属の方がいたんです。それらスタッフの多くは大学院生で、その上に統括しているプロの方がいました。NCAAでは、院生が勉強しながら実地経験を積むことができ、なおかつお金もきちんと稼げるシステムが整っているんです。

――そのような素晴らしい環境の中、スカラシップをもらっているが故のプレッシャーはありませんでしたか?

小和瀬 率直に言うと、すごく楽しかったです! NCAAのテニスシーズンは1~5月で、その間はずっと大学対抗の団体戦です。なので“チーム・ファースト”という感じで、個人戦を戦いながらもチーム戦であり、それは私とって初めてに近い経験だったんです。負けそうな試合でも、たとえ1ポイントでも取ればチームへの影響や雰囲気も変わるので、頑張れました。ただカルチャーショックだったのは、ジュニアの頃のコーチは自分だけを見てくれたけれど、大学では当然ながらそうではありません。みんな我も強いので衝突することもありました。そのあたりはセラピストの方とも話をして、お互いの違いを認めつつ尊敬することや、自分自身について学べたのも大きかったと思います。大学で共に戦ったチームメートたちとは、今でも連絡を取り合う良い友人になりました。

<後編へ続く>

【後編はこちら】レベルもスケールも桁違いのNCAA 小和瀬麻帆のNCAA体験記

アメリカのジョージア大学にテニス特待生として進学し、強豪校でエースとして活躍した小和瀬麻帆さんは、自身の経験を広めることで、進路選択に悩む後進に「このような道もあることを知らせたい」と熱く訴える。強豪ジョージア大学で活躍し、ダブルスでは全米学生2位になりながらも、小和瀬さんはプロの道を選ばなかった。大学でテニスを終えた後、彼女は何を思い、どのような道を選んだのか? そして今、胸に抱く将来の夢とは――。パイオニア的な存在として海を渡り、今は“セカンドキャリア”を歩む彼女の言葉をお伝えする。

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プロ転向へ悩む有望若手選手の新たな選択肢となっているNCAA

世界を転戦するプロテニスプレーヤーに転向するにあたって、実力もさることながらツアー参戦する金銭面など不安な要素は数多く存在する。プロ転向か、進学か……テニスを続ける上で悩む有望若手プレーヤーに、最近はアメリカの大学に進学しNCAAに参戦するという選択肢がスタンダードになりつつある。

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内田暁

6年間の編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスとして活動し始める。2008年頃からテニスを中心に取材。その他にも科学や、アニメ、漫画など幅広いジャンルで執筆する。著書に『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)、『中高生のスポーツハローワーク』(学研プラス)など。