小和瀬麻帆のNCAA体験記 不自由のない文武両道

日本テニス界のトップジュニア選手の間で、“進路”として注目されているのがアメリカの大学である。特待生として奨学金を得て、テニスと勉学を両立する文武両道の道。小和瀬麻帆さんは高校時代、国内のトップ選手でありながら、プロ転向、日本の大学進学ではなく、海外に可能性を求めた選手である。後進にも道を拓いた小和瀬さんのインタビューをお伝えする。

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インタビュー=内田暁、撮影=松岡健三郎

NCAAのテニスに2000人くらいがお金を払って見にくる

©小和瀬麻帆

(写真=アメフト会場で行われたSECチャンピオンの表彰式)

――ジョージア大学はNCAAのディビジョン1(1部リーグ)に属していました。NCAA内での大学の順位や“強さの指標”とは何になるのですか?

小和瀬 NCAAのテニスシーズンは1月〜5月なのですが、1~2月がインドアシーズンで、この間に“インドア・ナショナル”という大きな大会があります。そして2月〜4月の終わりまでが、カンファレンス(地区)リーグ戦の時期。カンファレンス内で総当たりをし、各カンファレンスの優勝チームが全米選手権に出られます。そして一番大きな大会が、全米で上位64校のみが出場できるNCAAトーナメントです。これは1~5月までのシーズンを通して、毎週変わる全米ランキングによって出場校が決まります。その週替わりのランキングで、私がいたときのジョージア大学が全米ランキング1位になったこともあるんです。NCAAトーナメントでの最高戦績は、団体戦がベスト8。個人戦はシングルスがベスト16で、ダブルスでは2位になりました。

――ダブルス2位はすごいですね! それら数々の試合のなかで、最も思い出深い試合とは何でしょう?

小和瀬 思い出の試合は、2つあります。一つは、2年生のときの団体戦。先ほど64校がNCAAトーナメントに出られると言いましたが、その1~2回戦は“シード校”に選ばれた4校で開催され、それらを勝ち上がった16チームが、最後に一つの会場に集まりトーナメント戦を戦うんです。私が2年生のとき、ジョージア大学がそのベスト16トーナメントの開催校に選ばれました。それなのに2回戦で、負けそうになっちゃったんです。

――もし2回戦で負けてしまうと、他の学校が自分たちのキャンパスで優勝争いするのを見なくてはいけなくなってしまうんですね!?

小和瀬 そうなんです! なので、絶対に負けられない試合だったのに、チームは窮地に追いやられてしまい……。私のシングルスも1-6、0-5くらいでリードされてしまったのですが、どう考えても私が勝たないとチームは勝てないという大変な状況になってしまって(苦笑)。でも、そこから逆転勝ちしたんです! そのときには観客全員が応援してくれて……今思い返しても震えがきます。みんなに応援されて、あそこまでのテニスをできたというのは団体戦ならではの経験でした。もう一つの思い出の試合は、私にとって大学最後の試合。NCAAトーナメントのダブルスで、それもホーム開催で決勝まで行ったんです。その決勝戦が私にとって最後の試合というのは、チームメートはもちろん、地元のみなさんもわかっていました。なので、私たちの試合のためだけに2000人くらいの観客がお金を払って見にきてくださったんです。これも思い出深い試合でした。ただこの話には、オチがあって……(笑)。その試合が私にとって大学最後の一戦ということはみんなが知っていたのですが、私のパートナーは3年生だったので、彼女にとっては最後ではなかったんです。そのような状況下で、むしろパートナーのほうが緊張してしまったようで、試合前に彼女は顔面蒼白。それを見た私の顔も真っ白。会場に入った瞬間の大拍手で、さらに頭も真っ白! 第1セットは、お互いに何をしたか全く覚えていないような状況で、自分が手に握っているのがラケットなのか何なのかもわからないくらい。キャリアで最も緊張した試合で、結果は大負けでした(笑)。でも、あそこまで頑張って勝ち上がり、あのような良い環境で試合ができて、自分のコンディションも良かった中でのボロ負けでしたので、最後は「私のテニス人生、良かった!」と未練なくパッツリやめられました。もしあそこで勝っていたら、全米オープンのワイルドカード(主催者推薦枠)がもらえていたはずでしたが、おかげですっきりとやめられたと思います。

トップクラスとのレベル差を感じた大学での競技生活

©小和瀬麻帆

(写真=多くの出会いや対戦からプロの世界は「自分は難しいなと思えた」)

――そこまで結果を残していても、プロ転向は考えなかったのですか? 

小和瀬 確かに「なんで?」と聞かれたときもありましたが、大学でやっていく中で、「仮にトライしたとしても、これくらいかな」というのが自分で見えたのかなと思います。リスクのある仕事ですし、一人で世界中を旅して……というのも自分の性格上合わないのかもと思いました。ビジネスの仕事など、他のこともやりたかったというのもありました。でも、簡単に言ってしまうと、自分には難しいというのがはっきり見えました。アメリカの大学でやっていく中で、それが見えたのですっぱり辞めました。たとえば、同じ時期に大学でやっていた選手にニコール・ギブス(スタンフォード大学卒業後、2013年にプロ転向。最高ランキング76位)がいますが、彼女とは2回ほど対戦して歯が立ちませんでした(笑)。男子では、ジョージア大学のOBにジョン・イズナー(2007年にプロ転向。最高位9位。208cmの長身から打ち下ろすサーブが武器)がいます。ときどき大学に来てくれたので、彼が打ったサーブを間近で見たことがあるのですが、2階まで跳ねていく勢いでした(笑)。あとはスティーブ・ジョンソン(南カリフォルニア大学卒業後、2012年にプロ転向。最高位21位)も、うちの大学に来たときにプレーを見ましたが、コート上の立ち居振る舞いも、ふてぶてしいまでに自信満々でした。彼も大学では、ほぼ負けなしという強さだったんです。プロで戦っているのは、あのような人たちばかり。そのような人たちを身近で見ていたこともあり、自分は難しいなと思えたというもあります。実際にプロに行った後に、ほどなくしてやめた人も少なくありませんでした。でも、みんな学位は持っているので、テニスをやめた後も法律学校に行ったり、お医者さんになった人もいます。そのように幅広い人たちと一緒にテニスができ、友人になれたのもアメリカの大学に行って良かったなと思う点です。

アメリカと日本では大学スポーツの人気や注目度が違う

©小和瀬麻帆

(写真=大学院の卒業式でのヘッドコーチとの記念撮影)

――プロにはならないと決めた後、進路をどのように決めて行ったのでしょう?

小和瀬 考える時間が欲しかった……というのが正直なところです。大学での4年間、ずっとテニスをやっていて就職活動もしていなかったので、少し時間が必要でした。あとは、「なんでアメリカの大学って、こんなにお金があるんだろう? 日本の大学スポーツとは何が違うんだろう?」と疑問に感じ、それを知りたいという思いも大きくなりました。そこで、大学院に進みスポーツマネージメントを学ぶことにしました。
実は、大学院にも1年間は奨学金で行くことができたんです。というのも、NCAAのスカラシップは、授業料などは5年間の分が出るんです。学生アスリートは遠征も多いので、どうしても必要なクラスが取れないこともあり、4年間で卒業できないことがあります。そのような状況を考慮して、競技には4年間しか出られないのですが、授業を受ける分のお金は5年分出してもらえるんです。しかも、4年で卒業できたら、残りの1年分を大学院に充てることもできます。私は4年で卒業したので、奨学金を大学院でも使えました。

――先ほど、アメリカの大学には潤沢にお金がある理由を知りたいとおっしゃっていました。大学院で、その答えはみつかりましたか?

小和瀬 私もまだ勉強中のところもありますが、簡単に言ってしまうと、アメリカと日本では大学スポーツの人気や注目度が違うという点。その中でも大きいのは、テレビのスポンサーシップだと思います。アメリカでは、ケーブルテレビが一般化していて数百のテレビチャンネルがありますが、その中でみんなが見るチャンネルは何かというと、やはりスポーツ。あとは色々な人種の方がいる中で、どの大学出身かという話題で盛り上がることが多いと思います。出身大学が自分のアイデンティティーの一つになっているので愛校心も強いし、グッズなどもよく売れます。そして一番は、NCAAという組織とルールがしっかりしていること。お金も均等に各競技に回るようになっています。NCAA自体も問題がないわけではありませんが、大学院生がトレーナーとして勉強しながら経験を詰めたり、学生アスリートが試合に出るには学校の成績も決まっていたり、そのあたりのシステムは本当にしっかりしています。

スポーツ界へ恩返しがしたい

©松岡健三郎

――テニス後のキャリアを考えるには時間が必要だったとのことですが、どんなことをやろうと思われましたか?

小和瀬 結論から言うと、本当に悩みました。今までは「この大会」、「このテスト」と目の前に明確な目標があって、そこを目指し頑張れば良かったのに、いきなり「何をやっても良いです!」となったので……。最初は、アメリカでコンサルタントなどの仕事に就きたいと思ったのですが、やはり就労ビザの問題で難しくて……。インターンをやったり、企業説明会などに参加したりする中で、自分の強みを考えたときやはりテニスだ、と思いました。そこで現在の会社(SAPジャパン)に決めました。SAPはドイツが本社のIT企業で、WTA(女子テニスツアーの運営団体)の公式スポンサーでもありますし、オリンピックやサッカーなどスポーツと深く関わっています。最近ではサッカーの岡田武史監督と提携して、ビッグデータの作成や解析なども行っているんです。

――やはりスポーツと関わっているのが、就職先選びの決め手だったのでしょうか?

小和瀬 そうですね、スポーツと関わっていける企業に興味がありましたし、スポーツをデータで解き明かすというのも面白そうだと思いました。ビジネスで使うノウハウをスポーツでも使えるし、スポーツで培ったノウハウをビジネスにも応用できる……そのブリッジがあるというのは面白いと思いましたし、普遍的に成功するためのカギを探したいという思いもありました。就職して、ちょうど1年ほど。私はまだ直接それらスポーツと関わる仕事はしていませんが、ゆくゆくはと思っています。

――テニスをやってきた経験や大学で学んだことは、現在のお仕事でどのように役立っていますか?

小和瀬 今は毎日が勉強ですが、テニスをずっと続けてきたことで得た、一つのことを頑張れるという自信や実績は大きいと思います。それに、大学で培ってきたスケジューリングやセルフマネージメントのノウハウは、今の仕事にも生きていると思います。あとは本当に自由な会社なので、自分の仕事をこなしたうえで自由な時間があれば、他の部署のミーティングに出ても良いと言ってもらえます。私も何回か、スポーツ関連のミーティングにも出させていただきました。

――現在、テニスとの距離感は?

小和瀬 正直、最近はちょっと離れてしまっているんです。ATP(男子テニスツアー運営団体)でインターンシップをやっていたことがあり、ATPの日本語版フェイスブックのお仕事もしていたのでテニスは見たいし、友人もテニス関係が多いので関わっていきたいのです。プレーもあまりできていないのですが、水泳やヨガなどスポーツはいろいろとやっています。

――では、小和瀬さんの将来の夢や目標、思い描く理想のビジョンを教えていただけますか?

小和瀬 そうですね、いつも「あれがしたい、これがしたい」と考えているのですが、一番大きいのは世界を舞台に仕事をしたいということ。それと、最後はスポーツ界に恩返しをしたいという思いです。特に直近の目標としては、もっとアメリカの大学に行く選手を、テニスだけでなくいろいろな競技で増やす手助けができればと思っています。このような選択肢があることをみんなに知って欲しい、そのことによって日本のスポーツも盛んにできればと思います。

――特にテニスは、インターナショナルな競技。世界への扉も開かれやすいですよね?

小和瀬 そうですね、私も子どもの頃から海外遠征に行く機会が多かったので、外国への抵抗も少ないし海外の友人も増えました。でも、テニスだけでなくゴルフや野球、サッカーなど、多くの競技に門戸は開かれていると思います。特に私がジョージア大学にいたときは、女子サッカーのコーチに「日本に誰か良い選手はいない?」とよく聞かれました。日本人は真面目なので、チームメートとしてはどの大学もとても欲しい人材だと思います。選手だけでなく、トレーナーとして活躍されている日本人もたくさんいます。もちろん、英語など言葉の壁もありますが、そこさえクリアし、行きたいと手をあげ手段を見つけられば、いくらでも可能性が広がっていくと思います。そのような方たちの手助けをすることでスポーツ界への恩返しをすることが、今の私の目標です。

【禪編はこちら】小和瀬麻帆のNCAA体験記 不自由のない文武両道

日本テニス界のトップジュニア選手の間で、“進路”として注目されているのがアメリカの大学である。特待生として奨学金を得て、テニスと勉学を両立する文武両道の道。小和瀬麻帆さんは高校時代、国内のトップ選手でありながら、プロ転向、日本の大学進学ではなく、海外に可能性を求めた選手である。後進にも道を拓いた小和瀬さんのインタビューをお伝えする。

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プロ転向へ悩む有望若手選手の新たな選択肢となっているNCAA

世界を転戦するプロテニスプレーヤーに転向するにあたって、実力もさることながらツアー参戦する金銭面など不安な要素は数多く存在する。プロ転向か、進学か……テニスを続ける上で悩む有望若手プレーヤーに、最近はアメリカの大学に進学しNCAAに参戦するという選択肢がスタンダードになりつつある。

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内田暁

著者プロフィール 内田暁

6年間の編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスとして活動し始める。ロサンゼルス在住時代にテニス、総合格闘技、アメリカンフットボールなどのスポーツの他、ファッションや映画、アニメなどの現地情報を日本の雑誌などに寄稿する。2008年に帰国してからはテニスを中心に取材。その他にも幅広いジャンルで執筆する。近著は『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)。