文=下薗昌記

夢の海外移籍が1年越しで実現

©下薗昌記

ガンバ大阪が誇る新たな俊英が、シーズン途中に新たな挑戦を選択した。

U-20ワールドカップでは4戦3発。日本のエースとして「ドウアン」の名を世界に知らしめた19歳が次に選んだ舞台はオランダだった。

オランダリーグ1部のFCフローニンゲンへの期限付き移籍が発表された23日、ガンバ大阪のクラブハウスで行なわれた記者会見で堂安は「本当に一年間、死に物狂いでやっていきたい」とその決意を口にした。

やはり1年前の今頃、オランダの名門PSVがオファー。「行きたいです」と当時も口にしていた堂安だったが、夢だった海外移籍への夢を一旦封印するきっかけになったのはアカデミーの先輩、宇佐美貴史のお別れセレモニーに刺激を受けたからである。

昨年6月25日の名古屋グランパス戦でシーズン初のメンバー入りを果たした堂安は、試合後に行なわれたセレモニーを見て、改めてこう決意したという。

「宇佐美君みたいに、ああやって送り出される選手になりたい。トップで1点も取っていないのに海外に行くのは申し訳ない」

どこかやんちゃ坊主の雰囲気を残す19歳だが、プレー面や自分の立ち位置を冷静に見つめることが出来るのが、この男の持ち味でもある。

堂安が早期の日本代表入りよりも求めたモノとは

©Getty Images

10年ぶりとなるU20ワールドカップへの出場権を勝ち取った昨年10月のU19アジア選手権では日本の初優勝に貢献し、大会MVPも獲得。しかし、「あんな出来で不本意だった」と悔しさを隠そうとしなかったレフティに長谷川健太監督は、明確な課題を突きつけたのだ。

「もっとスピードが欲しいな」

「僕もそう感じています」

今年1月のオフには岡崎慎司らを指導している杉本龍勇氏のもとで走り方の改善にも着手。ボールテクニックに秀でたガンバ大阪アカデミー育ちの良さは残しながらも、オフザボールの動きや単純な走力アップに取り組んで来た成果がU-20ワールドカップで随所ににじみ出た。

「昔からオンザボールの選手でオフの動きはしなかったが、だいぶゴール前でもオフの動きが増えて来た」と長谷川監督もイタリア戦の先制点を称賛。一方で、持ち味でもあるフィジカルの強さとドリブル突破も欧州やアフリカ勢などタイプの異なる同世代に通じるところを見せつけた。

「サッカー人生を変えるぐらいの気持ちで挑みたい」(堂安)。大会前から、海外進出への足がかりにすべく意気込んでいたU-20ワールドカップの活躍は、FCフローニンゲンを含めたいくつかの欧州クラブからのオファーを呼び込んだが、堂安の背中を後押ししたのは更なる成長への渇望だ。

「やっと試合に出られるようになってガンバに対する愛着もあるし、タイトルを取るというのも選択肢にありましたけど、それと比較しても自分が成長したいという気持ちの方が強かった」

3年後に待つ東京五輪ではなく、わずか1年先のワールドカップロシア大会を目標に定めた19歳だが、日本代表に選出されるためにガンバ大阪を離れるわけでは決して、ない。

先日行なわれた最終予選のイラク戦の日本代表には井手口陽介や三浦弦太、倉田秋らガンバ大阪からは最多の5人が招集。「日本代表に選ばれるだけならこのまま、ガンバにいるほうが早く選ばれるかもしれないけど、代表に入るだけじゃ意味がないし、ベンチにいるだけじゃ嫌なんで」

多士済々の海外組がズラリと並ぶ日本代表の前線に割って入る存在になるために、選んだのがFCフローニンゲンでの挑戦だった。

堂安は言う。「ビッグクラブからオファーが来ていたとしても、今は行っていない。今の自分の実力も分かっているので、まずは試合に出られることを考えた時に一番ベストなチームだった」

「海外組」の肩書きに引き寄せられたわけではない。19歳は確固たるビジョンと決意を持って、オランダの地に乗り込んで行く。


下薗昌記

サッカーライター。1971年大阪市生まれ。テレ・サンターナ率いるブラジル代表に憧れ、ブラジルサッカーに傾倒。大阪外国語大学外国語学部でポルトガル語を学ぶ。朝日新聞記者を経て2002年にブラジルに移住し永住権を取得。南米各国で600試合を取材した。愛するチームはサンパウロFC。ガンバ大阪の復活劇をテーマにした『ラストピース』が2016年のサッカー本大賞に。