取材・文/いとうやまね
“集中力”という目に見えないものを、レンズを通してはっきりさせる
――写真展の顔ともいうべき、「砲丸投げ」の作品について、解説をお願いします。
高須 この写真は日本選手権で撮影しています。日本選手権は毎年梅雨なので雨ばかりなのですが、このときはたまたま晴れた日でした。選手の顔のバックにある白い部分がわかりますか? これ、実は白いポロシャツを着た審判員さんなんですよ。例えば、これが黒いポロシャツだったら横顔のシルエットは出ません。それで、ポロシャツのところに顔が重なるポジションを探りました。
――撮る前から、この仕上がりを想定しているわけですね?
高須 そうです。砲丸はひとり6回投げるので、選手が10人いたら60回の撮影チャンスがあるわけです。ちょうど2巡目あたりで、この選手の顔のラインが“カッコいい”ことに気が付きました。後は彼を中心に、ちょっとずつ微調整をしていきました。
――全体のコントラストと顔のシルエット、筋肉や砲丸をもつ太い指、手の粉…。選手の息遣いが伝わってきますね。
高須 鼻から唇、顎にかけてのシルエットがまず重要で、光の当たり方とか、いろいろ計算しています。極力いらない情報を排除していくことで、「これから砲丸を投げるぞ」というコンセントレーションの高まりを感じさるようにしています。“集中力”って目に見えないですよね。 その目に見えないものをレンズを通して“はっきりさせる”ことができるんじゃないかと、そう思ってこういう写真にしました。
――イメージが掻き立てられますね。
高須 この選手が誰なのか、この瞬間が何投目なのかは、写真から知ることはできません。でも「これから砲丸を投げる」ということだけ伝われば良いと思っています。それ以外のストーリーは見た人それぞれの想像力にお任せです。これがマスメディアの報道だったら大きな問題ですが、一介のフリーランスであるぼくが人と違うスタンスで写真を撮り続けていたら、こんな感じになってしまいました。
シャッタースピードを遅めにして、わざと「被写体ブレ」を作る
©高須力――写真展全体におけるコンセプトをおしえてください。
高須 技術的な話になってしまいますが、「シャッタースピードを遅めにして、わざと被写体ブレを作る」というのを意識した写真展にしています。ちょうど15年くらい前にキヤノンのEOS-1Dが出てからは、それまでのフィルムカメラと遜色ないオートフォーカスの精度を実現して、一気にデジタル化が進みました。今ではスチール写真の機能としては、これ以上進化する部分があるのか、と感じてしまうほどです。暗いところで撮影するのに必要な高感度もフィルム時代では考えられないレベルになり、データサイズは35ミリフィルムの数倍にまで進化しました。
さらに専門的になってしまいますが、高解像度のデータは諸刃の剣で、手ブレという症状が出やすくなるんです。それを防止するために、高性能な感度を活かして、フィルム時代に比べると2〜3倍は速いシャッタースピードで切るようになりました。ただシャッタースピードが速くなると、被写体が完全に止まってしまうんですね。指先や足、野球のバットでも止まってしまいます。それはある意味でカメラの技術的な進化の勝利と言えるかもしれません。でも写真的にはどうなんだろうと疑問を持つようになりました。
――実際には動いているのに、写真の中では、はじめから止まっているかのように見えるということですね?
高須 フィルム時代の、例えば20年前のNumberを見れば分かるんですが、ピントが緩いものでも大きく引き伸ばしたりしてるんです。逆に、デジタルカメラで同じレベルでピントが合ってない写真は、とても見られたものではないです。それがとても不思議でした。
――テクノロジーが生んだ新たな問題です。
高須 なので、性能のいい現代のデジカメで、シャッタースピード遅くして昔みたいに撮ってみたんです。その意識的に作った「ブレ」の効果が思いのほか面白いことを発見しました。ということで、それをテーマにしたんです。
――敢えてフィルムの時と同じ条件で撮るわけですね?
高須 はい。そうすると被写体ブレと、さらに手ブレが起こります。その手ブレをさせないために丁寧にレンズを振る必要がある。雑に撮るとすぐに手ぶれをする。そういう意味では、より集中して撮らなければならないんです。
撮り方によっては障害物が臨場感を演出する舞台装置にもなる
©高須力高須 シャッタースピードを極端に遅くしたスローシャッターにもいろんな撮り方があるのですが、基本は横に流す「流し撮り」という手法です。
――この写真はスピード感があって、加えて印象的ですね。
高須 この写真は、実は手前に街路樹があるのですが、シャッターを極端に遅くすることで木を消すことができます。これは映像からヒントを得た撮り方です。例えば、映画で森の中を疾走する主人公をカメラが横から追うシーンがありますよね? 実際には、手前の木に隠れて主人公は見えていない瞬間の方が多いはずなのですが、木と木の間から細切れでも見える瞬間があることで、主人公をハッキリと認識することができます。これは人間の目の錯覚を利用した手法ですが、撮り方によっては障害物が臨場感を演出する舞台装置にもなるんです。これを写真で応用することで街路樹が作品に彩りを与えてくれているんです。
――競泳の写真も、水の捉え方が独特です。
高須 競泳は一年に一回か多くて二回くらいしか取材していません。最初は専門的なことなんて何も分かりませんでした。それでも10年以上取材を続けていると、少しずつですが新しい発見があります。例えば、水面にキレイな映り込みをするタイミングだったり、水の動き方だったり。面白いのは速い選手ほど水の動きが一定になるんです。だから速いのかな、とか。
――何度泳いでも水形が同じになるんですね?それは凄い発見です。
高須 ただぼくの中では、その選手がどれだけ速いかは大きなテーマではないんです。ぼくが興味あるのは、いかに面白い水の形を作ってくれるか、そんなところを見ています。予選で良いなと思う選手を見つけたら、決勝でもその人を狙ったりします。
伝えたいのは競技会の結果ではなく、そこに到るまでの過程
©高須力高須 写真というのは、人に何かを伝える手段です。例えば、いつどこで誰が何をしたのかを伝えるんなら、顔がしっかり見えて、何をしているのかが分かりやすくないといけないと思います。しかし、さっきも話した通り、そこはマスメディアの方々が長年取り組んでいるので、なんのコネもない駆け出しのフリーランスが同じことをしても誰も見向きもしてくれませんでした。どうしたら認めてもらえるのか、そんなことを考えていたら、こんな写真ばかりを撮るようになったんです。15年くらい続けてきて、最近、感じるのは、ぼくが伝えたいのは結果ではなく、そこに到るまでの過程なんだなってことです。
――高須さんの作品を見ていると、人間の本質(essentia)という言葉が浮かびます。
高須 ある友人がぼくの作品を見て「全部がキレイに写っていないから、見た人がいろいろと考える余白があるよね」と言ってくれたことがあります。どんな一瞬もさまざまなものを内包しています。それはアスリートの情熱だと思うんですが、今回の「ブレ」は、それを見つけやすくするための手法のひとつに過ぎません。
――ふだんスポーツ誌などで拝見する高須さんの世界とは、一線を画した作品群をぜひ皆さんに体験してもらいたいですね。
高須 そうですね。スポーツ誌で掲載させてもらっている写真は当たり前のことなのですが、テーマが予め決められています。それはそれですごく楽しいのですが、それだけでは物足りないので、5年に一度、自分でテーマを決めた個展開催を目標にしています。だから、写真展には有名選手や有名なシーンはほとんどありません。そんな写真展に意味があるかは分かりません。だから、意味があると思えるようになるまでは撮り続けたいと思っています。
髙須 力 報道写真展
THE AMBIENCE OF SPORTS 2013-2017 情熱の欠片
キヤノンギャラリー銀座:2017年7月13日(木)~2017年7月19日(水)
キヤノンギャラリー福岡:2017年8月31日(木)~2017年9月12日(火)
キヤノンギャラリー大阪:2017年09月21日(木)~2017年09月27日(水)
キヤノンギャラリー名古屋:2017年10月05日(木)~2017年10月11日(水)
10時30分~18時30分(写真展最終日15時まで/日・祝日は休業)
髙須 力(たかす・つとむ)
1978年3月20日。東京生まれ。2002年より独学でスポーツ写真を始め、2003年より水谷塾に入塾、2006年よりフリーランスに。ライフワークでセパタクロー日本代表を追いかけている。日本スポーツプレス協会及び国際スポーツプレス協会会員。撮影作品に『浅田真央公式写真集 MAO』『寺川綾公式フォトエッセイ夢を泳ぐ。』など。
スポーツ写真家・高須力が描く『フィギュアスケート写真』の世界(前編)
アスリートの見せる情熱や興奮、その躍動感や静寂を追い求める写真家・高須力。様々なスポーツ誌の表紙や巻頭を飾る髙須氏の仕事を紹介したい。第一回は、羽生結弦、浅田真央といったトップスケーターに迫った「フィギュアスケート写真」について。第二回は、間もなく開催される写真展に焦点を当て、髙須氏のスポーツ写真哲学に触れる。