文=大島和人

教育に口を出す高野連という“部外者”

「高校野球は不祥事が多い」。おそらく、そう思っているスポーツファンは多い。野球は競技人口が多いスポーツで、一定割合で異常な行動をする選手もいるだろう。逞しい体格と丸刈りという風貌には、ある種の威圧感もある。また日本学生野球憲章は様々な規制があり、悪意はなくとも「うっかり」そこに抵触してしまう関係者は多い。

ただし、高校野球の選手や監督と取材などで接して、異常な印象を受けたことはない。

話はシンプルだ。日本高等学校野球連盟(高野連)がメディアを通じて丁寧に発表するから、一般社会がそういう錯覚を持っている。高校野球はチームや選手の不祥事を中央集権的に処理して公表する仕組みを持つ。高野連の「審査室」で審議が行われ、毎月そこで処分が確定される。どの学校に、どういう理由で、どれくらいの処分が下されたかという概要も発表される。

よくよく考えるとこれは不思議だ。そもそも子供の教育は親と学校、部活の指導者が責任を負うべきこと。第三者が口を出すべきでない。人の失態が晒される様子を観察することは大衆的な”娯楽”かもしれないが、教育性はない。

もちろん、「悪事を見逃すべき」と言っているのではないし、成人の教員や指導者ならまた話は違う。しかし高校球児は未成年で、刑事事件ならば警察、司法が内密に処理するべきだ。法に触れないレベルの問題行動ならば親、学校サイドが指導をすればいい。学校や部が自発的に「活動を慎む」「チームごと公式戦を辞退する」ことでより良い教育効果を得られると判断するならば、その見識は尊重されるべきだ。

そこに部外者が口を出すから余計な手間がかかるし、現場も委縮する。高野連では「注意・厳重注意および処分申請等に関する規則」を定めている。学生野球憲章に違反する事実があり、注意・厳重注意が必要と考えられるときは、校長が各都道府県の高野連に下記の内容を報告するというプロセスになっている。

① 校長が認定した事実
② 関係者の弁明の内容
③ 校長がとった措置
④ 校長の所見およびその他審議に関する必要な事項
⑤ 当該事案に関する新聞報道記事の写しなど関連資料

審査室で処分が決定すると加盟校名(指導者ならば役職)が公表される。注意・厳重注意に止まった場合は公表されない。報告が遅れた場合や、高野連に対してその事実を隠した場合は、どうしても処分が重くなるという“圧力”を無視できない。

メディアという“権力”を背負っているとはいえ、一財団法人がこのような作業を校長に強いていること自体が不可解だ。昨今の日本社会は他人の行動に口を出す”お節介化”が顕著だが、高野連はそんな時流の先駆者かもしれない。

教育機関の上に高野連が立つ仕組みはナンセンス

最近のことだが、警視庁の管内で野球部員の関わる重大な刑事事件があった。高野連は審議の前提となる報告書を速やかに受け取するという”私利”のために「顧問弁護士が勾留中の元部員に接見し、事情を確認する」という要望を学校側に対して行った。

しかし法や教育の素人、部外者がプロフェッショナルのアクションに介入するべきではない。既に野球部、学校から去った当人や親に対して、調査と称して相手が望まない接触をすることも妥当ではない。

報道機関ならば事実を短期間に確定させて、それを読者や視聴者に伝える社会的な使命がある。一方で高野連は捜査機関、報道機関でない。教育の担い手を自称しているが、独善を一方的に押し付けることは教育でなく単なる支配だ。

もちろん競技上のルール違反に対しては、処分があるべきだろう。「未登録の選手を出場させた」といった過失を競技団体が罰することは、他競技でも当然ある。また体罰を行った指導者の資格を停止、剥奪するという”競技内”の処分は是だ。選手に対しても、学校や親、司法機関が選手に罰も与えるということはあっていい。しかし教育機関の上に高野連が君臨するという仕組みはナンセンスとしか言いようがない。言うまでもないことだが、国法は日本野球憲章に優越するべきだ。

「正義の執行」は高野連やファンの仕事ではない

高野連を高校野球の「興行主」として捉えれば、ブランドイメージの管理は必要だろう。厳格な管理がイメージの形成に貢献し、高校野球へ様々なリソースを引き込む誘い水になっていることも事実。上部組織によるコントロールや規制は、あるレベルまで必要悪として受け入れる必要があるのかもしれない。だとしても学校関係者、指導者の貴重な時間を奪わず、その時間をより有益な努力に振り分けるための配慮をするべきだ。

メディアも、未成年の犯罪、問題行動について発信は抑制的でなければいけない。加えて罰は応報的でなく教育的で、過ちを犯した少年をより良い未来に導くものでなければならない。

もちろん被害者がいる悪質な事件について「犯人がプレーを続けることを認めたくない」という感情を一般のファンが持つことは自然だ。一方で、そういった蛮行の落とし前をつけるのは最終的に刑事、民事の訴訟。「正義を執行する」ことは高野連やファンの仕事でない。

この問題が高校野球に止まるならば、まだ問題は小さい。しかしこの国は他競技にも高校野球的な価値観が浸透している。運動部内で問題が起こった場合は野球と同レベルの情報公開、処分をするべきというある種の思い込みが根付いている。結果としてメディアや社会が「隠蔽」を指弾し、強い処分が出るまで納得しないカルチャーができ上がった。

もちろん政治や行政、一般消費者を相手にしている企業ならば情報の透明化は「是」だろう。しかし高校生の犯罪、問題行動を社会に晒す必要はない。

高野連は、裁きを下すべきでない

今の時代は限定的な情報公開だったとしても、プライバシーの全面的な暴露につながる可能性が高い。ネットなどに公表した情報を照らし合わせるだけで、加害者や当事者が特定されてしまった例が多い。「春の大会には出ていたのに夏は不在」というような状況証拠を見れば、誰が当事者は容易に類推できるからだ。

もちろん高校野球の主権を握るのは高野連と朝日新聞社であり、彼らが“分権”にメリットを見出ださない限りは「処分を背景にした強権支配」という構造も変わらない。また報道の自由、表現の自由も尊重されるべきもので、人為的・制度的にそれを抑制することは難しい。

ただし今の仕組みが「常識」として無批判に受け入れられていることは、育成年代のスポーツを愛する者として受け入れがたい。法的な知識を持つスタッフを雇用して綿密、公平に調査を行うなら別だが、プロセスを校長に丸投げするなら教育への干渉だ。高野連は野球部員を裁くべきでないし、責任を負う必要もない。それを行なうことによるメリットに比べて、デメリットが大きすぎるからだ。

<了>


大島和人

1976年に神奈川県で出生。育ちは埼玉で、東京都町田市在住。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れた。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経たものの、2010年から再びスポーツの世界に戻ってライター活動を開始。バスケットボールやサッカー、野球、ラグビーなどの現場に足を運び、取材は年300試合を超える。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることが一生の夢で、球技ライターを自称している。