三浦皇成、奇跡の復帰へ(前編)「下半身の感覚が全くなかった」

昨年の8月14日。札幌競馬場で落馬し大怪我を負って以来、ターフから姿を消した騎手の三浦皇成。彼は現在、どこで何をしているのか。これまでの騎手人生を簡単におさらいした上で、あの忌まわしい事故から現在までを本人の弁もまじえ、前後編の2回に分けて紹介していこう。(取材・文:平松さとし  撮影:松岡健三郎)

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■「皮膚の中に、針がずっと刺さっているような」

昨年の8月14日。札幌競馬場で落馬し大ケガを負った三浦皇成。骨盤骨折のほか、肋骨は9本が折れ、そのうち3本が肺に突き刺さるという重傷で、長期のリタイアを余儀なくされた。わずか2週間ほどの間に3度の手術。それが成功し、ようやく主治医から「馬に乗れるようになるかも……」という言質をもらった。しかし……。

「左の足首の感覚は戻らないし、相変わらず痛みもひどい状態が続いていました」

もちろんベッドに寝た切りの状態も続いていた。それでも自主的に動かせる箇所だけは動かした。忌まわしい事故から1カ月が経過した。「痛みに慣れたのかだいぶ気にならないレベルになった」(本人)ことでようやく転院に耐え得る体になったと判断され、北海道から自宅近くの茨城へ移動できることになった。

「ただ、肺をやられていたので気圧の変わる飛行機は許可がおりませんでした。苫小牧まで陸路で移動した後、大洗までフェリーに乗り、そこからまた車で茨城の病院まで運ばれました。もちろんずっと車椅子での移動になりました」

転院後も徐々に動かせる箇所を動かしていったが、違和感は相変わらず消えなかったと言う。そして、その刺激は再び苦痛をもたらした。

「皮膚の中に針がずっと刺さっているような感じで、ついには3日間、ろくに眠れない感じになりました」

神経が刺激されていた。また、恥骨部分が炎症を起こし、膿がたまっていることも判明。今回のケガでは4度目のメスが入った。前進したかと思えば再び後退する。そんな思いの日が続き、季節は夏から秋へと変わっていった。

「当たり前といえば当たり前ですけど、それでも競馬は構わず開催されていました。僕が乗る予定だった馬や実際に乗っていた馬にも他のジョッキーが騎乗して普通に競馬をしている。『自分なんか小さな存在だな……』『僕なんか忘れられちゃうのかな?』って思ったら、競馬をみる気にもなれませんでした」

©松岡健三郎

■皇成を救った、1通のファンレター

こういったメンタル面での戦いは、まるで真綿で首を絞めるように恐怖心を芽生えさせたと言う。

そんな時、1通のファンレターが皇成を救った。

「デビュー当初からずっと応援してくれているファンの方からいただいたファンレターでした。それには僕の復帰を待っていると綴られていました」

どれだけ痛くてもケガでは泣かなかった皇成だが、この時は初めて涙が頬を伝ったと言う。

「こんな僕を待ってくれている人がいると思ったら自然と涙が出てきました。そして、ジョッキーとして戻らなくてはいけないって思いました」

11月の下旬になると、両松葉杖ながらもまずは立ち上がる許可が下りた。しかし、そうして立とうとした皇成をまたしても大きなショックが襲うことになった。

「地面に足をついたら両足とも震えて松葉杖をついているにも関わらずまともに立つことができませんでした」

とくに左足の震えは止まらなかった。自分の体なのに自分の意志通りに動かすことができない。その衝撃は頑張ろうとしていた皇成を愕然とさせ、口から弱音をこぼさせた。

「立つことすら出来ないわけですから、これはジョッキーに戻るどころじゃないのでは?って、茫然としました」

その気持ちを妻のほしのあきに吐露した。すると「皇成なら大丈夫。信じるしかないよ」と言ったあきが、続け様に言った。

「やることをやってダメだったらそれは仕方ないんじゃない?!」

この言葉で“命すら危ない事故から、ここまで回復してきたこと"を思い知らされた。万が一、騎手として復帰できなくても、死んではいないのだから弱音を吐いたり愚痴を言ったらバチがあたる。

「あきに言われて『そうだな、まだ何もしていないのに俺は何を言っているんだ……』って思わされました。それから気持ちが吹っ切れて、時間がかかってもリハビリで少しずつ治していこうって考えられるようになりました」

©松岡健三郎

■乗っているときには経験できないことを、勉強したい

1日も早く復帰したいと思っていたから足が震えて立てないことに大きなショックを受けたのだ。ゆっくり治していこうと決断したこの時から先、焦りは消えた。

「それまでは焦っていないつもりでも少なからず焦りがあったんだということに気付きました。でも気持ちを切り替えることができて、焦る気持ちが本当になくなりました。この先、まだ何十年と騎手を続けていこうと考えたら、そのうちの1年くらいゆっくりしても良いじゃないかって思えるようになったんです」

もっとも“ゆっくり"というのは“のんびり"とは違うことが、続く皇成の言葉から汲み取ることができた。

「1年を棒に振ると言うのではなく、乗っている時には経験できないことを勉強していきたいって考えるようになれました」

以降、JRAのレースはくまなく観るようになった。自分の乗っていた馬や厩舎に関係なく、全ての出走馬たちを徹底的に研究するようになった。もちろん同時に、リハビリはこなしていった。曲がらなくなっていた左足首を曲げるトレーニングをしたり、ゴムチューブにおもりをつけて持ち上げたり、様々なリハビリをこなすと「日に日によくなっている感触を得ることができた」。そして……。

「『誕生日である12月19日には退院できるかな?』と考えるようになりました」

結果、それよりも少し遅い12月25日、退院というクリスマスプレゼントを手にできた。

「11月にリハビリ室へ行くため入院後、初めて病室を出ました。その時の体重が46キロだったことを思えば、退院時は50㌔まで戻っていただけでも嬉しかったですね」

突然の悪夢以来、約4カ月半ぶりの自宅。まだ車椅子だったため、トイレ一つでも苦労したし、2階に上がる事すらできなかった。また、腰の痛みで応接間のソファーに1日中いたこともあった。それでも精神的には楽になったと言う。

「妻と娘とずっと一緒にいられるだけでずいぶんと違いました」

退院後も週に3日は通院し、リハビリを続けた。そうすることで車椅子から両松葉杖の生活になり、2月の頭には2階に上がれるようにもなった。

「2月の中旬からは都内でもリハビリを開始しました。せん骨に負担のかからないトレーニングをして、日常の生活はだいぶできるようになっていきました」

©松岡健三郎

■ケガをする前よりも、進化した自分として

3月になると片方の松葉杖がとれた。都内でのリハビリの他に、地元では毎日、ジムへ通うことになった。

「プールの中でウォーキングをしたり、バイクをこいでストレッチをしたりして、落ちた筋肉を徐々に戻して行きました」

ケガから復活した様々なスポーツ選手の実体験をスポーツトレーナーに聞いたり、ネットで調べて読んだりもした。5月16日には患部に埋め込まれていたプレートを抜く手術をした。これが実に5度目の手術だった。

「全部を抜いたわけではありません。恥骨にもプレートが入ったままだし、腰にはまだ4本のボルトが残っています。ただ、馬に乗る分には支障がないとのことなので、とりあえずはこのまま復帰することになると思います」

6月になると松葉杖が不要になった。体幹トレーニングにもストイックに取り組んだ。

「筋肉に関しては見た目にもケガをする前よりついている感じです」

そう言うと、「ケガする前に戻すだけでは1年間の“ブランク"になってしまうから……」と言い、さらに続けた。

「ケガをする前よりも進化した自分として復帰しなくてはいけないと考えているんです」

7月14日。美浦トレセン内の乗馬苑で久しぶりに馬に跨った。

「落ちてから初めての騎乗でした。こんなに高かったかな?って思いました」

4日後には北馬場で鹿戸雄一厩舎の馬2頭に騎乗。さらにその翌日には追い切りにも跨った。
「馬ってこんなトリッキーな動きをするんだ?!っていう感じは受けました。でも自分でも考えていた以上に冷静に乗ることができました」

そうしてじっくりと調教での感触を確かめること約1カ月。8月12日にはとうとう競馬場で皇成の姿がみられることになった。

「待っていただいたファンの皆さんのためにも、落ちた札幌で復帰することだけは決めていました」

三浦皇成の新たなる物語が今、幕を開ける。
(文中敬称略)

三浦皇成、奇跡の復帰へ(前編)「下半身の感覚が全くなかった」

昨年の8月14日。札幌競馬場で落馬し大怪我を負って以来、ターフから姿を消した騎手の三浦皇成。彼は現在、どこで何をしているのか。これまでの騎手人生を簡単におさらいした上で、あの忌まわしい事故から現在までを本人の弁もまじえ、前後編の2回に分けて紹介していこう。(取材・文:平松さとし  撮影:松岡健三郎)

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