■卒業すると、スポーツとの関わりが極端に減る

日本では企業運動部(いわゆる実業団選手レベル)で競技者生活を続けられるエリート・アスリートを除き、多くの国民が学校を卒業するのと同時にスポーツとのかかわりが極端に少なくなる。

もちろん、社会人になってからランニングや個々で民間の商業スポーツ施設で汗を流す人もいる。だが、多くの日本人にはスポーツを「期間限定で(学校で)一生懸命取り組むもの」という意識が根強い。これは、明治初期に日本でスポーツを普及させてくれた外国人たちが“教師”であったため、学校を中心に展開されてしまい、スポーツと体育を同一視してしまったことが大きい。結果、日本では学校以外の場においてスポーツが発展する道は著しく狭まれた。

海外では、学校でスポーツをやらず、地域のクラブに所属してプレーが継続できる(習慣がある)ため「期間限定」なんて発想は全く存在しない。ましてや中学、高校生、大学生が“引退”という言葉を平気で使うのは日本人にしかない感覚であろう。

■異常に多い、運動部の活動日数

日本の部活動のように、一つのチーム(競技種目)で膨大な時間を費やす環境は、世界と比較してもかなり特殊である。

各自治体の学校体育調査などの資料を見ても「運動部の設置数は減少」「部員数は少子化により減少」と報告されているにもかかわらず、運動部活動の日数は異常に多い。例えば神奈川県が2014年に報告した「中学校・高等学校生徒のスポーツ活動に関する調査報告書によると、県内の中学生、高校生ともに週6日の活動日数が50%を占めている。週7日を含むと、約70%にものぼる。

2007年と比較すると、「週7日」の活動を行なっている生徒が増加していた。地方の熊本県でも同年発表された報告書によると週6日の活動日数で「中学生66.4%」「高校生71.8%」である。

一つの競技にしか没頭できず、一人の全権監督を相手にする部活環境の中では、外と比較するもの(機会)が足りない。部活動が日本同様に盛んな米国では、指導者をあえて外部指導員にして子どもたちと接触する大人の数を増やしたり、他競技をプレーさせる中からアイディアを創造させるようにマネジメントをしている。一つの競技だけではなく他の競技のチームメイトと時間を過ごさせることは、体罰等のリスクマネジメントにもなるようだ。

■オールブラックスの英雄は、クリケット代表でもあった

普段の生活の中で「選択肢」があると、自然と子どもたちは比べる物差しを持つ。「創造力」あるいは他人(他の競技)に興味を持つ「好奇心」は、このようなスポーツ環境から育成されていくはずだ。

サッカーが盛んな欧州では、指導者も選手たちも2ヶ月程度の長期休暇を必ずとり、サッカー以外のことを考える「心の成長の時間」を重視している。高校生年代のトップレベルのユースチームですら、平均活動日数は週3日~4日である。

著者が住んでいたニュージーランドには、オールブラックスと呼ばれるラグビー代表チームがある。そのオールブラックスの英雄だったジェフ・ウィルソンは、同国のクリケット代表チームの主力でもあった。ウィルソンはラグビーとクリケットだけではなく、高校時代にバスケットボール選手としても(日本の国体のような大会で)タイトルを獲得している。

ウィルソンだけではなく、最近聞いた話では2015年ラグビーワールドカップ決勝のマン・オブ・ザ・マッチに選出されたダン・カーター選手も夏のシーズンはクリケット選手だった。米国のMLBニューヨーク・ヤンキースの主力選手、アーロン・ジャッジは高校時代に野球とアメフトを両立していて、アメフトの強豪大学からもオファーを受けるレベルであったことは有名な話だ。

マネジメント力を養うには、その時代に合った多様性が求められる。マーケティング戦略と同様に、今の市場の中で何が求められているかを考察していくことが重要である。一つのことに囚われず、多面的に物事を考えながら実行しなくてはならない。これはスポーツの世界で言えば選手だけに限った話ではなく、指導者もスタッフも同じだ。

■「もしドラ」にみる“横展開力”の重要性

ここで、かの有名な書籍「もしドラ」のストーリーで出てくる内容を少し振り返ってみよう。営利組織の民間企業では馴染み深い横文字のマーケティング、マネジメントとイノベーションという言葉だが、学校運動部でもなぜ有効なのか。

本書に出てくるマネージャー(川島みなみ)は、『社会に対する貢献』を視野に入れて「野球部にとって顧客とは誰なのか?」「どうすれば古い常識を打ち破って新しい価値を創造できるのか?」などを考えていく。
 
特筆する点は彼らの“横展開力”であろう。野球部のみならず、校内の陸上部や吹奏楽部、家庭科部など彼らが持つ資源を最大限有効活用しようとするアイディアと実行力が評価するべきところだ。野球部の限られた経営資源の中で、陸上部が持つ「走力を上げる練習メニューの協働」や家庭科部が持つ予算で作った「食べ物の試食(結果的には部員の食事提供)に対して栄養の知識の協働」を率先して行なった結果、他のクラブにも好影響を与えた。
 
なかなか部員がまとまらない状況のときには、マーケティングリサーチという発想を活用し、マネジメントを理解してくれる部員らに協力を仰いで「本音を聞き出す」ことに成功している。ドラッカーが残したマネジメント論では、『一人の力で成功することは絶対にない。一人の力が他人の協力を得られると事業は成功する』と述べられている。
 
日本ではとかく“他力本願”という言葉がネガティブに解釈されるが、宗教が信仰されるロジックと同じで「困ったときは人の力を借りる」ことはマネジメントの礎石を築いている。 本書に出てくる野球部が実践した「ノーバント・ノーボール作戦」は、マネージャーが監督に提唱したイノベーションであった。人の意見を聞き入れない監督に対して、計画的かつ体系的に捨てる魅力(価値)を訴え続け、野球業界に根強く残っていた悪しきプレースタイルの風習を撤廃していくのである。

■スポーツの語源は「気晴らし」「楽しみ」

スポーツの語源、意味は「気晴らし」「楽しみ」や「遊戯」だと言うことをご存じだろうか。日本のスポーツを支えてきたのは学校と企業であり、それぞれが運動部をつくって競技者の強化基盤を担ってきた歴史がある。日本語の体育を、英語でSportとは訳さない。Physical Educationである。本来スポーツとは非常に自由度が高く、楽しみ方は人々の生活の中で自由に決められる。

前述したダン・カーター選手は「DAN CARTER The Autobiography of an All Blacks Legend,2015」の著書で「ニュージーランドでラグビーは社会生活の中心だった」と言っており、狭義である“学校生活の中心だ”とは述べていない。

オーストラリア人で元ラグビー日本代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズ氏は「部活があぶない(講談社現代新書,2017)」で「スポーツの意味をはき違えたままでは、スポーツをクリエイトできないだろう。日本人は小学生くらいから、スポーツを仕事のようにとらえて“やらなければいけない”と辛そうにやっているように見える」と述べている。

彼はよくメディアを通じて「スポーツとはあくまでリクリエーション(recreation)の一部だ」とも話している。本来、リクリエーションとは、何かをもう一度創造するという意味であり、日本では「レクリエーション」と書かれて娯楽的な意味合いを帯びている。しかし、それとは別物で、スポーツは本来の意味でのリクリエーションの一部であり、人生においてエネルギーや活力を与えてくれるものであると言っている。

■“引退”という言葉は、スポーツの本質からかけ離れている

これまでマネジメント論の視点から考察してきたが、学校や企業スポーツの体制を一気に変えていくのは相当難しいであろう。部活動が全て悪いということでもない。しかし、学生のアスリートたちが発する不可思議な「引退」という言葉は、スポーツの本質からかけ離れている。

日本の少子高齢化は止められない。国立社会保障人口問題研究所の発表によれば、100年後の総人口は4,286万人となる国。スポーツに関わる全ての人たちが“横展開”を意識する協業体制を整えていかなくてはならない時代がやってきた。

多くの(日本の)大学生アスリートたちは「社会人になる前に完全燃焼したい」と口を揃えて言ってくるが、彼らトップアスリートたちこそが我が国でいかにしてスポーツが続けられるかを真剣に考え、イノベーションの戦略を考案してほしいものである。

<了>


大山 高

帝京大学准教授(スポーツ科学博士)。大学卒業後に三洋電機株式会社、ヴィッセル神戸、博報堂/博報堂DYメディアパートナーズを経て2014年より現職。プロクラブと企業スポーツの両クラブで宣伝広報業務やパートナーシップ事業に従事。三洋電機時代は「オグシオ(小椋久美子・潮田玲子ペア」らが所属していたバドミントンチームとラグビー部のプロモーションを担当。近著に『Jリーグが追求する「地域密着型クラブ経営」が未来にもたらすもの』(青娥書房)。