世界選手権銀メダリストとして結成4シーズン目を迎えた今季はアクシデントからのスタートだった。三浦が7月下旬のアイスショーで転倒した際に左肩を脱臼。治療に専念するため、約2カ月も練習からの離脱を余儀なくされ、木原は「シーズン当初は世界選手権までに復帰できればいいかなという考えだった」と覚悟していた。今季のSP『You'll Never Walk Alone』に込めた思いはタイトル通り「人は1人では歩いていけない」。そんなプログラムを「龍一君が一人で滑っているのをずっと見ていて、一緒に練習できない悔しさをすごく感じていた」と三浦は、懸命にリハビリをこなした。10月に入ってからは氷上で急ピッチの調整を進め、下旬のGP初戦となるスケートカナダではブランクを感じさせないほどに動きの一致した滑りで見事に初優勝。ペア転向10年目で初めてGPシリーズの表彰台のてっぺんに立った木原は「GPシリーズに初めて出場した時は金メダルは夢と感じていた」と感慨に浸った。

 その後も勢いはとどまることなく、12月のGPファイナルは、前年の世界選手権覇者の米国ペアに1・30点の僅差で競り勝って初制覇。公式練習で動きに硬さの目立った三浦に「この試合は今シーズンのゴールではないから、別に失敗してもいいんだよ」と支えた木原が歓喜の涙をこぼし「また日本フィギュア界に新たな扉を開くことができてうれしい」と語る姿は印象的だった。今年2月の四大陸選手権は、3年前の結成1季目に8位だった舞台。「どれだけ私たちが成長できているかという挑戦の試合」(三浦)と位置づけた2人の演技は円熟味を感じさせた。大会の会場がある米コロラドスプリングズは標高1800㍍以上の高地で体への負荷が大きい。木原は4分間のフリー後半が勝負とにらむと、演技中盤に差しかかる直前、10歳下の三浦に「ここで休憩しておいて」とささやいた。驚きながらも一呼吸置いた三浦が後半にギアを上げる。木原との息がぴたりと合った華麗なスピンを決めると、スロー3回転ループも鮮やかに着氷。初優勝から一夜明けた取材で「まだ疲労が抜けない。やっぱりフリーはきつかった」(木原)、「トレーニングが必要」(三浦)とそろって課題を挙げたが、その表情は充実していた。

 4年ぶりの日本開催となった世界選手権。決戦のリンクが設置されたさいたまスーパーアリーナは木原にとって因縁の舞台だった。ペアに転向し、高橋成美さんとのコンビで臨んだ初出場の2013年全日本選手権。フリー開始わずか数秒で転倒し「たぶん全日本最速記録」と振り返る。そんな苦い記憶を最高の結果でぬぐい去った。「誰かに勝つのではなく、過去の自分たちに0・1点でもいいから勝っていく」というブルーノ・マルコット・コーチの教えを胸にSPは三浦の滞空時間の長いトリプルツイストから最後の滑らかなデススパイラルまで非の打ちどころのない圧巻の演技。今季世界最高(当時)の80・72点をマークすると、2人は何度もガッツポーズを繰り出した。それもそのはずだ。過去に80点台に乗せたのは、22年北京冬季五輪金メダリストの隋文静、韓聡組(中国)とウクライナ侵攻に伴って除外が続く強豪ロシア3組の計4組のみ。世界のトップペアの領域へとまさに足を踏み入れた瞬間だった。フリーではミスがありながらも逃げ切り、木原は「今日の結果を見て、次世代の子がペアに挑戦してくれるようになれば。10年後、20年後に、この年間グランドスラムに大きな意味が出てくればうれしい」と思いをはせた。

 アクシデントを乗り越え、一回りも二回りも成熟した姿を見せた2人だが三浦が「歴代チャンピオンに比べて自分たちはまだまだ」と言えば木原も「まだ自分たちが世界チャンピオンになれたっていう実感はない。まだまだ自分たちより上のペアがいるという思いがものすごく強い 」と納得していない。今季最終戦となった世界国別対抗戦でSP、フリーともに今季最高得点を出した米国ペア、そして国際大会にいつロシア勢が復帰しても対等に戦えるように「ここから点数を上げるには表現面や技のつなぎといった細かいところになる」(木原)と、細部にまで魂を宿した演技を追い求める。5月中旬からは練習拠点のカナダ・トロントで再始動。母国開催の北京五輪の重圧をはねのけ、至高の滑りを見せた憧れの隋文静、韓聡組を思い描きながら、進化を続けていく。


VictorySportsNews編集部