「いつも感じている風が感じられなかった」。19日の女子フリー後、坂本自身がそう振り返ったように、17日の公式練習からはた目にも異変はうかがえた。十分に体を絞り切れておらず、持ち前の小気味よい疾走感は鳴りをひそめていた。わずか数百グラム体重が変わるだけでジャンプが跳べなくなる世界。空中姿勢が前傾になって着氷が大きく乱れたり、回転軸をつくれずに3回転が1回転になったりと、普段あまり見ることのないミスを繰り返していた。そんな状況では大崩れを防ぐのがやっと。18日のショートプログラム(SP)は、演技序盤の3回転ルッツが「エッジ不明瞭」と判定されてGOE(出来栄え点)でマイナス評価を受けると、演技後半のフリップ―トーループの連続3回転ジャンプは、トーループが回転不足となって着氷でステップアウト。大幅に減点され、80.32の自己ベストを持つSPで68.07点にとどまった。
「全体的なスピード感がなかったり、ジャンプの勢いも普通だった。自分はスピードがないとできないタイプ。今季は昨季ほど気持ちの面でも追い込めていない。それが一番の原因。練習量というよりも練習の質でも追い込めていない」。演技後、そう分析した坂本は「世界女王としてのプレッシャーはあまりなかった。だけど、自分の中では『ない』と思っても、ちょっとどこかで思っているのかなという感じはしている」と心の内も少しのぞかせた。昨シーズン、2度目の出場となった北京冬季五輪で銅メダルを獲得すると、1カ月後の世界選手権では初の頂点に立ち、どの記事でも「世界女王」の枕詞がついて回るようになった。加えて、ウクライナ侵攻に伴う制裁措置でこれまで世界を席巻してきた強豪ロシア勢が大会に出場できず、初めて追いかけられるだけの立場に。目には見えなくとも、重圧は計り知れなかったはずだ。
翌日のフリーは、後半で失速。フリップ―トーループの連続3回転は両方のジャンプで回転が4分の1足らずにGOEで減点されると、終盤の3回転ループは力なく1回転となった。最終演技者だった韓国の新星、金芸林(キム・イェリム)(韓国)にわずか2.62点及ばずの2位。結果を予期していたか、最後のポーズを取るやいなや、目を見開いて両手で頭を抱えた。
苦境をはねのけてファイナルへ
試合が終わり、不調の原因を一つずつ吐露した。大学4年生。来春卒業するため、新シーズンへ向けて追い込むはずだった7、8月は勉学に時間を割いた。一時は3回転ジャンプを跳ぶことができなくなり、今季初戦に予定していた8月のげんさんサマーカップは直前に欠場を決断。9月には練習中に右手小指を骨折。その後、急ピッチで立て直してきたが、10月下旬のスケートアメリカ後は風邪で体調を崩して、約1週間リンクから離れた。ただ、「筋力が落ちて練習で追い込みきれなかった。でも、それは言い訳にしかならない」ときっぱりと話す。
「自分の頭のなかで悪魔と天使が戦っていて、『頑張らないと』と言っている自分と、『頑張り疲れた』という自分がいた。それも、悪魔のほうが多少多かった」。五輪の翌シーズン、男子で五輪王者のネーサン・チェン(米国)や同年代の樋口新葉(明大)が休養する中、坂本は走り続ける道を選んだ。燃え尽きを感じつつも、もっとうまくなりたいという気持ちとの葛藤。これは3シーズン前にも味わっていた。平昌五輪に出場した翌シーズン、18年12月の全日本選手権で初優勝を果たした。達成感とともに自分が跳べない4回転やトリプルアクセル(3回転半)を成功させるロシア勢が台頭する状況に戦意を喪失した。19年の全日本で6位に沈み「スケート人生、終わっちゃったかな」と心が折れた。それでも、新型コロナウイルス禍でもう一度立ち上がった。リンクが閉鎖されている時期に多い時は週7日の筋力トレーニングで体をいじめ抜き、バレエやダンスのレッスンも取り入れ、安定感と流れのあるジャンプや伸びのあるスケーティングを一回りスケールアップさせたことで大きく花開いた。
20日のエキシビション出演後、報道陣に囲まれ「遅いですけど、今回の結果を受けて、エンジンかかりそうな予感がしている。やっとブルルンと言わせようと思っている。ファイナルまで数週間しかないが、死にものぐるいで頑張りたい。(2019―20年シーズンは)1年棒に振ったので、今回は半年で止めておかないといけない」と頼もしく言った。どんなに苦境に陥っても、その度にはねのけてきたゴムまりのようなスケーターだ。2週間後、荒川静香が五輪女王となった聖地パラベラで気高き世界女王の姿が見られると信じている。