「ロイヤル・ランブル」で達成した日本人男女初の快挙

 1月28日(現地時間)、アメリカ・ニュージャージー州フィラデルフィアで行われたWWEのPPVイベント「ロイヤルランブル」で、日本人の選手が男女揃って優勝するという一大事が起きた。

 ……と、いきなり言われても「???」な方も多いと思われるので逐一説明すると、WWEはアメリカを拠点とする世界最大のプロレス団体。「ロイヤル・ランブル」はその主要大会の一つで、年間最大のイベント「レッスルマニア」(今年は4月8日、ルイジアナ州ニューオーリンズのメルセデス・ベンツ・スーパードームで開催)への出場権を懸けた重要なイベントだ。

 ここで行われる「ロイヤルランブル」という試合は、簡単に言えば「時間差バトルロイヤル」。最初に2人がリングに上がって試合を開始し、以後90秒ごとに1人ずつが加わっていって全部で30人が登場する(人数、秒数は年によって例外あり)。リングに上がった選手はトップロープを越えてリング下に落ち、両足が床についた時点で失格(ピンフォール、ギブアップの決着はなく、場外カウントもない)。従ってリング上にいる選手の数はその時によって変動するが、29人が失格となって最後の1人が残るまで試合が続く。

 優勝者には、レッスルマニアでの王座挑戦権が与えられる。現在、WWEは「ロウ」と「スマックダウン」の2ブランドに分かれており、「ロウ」ではユニバーサル王座、「スマックダウン」ではWWE王座がトップ王座になっているので、優勝者はどちらの王座に挑戦するかを選択することができる。

 この「ロイヤルランブル」は1988年に第1回が行われ、男子は今年で31回目。ここで優勝したのが元新日本プロレスの中邑真輔だ。日本人が同大会で優勝するのは史上初の快挙。日本人の出場自体、第6回(93年)の天龍源一郎を皮切りに、これまで6人、のべ9回しか出場がない中、中邑は初出場にしてこの栄冠を勝ち獲った。中盤の14人目で登場し、最後は元WWE王者で現インターコンチネンタル王者のローマン・レインズを排除して生き残った中邑は、観客のコールに応える形でAJ・スタイルズの持つWWE王座への挑戦を表明した。

 中邑は2002年に新日本プロレスでデビュー。トップの一人として団体を牽引し、2016年1月にWWEに移籍。4月に同団体のファーム団体にあたる「NXT」で初試合を行い、8月には同団体のチャンピオンに君臨。17年4月には一軍に昇格し「スマックダウン」のレギュラーとなり、8月にはWWE王座への初挑戦も果たした。移籍から2年、順調すぎるステップアップの末に掴んだ初優勝だった。

ASUKA、負け知らずのまま初の女子ロイヤルランブルも制す

 一方、女子ロイヤルランブルは今年が史上初の開催。近年、WWEの女子部門は選手数、試合レベルともに飛躍的な充実を見せており、「新しい歴史を築く」という名目の元に大会メインイベントとして行われた。男子と同じルールで現役選手、レジェンドらが入り混じってこちらも30人が登場する中、25番目に登場したASUKAは最後に残ったニッキー・ベラを排除して優勝。女子初のロイヤルランブル覇者としてWWEの歴史に名を刻むこととなった。

 これでASUKAも王座挑戦権を獲得したが、試合を見守っていたロウ女子王者アレクサ・ブリスとスマックダウン女子王者シャーロット・フレアー(名王者として君臨したリック・フレアーの娘)がリングに上がり、ASUKAの指名を待つばかりとなったところで、元UFC世界女子バンタム級王者ロンダ・ラウジーが登場。かねてからWWE参戦が噂されていたロンダが無言のままレッスルマニア参戦をアピールしたところで中継は終了。ASUKAが挑戦する王座の決定は持ち越された。

 ASUKAは華名のリングネームで2004年にデビュー。格闘技スタイルを取り入れた戦いぶりと独自の活動で注目を集め、2015年9月にWWE入団し、リングネームをASUKAに改名。10月にNXTでデビューすると快進撃を見せ、翌16年4月には無敗のままNXT女子王座を獲得。17年10月に一軍に昇格し「ロウ」でデビュー。その後も負け知らずのまま、初の女子ロイヤルランブルも制してみせた。

 中邑が指名したAJ・スタイルズはレッスルマニアまでの間に他の選手との防衛戦が予定されており、「中邑vsAJ」が実現するかはまだ流動的。ASUKAに至ってはロンダに邪魔された格好となってどちらの王座に挑戦するかも決まっていない状況だが、いずれにせよレッスルマニアに中邑、ASUKAの両選手が出場してトップ王座に挑戦することは確定。レッスルマニアは1985年の第1回以来34回の歴史を持ち、2007年以降は常に7万人以上の動員を誇るモンスターイベント。一昨年の第32回大会ではついに10万人を越えるイベント史上最多記録も達成している。

 今年の大会が行われるメルセデス・ベンツ・スーパードームの規模から言っても7万人以上の観衆が集まることは確実で、中邑やASUKAはその中で試合を行うということになる。さらに世界各国で行われるPPV、WWEが展開する動画配信サービス「WWEネットワーク」の視聴者も合わせれば、世界中でとんでもない数の人間が見詰めることになるはずだ。

TAJIRI、関係者が分析する2人の活躍

 ロイヤルランブル同様、いやそれ以上に、レッスルマニアにも日本人レスラーはなかなか出場できていない。第一号は(あまり知られていないが)87年の第3回大会に出場したミゼットレスラーのリトル・トーキョーで、以後は10人ほど。タイトルマッチ出場はTAKAみちのくのWWEライトヘビー級王座防衛(98年・日本人初のシングルマッチ出場)の他、TAJIRI、FUNAKI、ウルティモ・ドラゴンのWWEクルーザー級王座挑戦(04年・勝ち抜き戦形式)があるのみで、もちろんトップ王座に絡むのは男女とも初。中邑の試合がメインイベントになるかどうかも今後の決定カード次第だが、メインでなくとも画期的なことで、「偉業」と呼んで差し支えないだろう。

 中邑、ASUKAの活躍がWWEに参戦してきた歴代日本人選手たちの中でもトップクラスと言えるのは以上の説明でお分かりいただけたと思うが、彼らがこれだけ活躍できているのはなぜなのだろうか。WWEに詳しい関係者A氏はこう語る。

「正直、WWE入りする時点では両選手ともこんなに早くここまで上り詰めるとは想像していませんでした。今年のレッスルマニア出場は当然あり得ると思っていましたが、ロイヤルランブルで勝って進出という、“王道”を踏んでの進出には本当に驚きました。

 中邑選手、ASUKA選手が同日に優勝したことで『WWEが日本人を推しているのでは?』との声もありますが、『日本人だから』という背景があるとすると、逆に『2人同時』はあり得ないと思います。国籍がどうこうというよりも、やはり2人のパフォーマンスがそれぞれに素晴らしいからこそ、この結果に結びついたということだと思います」

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 2000年代前半に長くWWEで活躍し、ロイヤルランブルやレッスルマニアにも出場経験があるTAJIRIはこう分析する。

「以前と違って、アメリカ人じゃなくても活躍しやすい環境にはなったと思います。今、WWEのパフォーマンスセンター(以下PC。フロリダ州オーランドにある新人研修&トレーニング施設。大会も開催できる)には世界中からいろんな人種が集まっていますし、WWEネットワークもあるので、ボスであるビンス・マクマホンの考え方も『どうしてもアメリカ人でなければいけない』というものではなくなってきているんです。

 以前は毎週の中心番組である『ロウ』『スマックダウン』のアメリカ国内での視聴率が一番の関心事でした。でも今は世界中でWWEネットワークの会員数をいかに増やすかが第一。ビジネスの考え方そのものが変わってきたんですね。

 聞いた話なんですが、今、WWEが稼げている国は1位がアメリカで2位がイギリス。会社では、数年以内に中国を1位にしようとしているというんです。そのためにアジア人のスターが必要で、安心して任せられる中邑選手の存在は大きかったんじゃないかと。中邑選手やASUKA選手の活躍は、もちろん2人の能力が高いことは大前提ですが、そうした背景からのびのびとやらせてもらえたのは大きいのではないかと思いますね。

 僕は昨年、半年ほどWWEにいたんですが、PCで5人ほどの中国人選手を教えていたんです。他の国から来た選手たちと違って、彼らは『プロレスがどういうものか』ということを全く知識としても知らないんですね。PCにはコーチも世界中から呼ばれているので、基礎ができた状態で集まった選手たちに技術の上澄みを教えることには長けているんですが、ゼロから教えられる人はほとんどいないんです。そこで自分に白羽の矢が立って、日本なりの、受け身を一からやらせるという教え方がすごく役に立ちました。

 彼らはすでに全員デビューはしているようですが、上で活躍できるようになるにはまだまだしばらくかかります。中邑選手は体も大きいですし、会社から期待された部分もあったでしょう。それに応えて優勝できたのは見事ですね。ASUKA選手にしても、プロレスの技量においてはWWEの女子の中で群を抜いてましたからね。2番手の選手と比べても、かなり差がありました。だから僕が見ていた昨年の時点でも、上に行くのは当然だと思いましたね」

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中邑「僕はこの名前じゃなきゃ振り向きません」

 今回のロイヤルランブルを見ていても顕著だったのは、中邑、ASUKAへの観客からの支持の高さだ。中邑の入場時には、テーマ曲「THE RISING SUN」の印象的なバイオリンのフレーズに合わせて会場中が大合唱していた。また終盤、大スターのジョン・シナ、ローマン・レインズが2人がかりで中邑を攻め込もうとした場面では、中邑へのあまりの声援の大きさにシナが怪訝そうな表情を浮かべる場面もあったほどだ。

 こうした中邑の人気について、別の関係者B氏はこう語る。
「ある程度以上実績を積んだ選手でも、WWE入りする際には新しいリングネームとキャラクターを与えられて“再デビュー”となる場合が多いんですが、中邑選手はリングネームも本名のまま、コスチュームもファイトスタイルも日本でのものとほとんど変わらない状態で登場し、そのままトップまで駆け上がりました。必殺技であるヒザ蹴り『ボマイェ』は名称こそ『キンシャサ』に変わりましたが、技自体は同じです。キャッチフレーズも日本時代の『KING OF STRONG STYLE』のままでしたしね。

 最近はWWEの考え方も変わってきて、こういう選手も増えてはきたんですが、中邑選手は“日本時代そのまま”の姿が大人気を呼んでいます。渡米直前、彼は『向こうが新しいリングネームを用意しようとしても、僕はこの名前(本名)じゃなきゃ呼ばれても振り向きませんよ』なんて言っていたぐらいで、強い希望を持って主張したようです。彼は性格的にも、自分の主張をハッキリと言えるタイプなので、会社もそれを認めたのでしょう。ただでさえWWEはくせ者揃いですから、それぐらいでないとやっていけないのも確かです。

 また、今はYouTubeの影響が大きく、アメリカのファンも新日本時代から中邑選手の試合映像に接しているので、『ナカムラがこっちに来るのか! 日本でやってたアレが見たい!』という観客のニーズもあったと思います。そのニーズは実際、NXT登場時の大反響で証明されました。会社側もすでに確立している中邑選手のブランドをあえて崩す必要はないと判断したのでしょう。

 ASUKA選手も、和を取り入れた華やかなコスチュームなどビジュアル面のコンセプトは自分で持ち込んで提案したと聞いています。そこにプラスして、蹴りや関節技を駆使した格闘技色の濃い戦い方がアメリカのファンには新鮮に映った。これは日本にいた頃から変わっていないんですが、向こうでは衝撃的だったんですね」

 中邑とASUKAには、いくつかの共通点もある。WWE入りから1年近くNXTで活躍し、同団体の王者として君臨したこと。それから、“会話”における対応だ。もう一度、前述の関係者A氏に話を聞こう。

「2人ともNXTで1年近く戦ったことで向こうのスタイルにも慣れましたし、そこでファンの熱い支持を得たのも大きかったと思います。以前に比べ、レスラーの『叩き上げで成長していく姿』がファンの共感を得る傾向が強くなっていて、NXTでの活躍がそのまま一軍での人気の後押しになっている感があります。

 また、2人とも『自分に何が求められているか』をよく分かっているという面もあると思います。特にWWEでは選手同士のリング内外での口論でストーリーが展開することが多く、日本人レスラーがアメリカで活躍するには言葉の壁がありましたが、中邑選手は短いフレーズでインパクトを残し、ASUKA選手に至っては関西弁で押し通してますからね(笑)。それぞれのやり方でうまく対応しているのも、受け入れられている理由の一つだと思います」

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 ロイヤルランブルでの両選手の快挙以後、ファンや関係者の間では「彼らの成果を何にたとえれば分かりやすいだろうか?」という議論がある。これについて、前記の3人に聞いてみた。まず関係者A氏は、ズバリ「松井秀喜のワールドシリーズMVP」だと断言。

「本場に乗り込んで、その最高の舞台で最高の結果を残したわけですからね。これがピッタリだと思います」

 続いては関係者B氏。彼がたとえたのは、「渡辺謙」だ。

「野球やサッカーでも実績を残している日本人はいますが、プレーそのものにおいては“日本人であること”はあまり関係ないですよね。渡辺謙さんは向こうの資本で成り立った世界の中に乗り込んで、“日本人であること”もある程度生かしながら、堂々と渡り合って、しっかり評価されている。彼の成功に重なる部分を感じます」

 TAJIRIの意見はまた異なる。彼がたとえるのは何と、「カップヌードル」だ。

「まず、日本発のものが今や世界中で受け入れられているという現状ですよね。これ自体もすごいことだし、何なら“日本発”であることも意識されなくなろうとしている。そういう意味ではカップヌードルのような立場にあるんじゃないかと思いますね」

 ロイヤルランブルを制し、次はレッスルマニア出場のみならずトップタイトルへの挑戦という新たな局面が待っている中邑とASUKA。となると当然、タイトル獲得に期待せずにはいられない。日本人選手が世界最高峰の舞台で栄冠を勝ち獲り、エースとして長く君臨するようになれば、また一つ時代が変わる。今、そんな新時代に王手を懸けている彼らから目を離してはならない。

<了>


高崎計三

編集・ライター。1970年福岡県出身。1993年にベースボール・マガジン社入社、『船木誠勝のハイブリッド肉体改造法』などの書籍や「プロレスカード」などを編集・制作。2000年に退社し、まんだらけを経て2002年に(有)ソリタリオを設立。プロレス・格闘技を中心に、編集&ライターとして様々な分野で活動。2015年、初の著書『蹴りたがる女子』、2016年には『プロレス そのとき、時代が動いた』(ともに実業之日本社)を刊行。