構成・文/キビタ キビオ 写真/榎本壯三
現役時代の座右の銘は“闘魂”だった
──中畑さんが座右の銘にしている言葉とそのきっかけを教えてください。
中畑 いまは両方とも“1.5”だ。
──……へ?
中畑 わかんないの? 左右の目(座右の銘)だろ?
──ああ! すいません。瞬時に対応できませんでした。
中畑 昔は2.0あったんだけどな。いや、冗談はそのへんにして座右の銘な。オレはね、その都度変えていたんだよ。現役の頃、引退したあと、監督のときとか、自分が置かれている状況によって変化していったな。
──では、その流れを順番に追いかけていきましょうか。
中畑 現役のときはずっと闘う魂、つまり“闘魂”だった。サインをするときも、為書きの脇に必ず書いてたよ。
──どういったきっかけで“闘魂”になったんですか?
中畑 アントニオ猪木さんの言葉として有名だけど、それを真似したわけではなくてね。もっと以前、オレが中学時代に尊敬していた野球部のキャプテンの先輩がこの言葉を使っていたんだ。
──なるほど。
中畑 オレもずっとこの言葉というか「闘う魂」を受け継ぎながら、高校、大学とやってきたから、プロ野球選手になって最初に色紙にサインを書くときに“闘魂”と書いた。それがはじまりだった。この字をまともに書こうとすると、字画が多いから時間かかるんだが、オレは達筆だから(笑)。崩してごまかすように書いていたよ。
──中畑さんのサインや色紙に書いている文字は、力強さや勢いを感じさせるものがありますよね。あれは我流ですか?
中畑 うん、我流だよ。文字っていうのはさ。もともと、多くは絵文字から来ていて、その形が変化していまの字体になっている。オレはもともと絵が好きだったから、なにかを表現するのに「絵的なものでその物体を表す」というのが性に合っているみたいでさ。字についても、そういう書き方になるのよ。でも、あまりにも崩し過ぎてしまって、ときどき「読めない」って言われることがあるけどな。顔は整っているんだけどさ……。おいおい、反応してくれよ(笑)。
──あ! 重ねてリアクションできず、すいません。それにしても、中畑さんといえば、“絶好調”が代名詞ではないですか? 色紙には“絶好調”と書かなかったんですか?
中畑 だって、“絶好調”は画数が多いだろう? 現役の頃は、必ずと言っていいほど頼まれたけど、書くほうは大変なんだぞ。名前のサインよりも何倍も時間がかかる。
──たしかに、サインは大変ですよね。ひとりだけならともかく、サイン会などでは書く人数が半端ではないですし。
中畑 そう、そう。練習や試合のあととかも並んだりするじゃない? ほかにも、ひとりで10枚も持ってきて、「全部に“絶好調”と入れてください」なんて言われることもあった。
──強くお願いされたときなどに書くことはありましたか?
中畑 うん。「どうしても」と、頼まれたときは書いていたよ。それも、ファンサービスだからね。
字というのは人をやる気にさせる力がある
──現役時代に座右の銘だった“闘魂”という言葉を実際に書いたり、あるいは、思い浮かべたりして、気持ちが奮い立ったということはありましたか?
中畑 そうだな。“闘魂”って、やはり「闘う魂」と書く字のままだから。サインとして書いているだけでも、なにか心の奥底から湧き出てくるものがあったよ。
──サインに添えていれば、四六時中、目にすることになりますしね。
中畑 字が持っている力って、オレはあると思う。そこからなにかを学びとるときがあったり、やる気を得たり……。自分自身のなかで「字にして書いている以上、そういう姿を見せなきゃいけない」と思うしね。プロ野球選手というのは勝負師だから、オレの場合はバットマンとして相手と闘う、それからボールと闘う。そういう姿勢、姿をちゃんと見せようという気持ちになるんだよ。なにげなく選んだ“闘魂”という言葉だけど、選んだ理由というのは、無意識ながらもそういうところにきちっとあったと思うよ。それがファンに伝われば一番いいよな。アントニオ猪木さんも、そういう気持ちなんじゃないかな。「魂、注入するぞー!」ってよくやっているじゃない? 同じことだよ。
──サインに書いているときも、そのたびに相手にその気持ちを込めて、自分自身にも心に刻んでいたわけですね。
中畑 だから、サインをもらった人がそれを見て、「おっ、闘う魂、闘魂か。中畑らしいな」と感じてくれていたのであれば、嬉しいな。
引退後は“元気”。現在はDeNA監督最終年の“導”を継続

── 現役を引退してからは、どういう言葉になっていったのですか?
中畑 辞めてからは、“元気”にしていた。そして、DeNAの監督になってからは、毎年のチームのスローガンを色紙に書くようにしたんだ。だから、1年目の2012年は“熱いぜ!”、2年目の2013年は“勝”、3年目の2014年は“夢”、4年目の2015年は“導”。この“導”は、いまも引き続いて座右の銘としているよ。
──引退後に“闘魂”から“元気”に変えた理由は?
中畑 “元気”というのは、自分自身、引退しても“絶好調”の気持ちを継続していくためにね。同じ意味合いを持っていると思ったからこれにしたんだ。“闘魂”“元気”“絶好調”。すべてに共通するものを感じるじゃない?
──たしかにそうですね。どれも前向きな姿勢です。
中畑 特に現役を辞めた直後は、やはり寂しかったから。でも、そこで元気がなくなるとまずいだろう? だから、自分に対する戒めのためにも“元気”を選んだ。
──前向きな姿勢に違いはないけれども、立場が変わったことで字を変えたわけですね。
中畑 そうそう。新たな環境で負けないためにも、それまでと同じ“絶好調”を継続するためにも、違う文字で似たものがないかなと探してたどり着いたってことよ。ただ、オレの生きざまそのものみたいな言葉だから、決めるのにそんな時間はかからなかった。それに“元気”なら、早く書ける(笑)。
──崩しやすいですよね。すると、1993年~1994年に巨人のコーチをしていたときも“元気”だったんですか?
中畑 コーチのとき? えーっと、コーチのときは難しかったな。たしか、サインだけして座右の銘は書かなかったと思う。
──それはなぜですか?
中畑 立場的にも、コーチって中途半端なんだよ。いわば中間管理職じゃない? 選手と監督の間に立っている。だから、確固たる意志を自分で決められなくて、座右の銘を歯切れよく出せなかったよ。
──そのあたりは、中畑さんの性格かもしれませんね。
中畑 オレが勝手にそういうイメージを持ってしまっているところは、あったかもしれない。でも、いま思い起こしても、コーチ時代は座右の銘に値するような芯の通ったものがあったかなと。出てこなかったから書かなかったんだろう。細かいことまでは覚えていないけれど、きっとどうしても書かなきゃいけないときには1.5って書いたんじゃない?
──右左の目(=座右の銘)は“1.5”?
中畑 誰だ! そんなこと言う奴は!? ……オレか(笑)。
両恩師・太田誠、長嶋茂雄からの心に残る言葉

──座右の銘以外にも、誰かに言われたものなど、中畑さんの胸に強く刻まれている言葉はありますか?
中畑 ひとつは、駒澤大時代の監督で恩師である太田誠さんが日頃から言っていた“姿即心、心即姿”。日頃の姿勢というのは形に出るということ。心のなかにあるものは姿に出たり、言葉に出たり。人間というのは嘘のつけない動物で、隠しごととか邪心があれば、そわそわしたり、その場をごまかそうといろいろ考える。それがぎこちない行動になってどこかに出てしまう。人の姿というのはその人の心を物語るもの、と教えてくれた。
──それはきっと、誰もが思い当たる部分があると思います。
中畑 そうそう。でも、嘘をついたり隠しごとばかりして生きている人というのは、寂しいし、悲しいし、なんか楽しくないじゃない? だからオレは、太田さんのその言葉を聞いてから、いつも自然に自信を持って生きられる人生を歩んでいきたいと思うようになった。いまも、その言葉に反しないような生き方をしているつもりだけどな。
──そして、そういう生き方が、逆に自分の心を形作るという意味もあるわけですね?
中畑 そういうこと。だから、表現力とかさ、誰かに伝える言葉や姿にしても、自分の生きざまそのものが伝わっていくものなのだ、という気がするね。
──背筋が伸びるようなお話です。他に、長嶋茂雄さんの言葉で印象に残ったものはないですか?
中畑 (長嶋氏のモノマネで)「うーん、どうでしょう」(笑)。いやいや。やはり「お客様は神様です」ということだね。三波春夫さんじゃないけど、長嶋さんもよく言っていた。プロ野球選手というのは常にファンを大事にしなくてはいけないから、その意味でもぴったりではないかな。この言葉そのものが長嶋茂雄の人生観みたいなところがあるし、その生き方、生きざまみたいなものとして、オレは教わってきたよ。プロ野球選手の鏡だよな。万人に愛される、老若男女に愛されるスーパースター。そんな長嶋さんのような人が「お客様は神様です」という謙虚な姿勢でいる。すごく当たり前のような言葉だけども、それを実践してきたからこそ、現在の地位を築いたのだと思うね。ファンを本当に大事にして、ファンに元気と勇気と笑顔と幸せを与えてきたプレーヤーというのは、長嶋さんをおいて他にいないよ。
──中畑さんは、そういった長嶋さんの意志を継承していますね。
中畑 うん、少しだけだけどな。爪の垢を煎じて飲ませていただいているよ。今年もいまここで話した大切な言葉を忘れずに、前を向いて頑張っていきたいね。
(プロフィール)
中畑清
1954年、福島県生まれ。駒澤大学を経て1975年ドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。「絶好調!」をトレードマークとするムードメーカーとして活躍し、安定した打率と勝負強い打撃を誇る三塁手、一塁手として長年主軸を務めた。引退後は解説者、コーチを務め、2012年には横浜DeNAベイスターズの監督に就任。低迷するチームの底上げを図り、2015年前半終了時にはセ・リーグ首位に立つなど奮戦。今季から解説者に復帰した。
キビタ キビオ
1971年、東京都生まれ。30歳を越えてから転職し、ライター&編集者として『野球小僧』(現『野球太郎』)の編集部員を長年勤め、選手のプレーをストップウオッチで計測して考察する「炎のストップウオッチャー」を連載。現在はフリーとして、雑誌の取材原稿から書籍構成、『球辞苑』(NHK-BS)ほかメディア出演など幅広く活動している。