ちょうど現地でイチロー氏の殿堂入りスピーチが終わって間もない午前7時。月曜の朝というのに東京での会場となった東京ドームシティ セントラルパークには、およそ250人のファンが列をつくっていた。彼らの目当ては愛知、兵庫でも同時に配布されるシリアルナンバー付きの特別号外『MLB SPECIAL EDITION』。合計1万部限定というお宝を一番乗りで手に入れたのは、超が付く筋金入りのイチローファンだった。

MLBがイチロー氏ゆかりの地で特別企画

「胸がいっぱいです。(1月に)イチローさんの殿堂入りが決まった時は出張で号外がもらえなかったので、(今回は)どうしても欲しくて。これは丁寧に取っておいて棺桶まで持っていきます」

 感激の面持ちで語ったのは、前夜は会場にほど近いJR水道橋駅前のホテルに宿泊し、午前4時半から並んでいたという千葉県在住の会社員・小原由未恵さん。ファン歴27年で、この日はマリナーズのキャップとイチロー氏の殿堂入り記念Tシャツを身に着け、手には自作のイラストと過去記事などをスクラップした特製ノートという完璧なコーデのこの女性、実は子供の頃は野球が好きではなかったのだという。

「私はイチロー選手のプレーを見るまでは野球が嫌いだったんです。小学校の卒業式の日に招待券をもらって、友達がみんな見に行くっていうから地元の球場(倉敷マスカットスタジアム)に一緒について行ったら、それがオリックスと近鉄(どちらも現在のオリックス・バファローズの前身)の試合(オープン戦)で。そこでイチローさんが内野ゴロでも全力疾走されている姿を見て、とても感動してファンになりました」

 それから彼女の人生は一変する。イチロー氏のことをもっと知りたくて新聞をむさぼり読み、記事もスクラップするようになった。かつては「嫌いだった」野球を自分でもやってみたいと思うようになり、高校では思い切って野球部の門も叩いた。その後の人生でも、イチロー氏には感謝することばかりだと小原さんは話す。

「野球を好きになって、たくさんの人に出会って。自分も高校で野球をプレーして、そこでできたチームメイトとは今も仲がいいですし、野球から出会いをたくさんもらったので本当に感謝の気持ちでいっぱいです。アメリカとも英語とも縁がなかったんですけど、11年前にイチローさんが(ニューヨーク・)ヤンキースでプレーされていた頃に、大学の先輩が誘ってくれて見に行って、そこでまた感動して。その後は自分でも見に行きましたし、カナダのトロントに1年間住んだことがあるんですけど、それもメジャーリーグの球場で感動して英語を勉強したいと思ったからです」

 イチロー氏とはいまだ対面したことはないという小原さんだが、たとえ直接は届かなくとも、感謝の気持ちを胸に来月はマリナーズの本拠地T-モバイル・パークで開催される「イチロー・ホールオブフェイム(殿堂)・ウィークエンド」に合わせて渡米し、その後はイチロー氏率いるKOBE CHIBEN対高校野球女子選抜の試合を見にバンテリンドーム ナゴヤも訪れる予定だという。

 イチロー氏に人生を変えられたというのは、この人も同じかもしれない。号外の配布が始まってしばらく経ってもなかなか途切れることのない列の中にいたのは、イチロー氏に似ていると言われたことをきっかけにものまねタレントになったニッチローである。

「今日は芸人というよりイチ日本人として来たので。本当に誇らしい、日本人として誇らしいことだと思います。(イチロー氏は)僕の中では神以上の存在。(号外は)ラッピング(保存)ですよね、1部しかもらえないんで。本当は51枚ぐらい持って帰りたいですけど、大きなコレクションです」

 見慣れたマリナーズのユニフォーム姿ではなく、先の小原さんとは違うデザインの殿堂入り記念Tシャツに短パンというスタイルのニッチローが紡ぐ言葉からは、イチロー氏に対するリスペクトがそこかしこにあふれ出ていた。

MLBがイチロー氏ゆかりの地で特別企画

 ちなみにこのような号外の制作はMLBとしては初の試みで、今回配布されたものはカラー4ページ。1面には「Congratulations! ICHIRO HALL OF FAME(イチロー、殿堂入りおめでとう!)」という見出しが躍り、イチロー氏のトレードマークでもある打席での「侍ポーズ」の写真にメジャーリーグでのキャリアをまとめた文章が続く。裏面にはマリナーズの元監督と番記者からの祝辞、そしてメジャー時代のイチロー氏の年表などが掲載されている。

 圧巻なのは中面で、見開き2ページにイチロー氏の写真を挟んで著名人からのコメントがビッシリ。ワールド・ベースボール・クラシック日本代表監督としてイチロー氏と共に世界一の美酒を味わった王貞治氏と原辰徳氏、イチロー氏と同時期にヤンキースなどで活躍した「ゴジラ」こと松井秀喜氏といった球界OBのみならず、サッカー界のレジェンドである三浦知良選手、元宇宙飛行士の野口聡一氏、芸能界からは歌手の和田アキ子、元KAT-TUNの亀梨和也など、さまざまな分野でイチロー氏と縁のある多彩な顔ぶれが、それそれの想いやエピソードなどを寄せている。

 この「51 WITNESSES OF GREATNESS」プロジェクトにはその名のとおりイチロー氏の偉大さを目の当たりにしてきた各界の「51人の目撃者たち」が協力をしていて、そのコメントの一部は会場周辺のビジョンで流れるティザームービーでもイチロー氏のハイライトシーンと共に使われていた。また、敷地内の各所ではイチロー氏と王氏、原氏、松井氏らのツーショットにそれぞれのコメントが添えられた大型ビジュアルの掲出も行われ、これらも目を引くものとなっていた。

MLBがイチロー氏ゆかりの地で特別企画

 今回のプロジェクトが展開されたのは2019年3月にイチロー氏の引退試合が行われた東京の他、イチロー氏の出身地で少年時代に通い詰めたバッティングセンター「空港バッティング」のある愛知、そしてプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせた当時のオリックスの本拠地だった兵庫。「空港バッティング」では号外の他、イチロー氏の日米通算安打にちなんで合計4367回分のバッティングができる無料コインの配布も行われるなど、東京以外でも大変な賑わいを見せていたという。

MLBがイチロー氏ゆかりの地で特別企画

 なお、各地での号外の配布は既に終了しているが、前述のティザームービーや大型ビジュアルの掲出は東京ドームシティ、空港バッティング、ほっともっとフィールドや神戸地下鉄・JR三宮駅などで引き続き行われている。イチロー氏の現役時代を知る多くの「目撃者」、そしてその当時を知らない若いファンにも、この機会にぜひ足を運んでほしい。


菊田康彦

1966年、静岡県生まれ。地方公務員、英会話講師などを経てメジャーリーグ日本語公式サイトの編集に携わった後、ライターとして独立。雑誌、ウェブなどさまざまな媒体に寄稿し、2004~08年は「スカパー!MLBライブ」、2016〜17年は「スポナビライブMLB」でコメンテイターも務めた。プロ野球は2010年から東京ヤクルトスワローズを取材。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』、編集協力に『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』などがある。