構成・文/キビタ キビオ 写真/榎本壯三
選手でいるうちに第二の人生を考えなくてはいけない
©︎共同通信──プロ野球選手が引退したあとのセカンドキャリアについて、中畑さんが思うところは
ありますか?
中畑 難しい話題だな。野球界から完全に縁を切るということになれば、就職活動もしなくてはならない。そういったことも含めて、問題なのはセカンドキャリアへの入り方だよ。
──なるほど、就活も大きく関係しますね。
中畑 大事なのは、野球人生よりもそのあとの人生のほうが長いということ。それを、選手自身が引退するタイミングが訪れる前に理解していないといけない。野球選手というのは、野球しかやってこなかったから一般社会では立ち遅れているところがあるわけよ。人と人との間に揉まれる実社会で、社会人として耐えていく力というのがやはり薄いよな。
──でも、野球界では先輩、後輩の上下関係などは割としっかりしていますよね?
中畑 そういう体育会系特有の社会は経験しているけど、それと実社会はまったく別物。だから、就職できたとしても、すぐに嫌になって長くもたないのよ。オレはそうなる前に、プロ野球選手であるうちに、ひとりの社会人として教育もしていかなくてはいけないと思う。オレ自身、プロ野球の出身だけれども、引退してからそういったことを実感してきたから、DeNAの監督時代は選手たちを人として成長させないといけないと思って教育してきた。筒香(嘉智)や梶谷(隆幸)をはじめ、全員に口うるさく言ってきたのは、「社会人として認められる選手になりなさい」ということ。それは、間違いなくセカンドキャリアにつながることだからさ。そして、残念なことに選手である以上、誰にでも必ずくるものだからな。
──そのときになってから準備していたのでは遅い。
中畑 だろう? 「選手でなくなったときに慌てずに済むよう、ユニフォームを着ている間にちゃんと身につけなさい」と言うわけよ。まあ、オレは運良く野球界に携わる仕事で生き残ってこられた人間だから、上から目線になってしまうけどな。だだ、いまは一応、自分の会社の社長でもあるから。
──中畑さんは、ご自身で会社を経営されていますよね。
中畑 その意味では、実社会に出て多くの人と接しているからね。そういったところで得た体験がすべて糧になっているよ。だから、いまではどんな人に会っても慌てない。仮に、ここに総理大臣がいたとしても、オレは態度を変えることなく対応できる自信があるよ。たくさんの人との出会いや体験が財産になって、免疫力ができたんだよ。
──世の中にはいろいろなタイプの人がいますから、人と会うことで得られることは大きいと思います。
中畑 そう、そう。でも、ただ会うだけじゃだめだぞ。どれだけ吸収できるかなんだ。「あ、この人は素晴らしい人だな」と感じたら「なぜこんな素晴らしい人生を歩んで、素晴らしいポジションにいれるのだろう?」とかさ。話をしていれば、そういうことを感じ取れるチャンスが必ずあるから、その裏付けを見抜いて勉強しながら、自分の身につけていく……。それができるようになれば、素晴らしいよな。
学よりも人間を磨いておくことが大事
©︎共同通信──DeNAの監督だったときには、ミーティングで選手にそういう話をされたのですか?
中畑 いや、ミーティングではセカンドキャリアがどうのこうのと言う話はしなかったけれど、人となりの成長については話をしてきた。オレはチーム作りも、人作りも大事にして日頃からやってきたから、それらは選手にある程度伝わったはずだよ。
──ではたとえば、気になる選手がいたら個人的に話をすることはありましたか?
中畑 それはあったね。「正直なところお前には学もないし、まだまだひとりの人間として足りないところがあるかもしれない。だけど、自分なりにちゃんと成長しなきゃいけないよ」というね。
──なるほど。
中畑 だって野球選手というのは、野球しかやっていない人間が大半だから、みんな学もないし一般常識も欠けているとこがあるんだ。オレだってそうだったし、いまだってそうかもしれない。未熟なところはたくさんあるもん。でもさ、努力していれば、それなりのポジションにはつけるようになる。そういうことを、オレは自分の身をひとつの手本として見せていたつもりだよ。だって、いまだってお調子者みたいな面を見せながら、それでもどうにか生き残ってきている。どんな人からも相手にしてもらえているからな。オレはそういうポジションについていると言っていいんじゃない? そこは、みんなからうらやましがられていると思うよ。
──中畑さんのいまの立場やキャリアを見ていると、仮に学があったからといって誰でもなれるということではないのですね。
中畑 そうよ。“人間磨き”さえしていれば、なんとかなる。学とかそういうものは、必要と感じて、それを必死に求めていけば、あとからでもついてくるものだよ。
──そこで基本になるのが、以前にもよく話していた「挨拶をしっかりする」「時間をしっかり守る」というような、きちっとした生活態度をすることになるわけですね?
中畑 うん。最低限のモラルをしっかり守れる人間でないと信頼されない。それが当たり前のように行動に伴っていないと、周囲の人は認めてくれないものだからな。
──DeNAの監督だったときには、ミーティングで選手にそういう話をされたのですか?
中畑 いや、ミーティングではセカンドキャリアがどうのこうのと言う話はしなかったけれど、人となりの成長については話をしてきた。オレはチーム作りも、人作りも大事にして日頃からやってきたから、それらは選手にある程度伝わったはずだよ。
──ではたとえば、気になる選手がいたら個人的に話をすることはありましたか?
中畑 それはあったね。「正直なところお前には学もないし、まだまだひとりの人間として足りないところがあるかもしれない。だけど、自分なりにちゃんと成長しなきゃいけないよ」というね。
──なるほど。
中畑 だって野球選手というのは、野球しかやっていない人間が大半だから、みんな学もないし一般常識も欠けているとこがあるんだ。オレだってそうだったし、いまだってそうかもしれない。未熟なところはたくさんあるもん。でもさ、努力していれば、それなりのポジションにはつけるようになる。そういうことを、オレは自分の身をひとつの手本として見せていたつもりだよ。だって、いまだってお調子者みたいな面を見せながら、それでもどうにか生き残ってきている。どんな人からも相手にしてもらえているからな。オレはそういうポジションについていると言っていいんじゃない? そこは、みんなからうらやましがられていると思うよ。
──中畑さんのいまの立場やキャリアを見ていると、仮に学があったからといって誰でもなれるということではないのですね。
中畑 そうよ。“人間磨き”さえしていれば、なんとかなる。学とかそういうものは、必要と感じて、それを必死に求めていけば、あとからでもついてくるものだよ。
──そこで基本になるのが、以前にもよく話していた「挨拶をしっかりする」「時間をしっかり守る」というような、きちっとした生活態度をすることになるわけですね?
中畑 うん。最低限のモラルをしっかり守れる人間でないと信頼されない。それが当たり前のように行動に伴っていないと、周囲の人は認めてくれないものだからな。
(プロフィール)
中畑清
1954年、福島県生まれ。駒澤大学を経て1975年ドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。「絶好調!」をトレードマークとするムードメーカーとして活躍し、安定した打率と勝負強い打撃を誇る三塁手、一塁手として長年主軸を務めた。引退後は解説者、コーチを務め、2012年には横浜DeNAベイスターズの監督に就任。低迷するチームの底上げを図り、2015年前半終了時にはセ・リーグ首位に立つなど奮戦。今季から解説者に復帰した。
キビタ キビオ
1971年、東京都生まれ。30歳を越えてから転職し、ライター&編集者として『野球小僧』(現『野球太郎』)の編集部員を長年勤め、選手のプレーをストップウオッチで計測して考察する「炎のストップウオッチャー」を連載。現在はフリーとして、雑誌の取材原稿から書籍構成、『球辞苑』(NHK-BS)ほかメディア出演など幅広く活動している。