野球の聖地を訪れた野球ファンの声

 イチローが、ついにメジャー通算3000本安打を達成した。
イチローが日米通算4257安打マークし、ピート・ローズの持つメジャーリーグの最多安打4256本を抜いた6月15日から約2カ月あまり。その間、イチローの“日米通算記録”の価値を巡って、日米のメディアやファンに論争が起こった。事の発端は、メジャーリーグの記録保持者であるピート・ローズが、イチローのNPB時代の安打数の価値に疑問のコメントを出したことにある。それから、自身のマイナー時代の記録の扱いについて言及するなどしたことで、メディアやファンも巻き込み日増しにヒートアップしていった。ただ、見方を変えれば、イチローがそういった論争が起こせるだけの実力と記録を持っている証拠に他ならない。並の選手では、論争さえ起こらないだろう。

 そんなイチローをアメリカのファンはどうとらえているのだろう。アメリカの野球殿堂がある“野球の聖地”クーパーズタウンに滞在する機会があったので、野球殿堂博物館を訪れた人や野球関連ショップの店主に、あえて「イチローとピート・ローズの記録はどちらが上だと思うか?」と聞いてみることにした。

「イチローは凄い選手。だけど日本の記録は別にして考えるべきじゃないかな」と答えてくれたのは、家族4人で博物館を訪れていたセス・アッカマンさん。ふだんは少年野球のコーチもしているという。一方で向かいのベンチに座っていたマーク・クライエンさんは「イチローの方が上だよ。あんなにたくさんのヒットを打っているんだから」との考え。このように、アメリカのファンの反応もさまざまだ。ただ、アッカマンさんは次のような言葉も加えた。「いまのメジャーリーグは日本だけではなく、たくさんの国の出身選手がいる。イチローの日本時代の記録も加えて評価しようとすると、たとえばキューバ出身の選手の、キューバ・リーグ時代の記録はどうとらえるべきなのか、とも思ってしまうんだよ」

国際化が進むメジャーリーグと記録の関係性

 国際化が進む現在のメジャーリーグは、2015年の場合であれば開幕時のロースター選手868人のうちアメリカ50州以外の出身選手はドミニカ共和国やベネズエラ、プエルトリコなど中南米の国を中心に230人。つまりメジャーリーガーの約1/4はアメリカ以外の国の選手が占めていることになる。
もちろん10代のうちにドラフト指名されたり移住をしたりして結果的にプロのキャリアはアメリカ球界のみという選手も多いが、中南米出身の選手はオフのウインターリーグに参加しているケースもある。たったひとつでも他のリーグの記録をプラスしたらキリがないというのは、日本の野球ファン以上にアメリカの野球ファンが感じる印象なのかもしれない。
だから、「イチローがメジャーでデビューしたのは27歳のときだろう? もう少し早くメジャーリーグにきていればなあ」(野球メモビリアショップ「パイオニア・スポーツ・カード」の店主、マーク・ウォルパートさん)という声も聞こえてくるのだろう。

尊敬に値するだけのヒットを打っただけで素晴らしい

 しかし、だからといってイチローの選手としての価値が認められないわけではない。野球メモビリアショップ「ベースボール・ノスタルジア」の店主、ブルース・アンドルスさんは「イチローとピート・ローズ……」とこちらが質問を切り出した瞬間、オーバーアクションを交えながら「質問はわかったよ。しかし、イチローもピート・ローズもあれだけたくさんのヒットを打ったどちらも偉大な選手だ。それだけでいいんじゃないか?」と即答した。そう、日米通算記録うんぬん以前に、イチローは既にアメリカで揺るぎない評価と尊敬を受けているのである。

前出のウォルパートさんは、「イチローは二度もわたしの店に訪れてくれた。光栄なことだ。殿堂入りしたらまたきてくれるんじゃないかな」と既にイチローの殿堂入りを確信しているような口ぶり。そんな声に呼応するように、メジャーリーグの公式サイトも特集を組んで、イチローを「殿堂入りは確実!」「野球の歴史における真の偉人のひとり!」と絶賛。一方で、ローズとの比較は「無意味」と論じた。

メジャーリーグの偉大な選手であることに疑いはなし

 7月4日、2990本目の安打を放った敵地ニューヨークでのメッツ戦では「代打イチロー」が告げられると、敵味方関係なく大きな拍手が起こった。現場で、わたしの席の目の前に座っていた中国系とおぼしきメッツファンは、立ち上がってイチローに拍手を送り、その姿を写真におさめようとしていた。家族で訪れていたアジア系の一家は、イチローを応援するボードや3000本安打を祝うボードを、つたない日本語を駆使してつくっていた。15日、やはり敵地セントルイスでのカージナルス戦でも代打イチローが告げられるとスタンディングオベーションが起こり、カージナルスの捕手モリーナはその時間を尊重するようにホームプレート一度外してゆっくりと守備に就いた。

 家族で野球の聖地を訪れていたアッカマンさんのふたりの息子のうち、8歳になる弟のウィリアム君はマーリンズのファンだという。「今日もここへくるクルマのなかでイチローの話をしていたんだよ」というアッカマンさんの言葉を裏付けるように、ウィリアム君はリュックのなかから、大事そうにイチローのベースボール・カードを取り出し、誇らしげに見せてくれた。

 メジャーリーグが、アメリカの野球ファンが、イチローの記録を心から祝福し、称えていることは間違いない。その事実の前に「イチローとピート・ローズの記録はどちらが上だと思うか」なんて質問は、確かに無粋で無意味なものなのだろう。

(著者プロフィール)
田澤健一郎
1975年、山形県生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経て編集・ライターに。主な共著に『永遠の一球』『夢の続き』など。『野球太郎』等、スポーツ、野球関係の雑誌、ムックを多く手がける元・高校球児。


田澤健一郎

1975年、山形県生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経て編集・ライターに。主な共著に『永遠の一球』『夢の続き』など。『野球太郎』等、スポーツ、野球関係の雑誌、ムックを多く手がける元・高校球児。