【1998年4月3日、背番号24がデビューした夜】
床に置かれたテレビには、「背番号24」が映っていた。
1998年4月3日の出来事だ。その夜の神宮球場が、ジャイアンツ高橋由伸のデビュー戦だった。巨人監督は長嶋さん、ヤクルト監督はノムさんだ。開幕投手は桑田真澄と石井一久。試合は球場観戦ではなく、大阪の大学に進学するため、ひとり暮らしを始める天王寺のワンルームマンションで新品の本棚を組み立てながら、チラチラと眺めた。ちなみにこの部屋は埼玉の実家からインターネットで物件を探したわけだが、周囲からは「えっ? インターネットで部屋探し? あれエロ画像見るマシンじゃないの」と驚かれた記憶がある。90年代後半はまだネットは非日常のツールだったのである。
段ボールが散乱する床、部屋を整理している間も付けっぱなしのブラウン管の向こう側にはプロ野球中継が映っていた。そうか、今日が開幕戦なのか。子どもの頃は、スーパースター原辰徳が世界のすべてだった。それが中学、高校と年齢を重ね、世界が広がりプロ野球以外のものにも興味の対象が移って行くあの感じ。サッカーや格闘技といった流行りのスポーツ、見よう見まねのファッション、音楽や映画、クラスメイトの女子とかそんなものだ。
決して野球を嫌いになったわけじゃない。ただ、誰にでも“それどころじゃない時期”があると思う。高校進学、大学受験、就職、結婚、出産…人生の変わり目は自分のことで精一杯。埼玉から大阪へ行った98年の俺も、環境の激変に適応するのに必死でプロ野球はあまり熱心に見てはいない。野球中継ではなく、スポーツニュースのダイジェストで確認する程度。例えば、横浜が38年ぶりのリーグ優勝に輝いた夜は、バイト先の居酒屋のまかないを食べながらフジテレビの『プロ野球ニュース』でその一報を聞いた。
【毎週のように“週刊ベースボール”の表紙を飾る新人】
当時、スポーツニュースでは連日のように「今日の由伸」的な報じ方が繰り返されていた。まるで上野のパンダ状態。だから、ゆっくり野球中継を観る時間も余裕も金もなかった自分にとっての1998年のプロ野球は、同時に「1998年の高橋由伸」でもある。それくらい、あの頃のスポーツメディアは巨人の背番号24をひたすら追い続けたわけだ。
参考までに97年ドラフト前後の『週刊ベースボール』を確認してみると、11月24日号、12月1日号、12月8日号、12月29日号、1月5・12日号と怒濤のハイペースで由伸スマイルが表紙を飾っている。慶応の詰襟学ラン姿から、ジャイアンツの真新しいユニフォーム姿での長嶋監督との入団会見まで。まだ巨人が圧倒的な人気を誇っていた時代、待ちに待ったテレビ映えのする正当派スター選手の誕生にマスコミは沸いた。
97年の秋、9球団による争奪戦の末にヤクルト逆指名が決まりかけていた由伸だったが、蓋を開けてみたら急転直下の巨人逆指名。当時のヤクルトスカウト片岡宏雄の著書『プロ野球スカウトの眼はすべて「節穴」である』(双葉新書)では、由伸の父親の焦げ付いた土地問題に触れつつ、「高橋とは直接、なにかを話したわけではない。だから、裏切られたとは思わない。一度はヤクルトに行きたいと言った言葉を飲み込んで、巨人を選んだ。すべての真相は本人の胸の中だが、深夜の家族会議でなにかが起きた事だけは確かだ」と無念そうに振り返っている。
【当時23歳「1998年の高橋由伸」がいた時代】
そして、98年シーズンが始まり、そのスーパールーキーは前評判通りの実力で逆指名時の喧噪を黙らせる。自身の23歳の誕生日でもあるヤクルトとの開幕戦、「7番ライト」でデビューを飾ると、6月下旬からは5番を任せられ、松井秀喜や清原和博と豪華クリーンナップを結成。終わってみれば126試合、打率.300、19本塁打、75打点という堂々たる成績を残した。
140安打は当時の新人安打数で歴代6位。さらにオールスター戦で外野フェンス前からホームベースに向かっての送球で強肩を競う「返球コンテスト」では、オリックスのイチローとともに最高得点を記録。その規格外の強肩を武器にシーズン捕殺数12でゴールデングラブ賞とセ・リーグ新人外野手初の捕殺王にも輝く。新人王は六大学時代のライバルで14勝を挙げた川上憲伸(中日)が獲得するも、由伸はセントラル・リーグ特別表彰を受賞している。
今思えば、この年から実現した長嶋巨人の「3番センター松井秀喜、4番ファースト清原和博、5番ライト高橋由伸」はファンにとっては贅沢だった。なぜなら、98年はそれぞれ由伸23歳、松井24歳、清原31歳である。今の高齢化が進む地味なスタメンを考えると、歓喜の涙を流したくなるほど夢と希望に満ち溢れたクリーンナップだ。ゴジラに対抗して、ミスターが付けた愛称「ウルフ」は全然定着しなかった件も笑って許せる。
なにせ、天才由伸は2年目の翌99年には打率315、34本、98打点、さらっとペプシのテレビCM出演である。地上波中継時代最後のスーパースターの誕生だ。この世間一般に対する人気や知名度が最近の巨人に最も足りないものだと個人的には思う。いつの時代も野球ファンみんなに知られている選手はスターで、そこを越え世間に認知されている選手がスーパースターだ。
あの衝撃デビューから19年。42歳になった由伸監督が指揮を執る2017年の巨人軍が最も欲しているのは、皮肉にも「1998年の高橋由伸」のような、その才能と存在感で一瞬で東京ドームの沈んだ雰囲気を変えることのできる、若手スター選手の出現である。
(参考文献)
『プロ野球スカウトの眼はすべて「節穴」である』(片岡宏雄/双葉新書)
『週刊プロ野球セ・パ誕生60年 1998年』(ベースボール・マガジン社)
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