【8年前…2009年の球界の記憶と言えば?】
「あの頃」が完全な過去になった。
昨夜、風呂上がりにテレビを眺めていたらモーニング娘。のオリジナルメンバー5人が18年ぶりに集まりFNS歌謡祭に出演、ラストではいまだにまったくオバサンになっていない48歳の美しき森高千里がギター片手に歌っていた。そういえば、先月は横浜スタジアムで「ハマスタレジェンドマッチ」が開催され、『TEAM 1998』に懐かしの98年優勝メンバーが顔を揃えた。2017年12月の現在、90年代エンタメは近すぎず遠すぎず、絶妙な距離感の美しき過去なのだろう。本人も関係者も年齢とともに丸くなり、今なら共演OK的なあの感じ。当然、見ている側も同時代を生きて一緒に年を重ねているから、感情移入も半端ない。
そして、気が付けば2000年代も同じような立ち位置になりつつある。例えば、2009年ならもう8年前だ。バラク・オバマが第44代アメリカ大統領に就任して、マイケル・ジャクソンが死んだ年。正直に書くと、個人的に8年前は人生で一番お気楽な日々を送っていた。三十路突入前に激務のサッカー関係の仕事から、残業がほとんどない化粧品メーカーのデザイン部へ転職。東で合コンがあると聞けば走り、西でフェスがあると知れば有給を取る。夏のボーナスでフジロックやサマーソニックの全日程を楽しんだのもこの頃の話だ。…ってこれでいいのかなオレの人生、もう30歳ってことはすぐ40歳になっちまう。なにを武器に勝負すべきか…。てな感じで31歳の時に腹を括って始めたのが、ブログ『プロ野球死亡遊戯』だったわけだ。なんつってあらゆる取材を受ける度に喋ってきたが、これが絶対的な真実なのかはもはや分からない。なぜなら過去とは美化された嘘だから。時間の経過とともに、頭の中には自分の都合のいいストーリーだけが残る。好きなアイドルや応援するプロ野球チームに対してもそうだ。今、当時の記録を見返すと忘れかけていた事実を思い出し驚くことが多い。
2009年の球界の出来事と言えばWBCの侍ジャパン二連覇、原巨人は7年ぶりの日本一に輝き、ヤンキースの松井秀喜が日本人選手初のワールドシリーズMVPを受賞した栄光の1年だ。「あぁこの頃の巨人は強かったなあ」なんて8年前の野球雑誌を読んでいたら、それよりも驚いたのがパ・リーグの投手タイトル争いのハイレベルさだ。そうだ、確かにこの頃のパ・リーグにはスーパーエースたちが顔を揃えていた。
【ダルビッシュ、田中、涌井、杉内、金子らがいた時代】
いきなりだが、09年のパ防御率ランキングを振り返ってみよう。
1 ダルビッシュ有 (日) 率.1.73 23試 15勝5敗
2 涌井 秀章 (西) 率.2.30 27試 16勝6敗
3 田中 将大 (楽) 率.2.33 25試 15勝6敗
4 杉内 俊哉 (ソ) 率.2.36 26試 15勝5敗
5 金子 千尋 (オ) 率.2.57 32試 11勝8敗
6 ホールトン (ソ) 率.2.89 25試 11勝8敗
7 岩隈 久志 (楽) 率.3.25 24試 13勝6敗
8 岸 孝之 (西) 率.3.26 26試 13勝5敗
9 成瀬 善久 (ロ) 率.3.28 23試 11勝5敗
10永井 怜 (楽) 率.3.42 26試 13勝7敗
1位はリーグMVPにも輝いたダルビッシュ、この時点で3年連続の防御率1点台と驚異的な安定度である。2位の涌井は松坂大輔のエースナンバー18番を継承した初年度に16勝で最多勝のタイトルを手に、リーグ唯一の200投球回もクリアした。3位は当時まだ3年目の田中だ。マー君(最近この呼び名を聞かなくなった)は自身初の15勝到達、クライマックスシリーズでも2完投勝利と飛躍の1年となった。4位の杉内は203奪三振で2年連続の最多奪三振を獲得。5位の金子は翌10年に17勝、204イニングを記録する。6位以下も現メジャーリーガーの岩隈、今は楽天へ移籍した西武時代の岸といった豪華面子が顔を揃えている。まさに各球団にスーパーエースがいた時代と言っても過言ではないだろう。
【メジャー挑戦、FA移籍、スーパーエースたちのその後】
ダルビッシュ、涌井、田中、杉内、金子、岩隈、岸、成瀬、驚くべき事に当時の彼らは皆20代の若さである。今はベテランの仲間入りをした杉内や岩隈も20代後半、金子や岸は20代中盤、86年組のダルビッシュや涌井は若干23歳、ハンカチ世代(懐かしい)の田中にいたってはまだ21歳だった。同時代に彼ら好投手たちの全盛期と成長期が重なった奇跡。2000年代に松坂や斉藤和巳の背中を追った投手たちが各チームのローテの柱となり、若手もそんな先輩投手の背中を超えようと切磋琢磨する雰囲気。2009年のパ・リーグはまさに好投手が好投手を生む理想的なサイクルができていた。
だが、最高の時間は長続きしない。何人かはさらなる高みを目指してメジャー移籍。杉内は11年オフのFA移籍で巨人の18番を背負い、13年オフにロッテへFA移籍した涌井も今オフのメジャー挑戦を模索している。これが昭和のプロ野球なら、同チームで10年以上ライバルストーリーが続いていたはずだ。実際に山田久志、村田兆治、東尾修らはそういうキャリアを送っていた。どちらが良い悪いではなく、時代が変わったのである。プロ野球は儚い。もはや超一流選手は早い段階でアメリカを目指すだろう。それはプロなら当然だと思う。同時に、NPBから全盛期のスーパーエースが若手打者を育てるみたいなアングルは減ってしまったのも事実だ。ゴールデンルーキー清原和博が山田のシンカーや村田のフォークに挑むシーンはファンとしてもドキドキした。今で言えば、普通に田中将大vs清宮幸太郎が実現していたことになる。あの頃は良かったというのはイージーだが、プロ野球界にとってはいい時代だったように思う。
この2009年シーズンから2年後の11年7月20日、東京ドームでダルビッシュと田中将大の日本最後の先発対決が話題を呼んだ。すでにポスティングでのメジャー移籍が確実視されていたダルビッシュと、その日本のエースの座を継承すべく田中の投げ合いを見ようと44,826人の大観衆が詰めかけた(自分もそのひとりだ)。同年オフにはダルビッシュと岩隈がメジャーへ。その2年後には田中も楽天日本一を手土産にあとを追うことになる。
2009年のパ・リーグを湧かしたスーパーエースたち。今思えば、電車に乗って球場へ行けば、普通にダルビッシュや田中将大が見れていた時代は贅沢だった。恐らく、10年後に我々は「日本の球場で大谷翔平が見れてラッキーだった」と過去を懐かしく振り返る時が来るのだろう。
(参考資料)
『ベースボール・タイムズ2009プロ野球総集号』(スクワッド)
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