【野球観戦スタイルが変わった2000年代中盤の球界事情】

 気が付けば、いつでもどこでも好きな時にプロ野球が見れる時代がやってきた。 

 自分は2018年シーズンは主に動画配信サービスのDAZNとHuluで野球観戦することになりそうだ。他に新日本プロレスワールドにも加入しているのでこれでスポーツ関連はほぼすべて観られてしまう。今、この文章は新幹線のぞみの中でキーボードを静かに打っているが、周囲を見渡しても新聞や雑誌を広げる乗客よりも、スマホやタブレットでのんびり動画を観る人の方が多い。と言うか、最近は頑なに資料用に紙のスポーツ新聞を大量に買い込んで新幹線に乗る俺がほとんど不審者である。

 ちなみにボーダフォンが日本で初めて地上アナログTVチューナーを内蔵した携帯電話「V601N」を発売したのが03年10月14日。ワンセグ携帯でモバイル向け地上デジタル波放送が観れるようになったのは06年4月1日からなので、人々が「映像を持ち歩く」という日常生活を手に入れてからまだ10年ちょいということになる。一時期、東京ドームの客席では無意味にワンセグケータイで野球中継映像を確認しながら観戦するスタイルの人も多かった。何て言うのか、テレビを持ち歩けることがそれだけ珍しく嬉しく感じられたのだろう。

 そんな時代背景のあった2000年代中盤、ソフトバンクがダイエーホークスを買収したのが04年シーズンオフのことである。球界再編真っ只中、自主再建を断念したダイエーが産業再生機構への支援を要請と切羽詰まった状況においても、当時のホークスは90年代からの逆指名ドラフトで獲得したアマ球界トップクラスの選手たちが続々と主力に定着し、チーム力はピークを迎えつつあった。本連載でも以前取り上げた2003年の「ダイハード打線」は井口資仁、松中信彦、城島健司、ペドロ・バルデスら100打点カルテットを擁し、史上最高のチーム打率.297の超強力打線で日本一に輝いている。

【20代カルテットが活躍した05年の若鷹先発陣】

 さて新生福岡ソフトバンクホークス1年目の05年シーズンは、井口資仁こそメジャー移籍でチームを去ったが、前年に平成初の三冠王を獲得した松中信彦が46本塁打、121打点でこの年も二冠獲得。さらに懐かしのフリオ・ズレータが43本塁打、現役バリバリ大物メジャーリーガーのトニー・バティスタも27本塁打と攻撃力は健在で6月後半から破竹の15連勝でペナント争いをリードする。最終的に王貞治監督11年目にして最多の年間89勝でフィニッシュ。先発陣は絶対的エース斉藤和巳に加え、01年ドラフト3位杉内俊哉、02年ドラフト自由獲得枠の和田毅と新垣渚らの“松坂世代トリオ”がローテに定着すると、4人とも二桁勝利を記録した。

2005年成績

選手名試合勝敗防御率投球回奪三振
斉藤和巳2216勝1敗2.92157129
杉内俊哉2618勝4敗2.11196.2218
和田 毅2512勝8敗3.27181.2167
新垣 渚2210勝6敗4.61136.2130

 この年、斉藤は28歳、杉内、新垣は25歳、早生まれの和田は24歳。全員20代の4人で計56勝を稼いだ。プロ4年目の杉内が最多勝と最優秀防御率に輝き、パ・リーグ左腕初の沢村賞も獲得。開幕から右肩痛で出遅れた斉藤は復帰後15連勝を記録し、わずか年間1敗のみという凄まじい安定度で20勝を挙げた03年以来自身2度目の最高勝率のタイトルを受賞する。投打ともに充実の戦力でレギュラーシーズンを1位で通過したソフトバンクだったが、前年から導入されたプレーオフでまたも涙を呑み2年続けて敗退。日本シリーズ出場を逃した(この事態を受けて翌06年からペナント1位チームには無条件でアドバンテージの1勝が与えられるようになった)。そして、オフに前年の井口に続き大黒柱の正捕手・城島健司がメジャー移籍を表明してひとつの時代が終わるわけだ。

【故障、FA、トレード、続々とチームを離れた男達のその後……】

 翌06年も斉藤、杉内、和田、新垣のカルテットで計52勝を挙げるが、リーグ3位に終わり三度プレーオフで敗退してしまう。03年から06年までの4シーズンで計64勝16敗と活躍したエース斉藤は、その後右肩痛に悩まされ07年クライマックスシリーズを最後に1軍マウンドから遠ざかり13年限りで現役引退。杉内は11年オフに巨人へFA移籍、和田も同年オフに海外FAでボルチモア・オリオールズと契約(16年からホークス復帰)。制球難に苦しんだ新垣は14年途中にヤクルトへトレード移籍後、16年限りで引退を表明した。

 13年前の2005年シーズン、ダイエーホークスからソフトバンクホークスへの転換期を支えた若き先発投手陣。彼らが揃って活躍したのは数シーズンだったが、その間に現在の常勝ソフトバンクのベースは着々と築かれることになる。

 なお、この年のドラフト会議で指名されたのが、のちにチームの主力となる松田宣浩や本多雄一である。


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