阪神のショートが日本一の名手と思いたい

金本知憲監督が野球殿堂入り!こいつは春から縁起がいいわい!結果を出したい理由がアレコレと積み上がっていく今年ですね。殿堂入りにふさわしい実績。とくに阪神に移籍してからの活躍はすごかったの一言でした。金本監督、おめでとうございます。

 さて、相変わらずの「大競争時代」で幕を開ける阪神タイガースの2018年。「競争と言えば聞こえはいいが」という「まくらことば」もすっかり定着している感がありますが、切磋琢磨しながら真のレギュラーが誕生してくれるのを待つ日々です。

 しかも、決まらないのはことごとく大事な大事な「センターライン」。すなわちキャッチャー・セカンド・ショート・センターの面々で、なかでもチームが奪うアウトの数に影響がある二遊間が白紙に近い状態に見えます。

 近年ではセカンドの守備力がとても重要になっていますが、「名手」と呼ばれるショートのレギュラー選手を伝統的に輩出しているのが阪神です。今日はそんな「阪神タイガース遊撃手レギュラー列伝」です。

 どこのチームでもショートを守るのは「名手」なのでしょう。でも、なぜか阪神ファンには、「うちのショートは日本一と言いたい伝統」があるように思います。ちょっと振り返っていきます。

深く守って鋭く刺した鳥谷

2004年~2016年 鳥谷敬
2003年 藤本敦士
2002年~1998年 戦国時代(沖原佳典、関本健太郎、田中秀太、今岡誠)
1992年~1997年 久慈照嘉
1988年~1991年 和田豊

 まずは近・現代です。なんといっても鳥谷はすごい。優勝した2003年のオフに自由獲得枠、いわゆる「逆指名」で早大から阪神に入団。実に「阪神的でない」シュッとしたルックスにいろいろと心配もありましたが、「これで阪神のショートは向こう10年安泰」という触れ込みどおり、初年度である2004年の終盤からレギュラーを獲得すると、2016年途中まで、ショートのレギュラーを確保しました。

 今振り返ってみれば、ショートという消耗の激しいポジションで12年近くレギュラーを張り、2000本安打も達成したのですから、本当にすごい選手です。ことに守備については、努力の積み重ねにより実力を上げて「名手」と呼ばれるようになりました。他球団のショートよりも1歩、2歩深くポジショニングできたのは、俊敏性と類い希なる強肩があったからこそです。

 今年もサードレギュラーとしての起用になるでしょうが、守備の負担がないなかで活躍を期待したいと思います。

 鳥谷こそショートレギュラーからサードレギュラーへと転身しましたが、阪神のショートは、次世代の選手においやられるとセカンドに回るというのが伝統でした。俊敏性や、強肩に陰りが見えても、二塁なら通用する。今ではそうもいかないのですが、うかうかしているとまだその感覚を持っている指導者がいそうです。

 鳥谷によってセカンドに追いやられたのが藤本敦士でした。ショートレギュラーの地位にいたのは1シーズンとちょっと、とても短い間でしたが、2003年の優勝を支えた名ショートですから印象は強いです。守備力は文句ありませんでしたが、「スター鳥谷」にポジションを奪われて、その後はセカンドとして2005年の優勝にも貢献しました。

 その前のショートレギュラーといえば久慈照嘉。守備コーチとしても活躍していますが、華麗な守備は目に焼き付いています。高校から社会人の名門・日本石油に進み、「優勝未遂」の1992年に颯爽と登場。新人王を獲得する大活躍でレギュラーを掴むと、1997年まで6シーズンはポジションを守りました。

伝統の始まりは25歳の若さで散った小兵遊撃手

1983年~1987年 平田勝男
1979年~1982年 真弓明信
1978年 榊原良行
1967年~1977年 藤田平

 もうこのあたりからは「歴史」ですね。ただ、私はすでに見ていた年代です。1985年、戦後球団唯一の「日本一」を支えたのは名手平田。さりげなくさばくタイプの名ショートでした。勲章の輝きは別格です。

 ライトの印象が強い真弓ですが、「世紀の大トレード」直後は、強肩強打の名ショートでした。平田の加入により外野に押し出されましたが、それが功を奏したわけですね。その後も長く活躍しました。

 そして鳥谷と並ぶ唯一の生え抜き2000本安打、藤田平。ケガのため戦線離脱(のちに一塁手としてカムバックしました)するまで10年以上ショートのレギュラーを張りました。藤田平、真弓、鳥谷は、「阪神の打てるショート」の系譜ですね。

1953年~1966年 吉田義男
1951年~1952年 白坂長栄
1950年 西江一郎
1946年~1949年 長谷川善三
1942年~1944年 野口昇・武智修
1939年~1941年 皆川定之
1936年~1938年 岡田宗芳

 球団の黎明期から、戦中戦後のショートレギュラーたち。やはり特筆すべきは藤田平によって二塁に追いやられるまで、14シーズンもポジションを渡さなかった吉田"よっさん"義男ですね。古いフィルムが残されていますが、まさに捕ったら投げているという素速い守備でした。

 阪神タイガース、「名ショートの系譜」。その元祖が初代正遊撃手の岡田宗芳。旧制広陵中学は金本監督と同門、小兵の名手として、当時のオールスターゲーム「東西対抗」に出場するなど活躍しました。しかし招集され、ニューギニアで戦死。25歳の若さででした。

 ここまで「ショートレギュラー」として名前を挙げたのは、「レギュラー不在」時代の人々を含めても20人ほど。これは歴代の監督の人数よりも少ない人数です。これってなかなかすごいことですよね(笑)。今年、「向こう10年」を担ってくれる新しいショートのレギュラーが誕生するでしょうか。注目して見守りたいと思います。

※下記のサイトを参考にしました。

げんまつWEB タイガース歴史研究所

鳴尾浜トラオ