「カープの助っ人ピッチャーは大きい」というイメージを植え付けたミンチー

ミンチーがカープにきたのは三村監督最後の年でもある1998年。当時のカープは野村・前田・緒方・江頭・金本など「ビッグレッドマシン」と呼ばれた12球団最強クラスの打線であった。しかしその反面ピッチャー陣は崩壊といっても過言では無い状態。そんな中1人来日初年度からピッチャーを引っ張ったのが、このネイサン・ミンチーである。カープ自体助っ人ピッチャーを取ることはそれまで少なく、実績があるのは自前で育てたドミニカアカデミーのチェコくらい。最初は誰もがただの大きな外国人だな、くらいしか思ってはいなかった。しかし蓋を開ければ、まさかのあの巨体から繰り出される「変化球中心のピッチング」に相手は翻弄されまくり。1年目から15勝というカープ助っ人外国人勝利記録を打ち立てたのだ。その後もロッテへと移籍し4年連続二桁勝利、1000投球回などを達成したミンチー。ナックルすらも操るその勇姿は今なお、その名前のインパクトとともに野球ファンの脳裏に焼き付いている。

意外な記録を持つミンチー

カープの歴代助っ人外国人の中でもとくに大きかったミンチー。ミコライオが来るまでは最高身長記録保持者であった。さらにロッテに移籍して二桁勝利をあげたことで、日本プロ野球史上初のセ・パ両リーグでの助っ人二桁勝利投手となった。記録だけではない。当時カープファンの間で話題になった「ミンチー・ペルドモ・デハート投手リレー」はいまでも語り継がれる珍事件だ。当時外国人ピッチャーは2人しか登録できなかった。しかし二刀流のペルドモが「野手」という登録で「ピッチャー」としてマウンドに上がったのだ。当時の監督達川さんがルールの盲点をついた、史上初の助っ人3人リレーだった。その他にも、松坂大輔を好きすぎて自分の子供に「ダイスケ」と名付けるなど何かと思い出深い選手であったミンチー。そんなミンチーはインディアンスのスカウトを経て、現在はジャイアンツの駐米スカウトとして活躍している。

ミンチーの半年に一度の割合で更新されるSNS

ミンチーの現在はTwitterにて知ることができる。

なんと!アイコンはカープ時代のものを使用している。カープファンとしては嬉しい反面ジャイアンツのスカウトなのに大丈夫かな、などといらぬ心配をしてしまう。
日本にもよく訪れているミンチー。こんな投稿もあった。

写真の目線がとにかく高い。車内広告にほぼ顔がめり込む高さだ。2メートルを超えるミンチーが車内で急に広告を撮り始める姿を想像すると、周りの人の驚きは相当なもであったろうと思われる。さらにミンチーがとんでもない危険にさらされた投稿もあった。

トルネードに巻き込まれかねない状況のミンチー。人生で「ミンチーがトルネードに巻き込まれる危険性」について考えたことは無かったが、ミンチーもこのような状況になることがあるだ、と自分の想像力の無さに歯痒くなった。そしてミンチーの意外なハンターの写真も投稿されていた。

凄い迫力である。捕らえられたヘラジカもとても大きい感じはするのだが、何しろミンチーが大きすぎるがあまり、ヘラジカの大きさがそこまで伝わってこないのが悔やまれる。
極めつけはこちらの写真。

極小のミニトマトの写真をのせるミンチー。ミンチーの手が大きすぎるあまり、「本当にとても小さなミニトマト」なのか「ミンチーが大きすぎるあまり普通のトマトを極小トマトと言っているジョーク」なのかがわからない。とにかくミンチーの大きさばかりがこのTwitterからは感じられたのである。

今後も来日する機会が多いと思われるミンチー。もし電車で吊り広告を写メしてるとても大きな外国人がいたら、それはミンチーかもしれない。


ザ・ギース尾関高文