伝説の飛ばし屋ブーマー
「最強の助っ人外国人は?」と聞かれて間違いなく上位に挙げられる助っ人。乱闘キャラとしてCMに起用された助っ人。怪力すぎてハイタッチでチームメイトの肩を脱臼させた助っ人。それがブーマー・ウエルズだ。当時全ての野球少年のみならず、老若男女全ての日本国民がそのパワフルなブーマーの姿に心奪われ、凄まじいプレーに熱狂したものだ。
ブーマーが日本に来たのは1983年。ミネソタツインズから上田利治監督が指揮する阪急ブレーブスへと入団した。本名はグレッグ・ウエルズ。愛称でもある「ブーマー」は、あまりの打球の早さにアナウンサーが「ブームを呼ぶ男」という意味から名付けたものだった。ブーマーとしてしか認識がなかった人も多い事だろう。「ブームを呼ぶ男」という表現もなかなかに時代を感じる。
一年目は左膝の怪我の影響もあり17本塁打という成績で終わったものの、翌年3割5分5厘、37本塁打130打点の大活躍で助っ人外国人初の3冠王を手にする。個人的には1984年のカープとの日本シリーズで、抑えなければならない恐ろしいバッターであったブーマーの記憶ばかりが焼き付いている。日本の野球にしっかりと適応したブーマー。その後阪急に9年在籍中「8回の3割越え」というとんでもない活躍をするのだった。
ブーマー伝説
ブーマーの伝説をあげれば本当にきりがないのだが、まず代名詞とも言える場外ホームランを連発したそのパワーである。来日直後のキャンプでブーマーがあまりに場外ホームランを打つので、そのスポーツニュースをテレビで見ていたお年寄りが驚きのあまり心臓発作を起こすという、嘘か本当かわからない話まである。更に場外弾を放てばブーマーの身長と同じ長さの2メートルの「ブーマーパン」をプレゼントするという謎すぎる企画が球団から飛び出したりもした。(結局パンはプレゼントされなかったそうだが)
そして野球ファンならばだれもが珍プレーで見たことがある「ブーマーハイタッチで門田の肩脱臼事件」である。ホームランを打ち大興奮のブーマーとハイタッチをした門田氏の右肩関節が脱臼してしまったのである。当時の門田氏は3割30本という打線の中心であったが、この怪我でその後離脱を余儀なくされチームも優勝を逃してしまうのだった。そもそもが2メートル100キロという「そんなざっくりとした数字!」と感じるほどの巨漢。(元日ハムのオバンドーも同じ)阪急電車もくぐって乗っていたそうだ。時々「奇声を発する」癖もあったそうで、2m100キロの大巨人がいつ奇声を発するかわからない状態で、チーム内は適度に良い緊張感に包まれていたと推測される。そんな環境も当時阪急が強かった要因かもしれない。
現在のブーマー
その後ダイエーに渡り現役を退いたブーマー。敬愛する上田監督に良い助っ人を送り届けようと、代理人へと転身するのだった。そんなブーマーは現在どの様な状態なのだろうか。ブーマーがSNSをしているイメージなど皆無であったが、今回も様々なSNSを探索した結果なんとブーマーのfacebookが発見できたのだ!こちらが現在のブーマーである。
あのブーマーももう63歳。すっかりおじいちゃんである。しかも2m100kgの巨体は変わらず。プロフィール写真のタキシード姿はまるでビスケット・オリバのごとく堂々とした体躯をしている。
しかしこの娘さんとの写真からは優しい「巨大おじいちゃん」の様子が伺える。阪急時代、そしてオリックス時代の写真も多数掲載されており、日本の思い出の深さも伺える。そしてブーマーの上田利治監督への思いが溢れた投稿を見つけた。今年7月3日の投稿を見て頂きたい。
(訳)「私の大好きなマネージャーの上田さんが亡くなったことを今日知りました。彼は私の日本の家族として大きな存在でした。私のコーチやチームメイトは、彼と様々な素晴らしいことを日本で一緒にしました。彼は外国人の選手がプレイするにあたって最高のマネージャーでした。彼が亡くなりとても寂しくなります。ご冥福をお祈りします。」
皆様の記憶にも新しいだろう。今年の7月1日、名将上田利治さんがお亡くなりになった。この悲しいニュースはブーマーの耳にも入っていたのだ。現役当時から「日本での活躍があったのは上田さんがいたからだ」と、何度も上田さんへの感謝を口にしていたブーマー。この投稿から上田さんへの想いが伝わってくる。
その他にもブーマーが高校生だった時に吹奏楽部に所属しサックスを持つ写真や、異常に筋肉が発達した女性を投稿したりととても楽しいブーマーのFacebook。
ブーマーの愉快な人柄が伝わってくる、ユーモア溢れたSNSなのであった。