元祖天井弾男ブライアント

大谷翔平が東京ドームの天井にボールを打ち込んだ「東京ドーム特別グラウンドルールホームラン」から遡ること26年。プロ野球史上初めて、このルールが適用されたホームランを放ったバッターがいた。そう、ラルフ・ブライアントその人である。設計上はあり得ないとされていた(竹中工務店談)東京ドームのスピーカーを直撃したそのホームランは、数え切れないほどテレビで繰り返し放送された。プロ野球ファンでなくても、あのシーンを覚えている方も多いだろう。当たればとてつもないホームランを放つブライアントに誰もがロマンを感じ、当時ファミスタでもその能力を遺憾なく発揮していたブライアント。そんなブライアントが最初に入団したのは中日ドラゴンズだった。

近鉄を優勝に導いたブライアント

近鉄のイメージが強いブライアント。実は1988年に中日ドラゴンズへと入団している。当時郭源治とレーシッチが活躍していた中日ドラゴンズでのブライアントの出番はほぼなかった。しかし、助っ人の緊急離脱により大砲を熱望していた近鉄が金銭トレードでブライアントを獲得。その後シーズン途中からではあったが34本のホームランを放ち、日本でのブライアント劇場が幕を開けたのだった。(ちなみに当時近鉄から急遽離脱した助っ人リチャード・デービスの解雇理由は大麻所持。なかなかにパンチの効いた離脱理由である。)
当たればホームランというストロングスタイルはまるで広島のランス(安打の半分がホームラン)の如し。翌年も49本塁打という驚異的なホームランを記録したブライアント。同年ライオンズとの優勝決定戦での4連続ホームランは、今思い出しても鳥肌が立ち、ため息が出てしまうほどドラマティックなものだった。その後も1995年に退団するまでホームランを放ち続けたブライアント。エディ・マーフィーに似たその風貌からとばす小粋なブライアントユーモアや、自由契約になった年でもファン感謝デーに参加するほどの近鉄愛。ブライアントは近鉄ファンに誰よりも愛されていた助っ人であった。

現在のブライアント

そんなブライアントの現在を追うべく早速調査を開始。あの伝説の天井直撃男ブライアントももうけっこうな年齢である。SNSなどしているはずが・・・と調べてみると、意外にもすぐにfacebookで発見。この連載も回数を重ねて来たが年齢が上なほどFacebookをしている可能性は高いのだ(ブーマーしかり)。というわけでこちらが現在のブライアントである。

紫のベストがかわいいブライアント。少し年をとってはいるが確かにあのブライアントに間違いない。Facebookの友人を見ると元巨人前田幸長氏や門倉健氏、元近鉄の中根仁氏までいる。これは揺るぎないほどのブライアントだ。現在はアトランタに住んでいるようで更新もしっかりと行なっているようだ。
投稿された記事にはお子様のものが多い。上のお嬢様は無事大学を卒業し現在は社会人。

他にもブライアントのほっこりする平和な投稿が目につく。うたた寝をしてしまう、うっかりブライアント。

我が子にハッピーバースデーを歌うブライアント。(まさかブライアントの歌声を聞けるとは思わなかった。)

と、ここでブライアントの一番下の息子さんの可愛すぎる写真を発見した。

息子に近鉄バファローズのヘルメットを被せるブライアント。お子様の異常な可愛さばかりが目立つ写真である。息子にもいつか野球をしてほしい、そしてバファローズでプレイして欲しい・・・そんな気持ちがあったのかなかったのか。とにもかくにも心が暖まる一枚なのであった。
いつかこの息子さんが、本当にバファローズのヘルメットをかぶる日が来る事を願ってやまない。(オールドユニフォームの日に限る)


ザ・ギース尾関高文