気がつくといつもそばにいた許銘傑
西武ライオンズに12年。オリックスに2年。計14年もの長きにわたり日本プロ野球界に在籍した、メガネがトレードマークのピッチャー許銘傑。「なんだかずっと日本にいるな。」とは思いつつも、改めて数字を見るとそんなにいたのかと驚くほどの期間である。
許銘傑が来日したのは2000年。台湾との紳士協定解除後初の入団選手であった。切れ味鋭いシュートにスライダーなどを織り交ぜ、打たせて取るピッチングで2001年には最優秀防御率のタイトルを取りそうになる。(あくまで取りそうになっただけである)その後は不安定なピッチングが続き先発からロングリリーフに回ることになる。2006年にはサイドスローに挑戦。すぐ元のフォームに戻したものの、常に試行錯誤しながらどんな場面でも厭わず投げるその姿に許銘傑の「自己犠牲の精神」を感じたものである。
助っ人外国人初の快挙
2000年代の後半には通訳もつけずに、巧みに日本語を操っていた許銘傑。長きにわたり日本野球界にいた許銘傑はある快挙を成し遂げる。そう、助っ人外国人初FA権取得による移籍である。しかしオリックス・バファローズへと移籍した許銘傑は、新天地で目立った活躍をすることなく2年で台湾に帰ることになってしまうのだった。そして2016年に引退。その後台湾の中信兄弟のコーチに就任することになった。
5年ぶり日本球界に復帰許銘傑
そして去年の末、ある一報が西武ファンをざわつかせる。なんと許銘傑の西武コーチへの就任。なんで突然許銘傑が!?と戸惑ったファンの声も多かったが、同郷の台湾人右腕・郭俊麟(カク・シュンリン)投手の再生を期待されてのことだという。
日本語も上手で、あの優しい笑顔の許銘傑のことだ。人間関係を円滑に進めるにはうってつけの人材だったのだろう。様々な苦労をし長きにわたって西武を支えて来た許銘傑がいれば、日本人選手にもよい影響を与えることは間違いない。
今回そんな許銘傑のSNSを、いつものように検索した。許銘傑は人懐っこさもあるのでSNSやってる感が非常に強かった。(今まで問題を起こしたり、あまり人付き合いがない助っ人は得てしてSNSをほぼやっていないのである)はてさて、思った通りにすぐ許銘傑のSNSは見つかった。一体どんな投稿がされているのだろうか。コーチとしての資質も垣間見えるであろう許銘傑のFacebookがこちらである。
許銘傑のFacebook
まず投稿の数が多い。まめに投稿しコメントにも対応するあたりコミュニケーション能力の高さがうかがえる。そして何より全ての写真の許銘傑が幸せそうなのだ。まずはこちら。
美しい奥様と可愛らしいお子様。台湾の野球選手は特に綺麗な方と結婚するイメージがある。そして趣味の釣り。釣り上げた魚の写真をこれでもかと載せているのだ。
そしてここでユニークな投稿を見つけた。なんとこちらは、台湾ラミゴモンキーズのユニフォームである。
凄まじいデザインのユニフォームである。もしかすると女性人気が出る可能性もあるのでは・・・などと思ってしまうが日本でこのユニフォームを採用するにはかなりの勇気が必要だろう。
そして一番このFacebookで目をひく投稿は許銘傑の愛犬である。まずはこちらを見ていただこう。
なんと可愛らしいのだろうか。この二匹の愛犬が許銘傑をそして家族を癒やしているのだ。
どうだろうか、このもふもふ感。(この投稿はだいぶ前ではあるので、今はかなりの成犬であろう)
これらの投稿を通して家族を愛し、みなと平和に暮らす許銘傑の人柄を垣間見ることができた。今季からの許銘傑のコーチとしての活躍が非常に楽しみである。そして願わくばあの二匹の愛犬も来日してほしいものである。