文=浅田真樹

世界7大陸最高峰制覇に成功した女性登山家

 2016年、ひとりの若きアルピニストが注目を集めた。南谷真鈴(みなみや・まりん)、1996年12月生まれの20歳である。

 南谷は19歳だった2016年5月23日にエベレスト登頂に成功し、日本人最年少記録を更新。さらに同年7月4日には、北米大陸の最高峰であるデナリ(アメリカ)の登頂にも成功。これにより、世界7大陸最高峰制覇の日本人最年少記録をも更新したのである。


 そんな山岳界の新星は、数々の最年少記録更新もさることながら、早稲田大学政治経済学部に通う現役の女子大生であること。さらには、すでに高校時代にエベレスト登頂という目標を立て、登頂費用を工面するために自らスポンサー探しに奔走するなどの行動力も大きな話題となった。

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南谷真鈴は2016年7月4日に北米最高峰のデナリ登頂で、世界7大陸最高峰の登頂を日本人最年少で成し遂げた。南谷真鈴の7大陸最高峰登頂実績は、2015年1月アコンカグア(南アメリカ大陸)登頂、2015年7月キリマンジャロ(アフリカ大陸)登頂、2015年12月コジオスコ(オーストラリア大陸)登頂、2016年1月ヴィンソン・マシフ(南極大陸)登頂、2016年 3月エルブルス(ヨーロッパ大陸)登頂、2016年5月エベレスト(アジア大陸)登頂、2016年7月デナリ(北アメリカ大陸)登頂となっている
南谷さん、19歳の「爽快感」=日本人最年少で7大陸最高峰登頂

 だが、新星誕生が大きな注目を集めた一方で、2016年の山岳界には悲しいニュースも流れた。

 2016年10月、日本を代表する女性登山家として知られる、田部井淳子さんが亡くなったのである。享年77歳だった。田部井さんと言えば、1975年に女性として世界初のエベレスト登頂に成功したことで広く知られる。1992年には世界7大陸世界最高峰登頂にも女性としては世界で初めて成功し、その名を歴史に刻んだ。

 田部井さんには生前、インタビューをさせてもらったことがあるが、7000~8000メートルもの山々を踏破してきたとは思えないほど小柄な女性で、世界初の記録を保持する世界的登山家であることが信じられないくらいだった。実際、小学生のころから体は小さく、「運動ができなくて、鉄棒も跳び箱も苦手だった」。登山にハマったきっかけは、小学校4年生のとき、担任の先生が近くの山に連れていってくれたこと。「運動が得意な友だちとも一緒に歩いて行けて、一緒に頂上に立てるのが心地よかった」。

 以来、田部井さんは「見たことのないものを見たり、会ったことのない人に出会ったりしたときの驚き」がクセになり、山に登り続けてきたという。なかでも、キラキラとした笑顔で楽しそうに話す田部井さんの、こんな言葉が印象深い。
「初めての場所に行く度に、『こんな風景が地球上にあるのか』、『地球ってスゴいな』と思います。自分が知らないところがまだまだいっぱいあるなと思うと、ちょっと焦ります」
「焦る」という表現がおかしくて、思わず「焦るんですか?」と聞き返すと、田部井さんは、こう答えてくれた。
「やっぱり、自分が知らないところがいっぱいあるってわかっちゃったから。知らなければ、そんなに焦らなかったと思いますけどね」

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夢や挑戦は受け継がれる

 田部井さんは晩年、「中高年の人はすでに数多く山に来てくれているので、若い女性に登山の楽しみを知ってもらいたい」と、登山の普及活動に取り組んでいた。
「美しい自然に入って、それを自分の目で見れば、こういうところは残しておきたいと思うに違いないし、自分の子どもも連れてきたいと思ってもらえるに違いない。次の生を生み育てていく人にこそ、こういう自然の中に入ってほしいと思っています」
そんな思いを胸に、女性登山家のフロンティアが亡くなったその年、20歳の女子大生が注目を集めた。何とも不思議な巡り合わせを感じずにはいられない。

 まだ見ぬ場所に足を踏み入れてみたい。あるいは、まだ誰も成し遂げていないことに挑んでみたい――。時代や手法は異なっても、冒険家の夢や挑戦は果てることなく、連綿と受け継がれていく。そんなことを実感できた、2016年だったのではないだろうか。南谷は今後、山岳の世界だけにとどまらず、スキーでの北極点到達など、冒険家として様々なことに挑んでいくという。彼女のこれからの活動にも注目していきたい。


浅田真樹

1967年生まれ。大学卒業後、一般企業勤務を経て、フリーライターとしての活動を開始。サッカーを中心にスポーツを幅広く取材する。ワールドカップ以外にも、最近10年間でU-20ワールドカップは4大会、U-17ワールドカップは3大会の取材実績がある。