バレエにあげた子

 森下さんは、小学3年から――夏休みや冬休みなどの長期休暇を利用して―東京のバレエ学校のレッスンを受け始めた。きっかけは、前年に広島公会堂で開かれた東京のバレエ学校の少女たちが踊る『4羽の白鳥』。
 この公演に衝撃を受けた森下さんは、両親に頼み込み、バレエ教室の先生のつてを頼りに東京のバレエ学校に通うようになっていた。

「まだ新幹線が走っていない時代で、広島から東京まで夜行列車で片道約12時間。列車に揺られながら朝を迎えると、車掌さんが食堂車に連れて行ってくれたことが今でも懐かしいです。何を食べたかは覚えていませんけどね」

 一方、娘をひとり送り出した両親は気が気ではなかった。家にはまだ電話が通っておらず、バレエ学校から到着を知らせる電報が届くまで両親は一睡もできなかったと、森下さんはだいぶ後になって知ったという。

 当時は東京でレッスンを受けることが楽しくて、帰宅しても「またすぐ東京に行きたい」とのめりこむ森下さん。両親は「この子は、バレエにあげた子」と早々に覚悟を決め、東京に送り出していた。

母は、着物に割烹着

「私が小学3年の時、バレエの費用を工面すべく、料理上手な母は洋食店『キッチンもりした』を開業しました。カウンターだけの小さなお店でしたが、たちまち繁盛して、広島カープの選手や他の球団の選手がよく食べに来るようになりました。地元では知られたお店で、それから40年近く続いたんですよ」

 森下さんが店の一押しメニューとして挙げたのが牛ヒレステーキ。“コンクールで優勝するような上質なお肉”を仕入れ、塩コショウのシンプルな味付けで、強火で一気に焼き上げる。表面はカリカリ、中はジューシーな絶妙な焼き加減で人気を博した。野球選手らにも大好評で、ひとりで2枚も3枚も平らげる選手もいたという。

「洋食屋なのに、母は着物に割烹着という姿で、その後ろ姿がとても凛として美しかったのを今でも覚えています。私は、お店の2階で母や従業員たちがハンバーグの仕込みをしている隣の4畳半の部屋で、ひたすらバレエの練習をしていました」

「バレエにあげた子」に対し、お金は出すけれど口は一切出さない。その両親の覚悟と、愛情あふれる母の手料理に支えられ、森下さんは大好きなバレエを思う存分踊れる体力を養っていった。

 身体もすっかり丈夫になり、バレエへの情熱は高まっていく。そんな中、ついにある決意をする。親元を離れての単身上京。両親も内心不安でいっぱいなものの、反対することなく娘の背中を押した。小学6年生、わずか12歳で森下さんはひとり東京に向かった。

大好きなバレエを一生の仕事に 12歳でデビュー

「子どもの私を信頼して、ポンと放り出してくれました。決めることも全て事後報告、知らない世界だからと一切口を出しません。両親のこうした姿勢で、幼いながらも自分の決断に責任を持つようになりました。これからバレエで生きていくんだ、しっかりしなきゃと列車に飛び乗った瞬間を、まるで昨日のことのように思い出すときがあります。母が作ってくれた贅沢ではないけれど、おいしく心のこもった食事も、両親の愛を深く感じることが出来ました」

 こうして森下さんは故郷の広島を離れ、東京で暮らし始めた。橘バレエ学校の橘秋子さんに師事して、バレエ漬けの日々。12歳で上京してすぐに主役に抜擢されたのも、それまでの森下さんの並々ならぬ努力と、広島から通うほどのバレエへの情熱で培ってきたバレエ表現の高さゆえだろう。森下さんにとってここは、スタート地点。橘先生の下で、みっちりと主役としての心構えを学ぶことになる。

 主役はオーケストラや、スタッフなど大勢の人を引っ張っていく要の存在。自分が踊るパートだけではなく、出演するすべての人のパートを覚えるよう橘秋子先生には厳しく求められたという。森下さんはすべてを身体で覚えた。加えて、バレエの素晴らしさを多くの人に広めるという橘先生の方針もあり、少女雑誌のグラビアページ撮影の仕事なども多く、学校も休みがちになるほどだった。

「転校した武蔵野市立第一小学校では、担任の先生が、『森下さんはバレエのために、ひとりで広島から上京してきました。みんな仲良くしてね』と言ってくださったおかげで、同級生みんなが勉強を教えてくれたり、何かと助けてくれたり、とてもよくしてくれました。
 その後、第一中学校に進んでも公演の応援に来てくれて、とても勇気づけられましたね。高校生になってもそれは変わらず、3階席が制服姿でいっぱいになったこともあります。今でもお孫さんを連れて公演を見にきてくれる方もいて、嬉しく思っています」

〔森下洋子インタビュー vol. 3〕につづく


森下洋子
1948年、広島県生まれ。3歳でバレエを始め、1971年に松山バレエ団に入団。1974年第12回ヴァルナ国際コンクールに出場し、金賞を受賞。以後、世界各国に活躍の場を広げ、2001年に舞踊歴50年を迎え、松山バレエ団団長に就任。1997年、女性最年少の文化功労者として顕彰される。2002年、芸術院会員に就任。バレエ歴70年を超え、第一線で活躍中。近著に『平和と美の使者として 森下洋子自伝』(中央公論新社)がある。2023年12月2日より松山バレエ団75周年記念公演『くるみ割り人形』開催。詳細は下記HPから。

松山バレエ団

VictorySportsNews編集部