溝と摩擦

 ポイントは、大きく踏み出した右足ではなく、逆足(後ろの足)にある。左足の爪先で、身体が前方に流れてしまうのを防ぎ、ブレーキをかける必要があるのだ。つまり、爪先に溝を掘ることで、コート設置面とで起こる摩擦を利用し、グリップ力を高めるというアイディアこそが〈スマイル〉の要諦であった、と私は考える。

 高校時代、私はミズノからスポンサードされたバドミントンシューズを着用しており、シューズの爪先には、溝ではなく半円の突起したゴムが付けられていた。そのゴムへの加工は、ネット際の攻防において――先に述べたように――身体をグリップし、支える機能として有意義なものであった。

ディーンとマックイーン

 さらに自説を開陳し、思い出話も語りたいところだが、ぼちぼち連載のテーマに戻ろう。バドミントンシューズが〈ファッションになった〉のは、いつか。

 まずは、ジェームス・ディーン(James Dean)と、スティーブ・マックイーン(Steven McQueen)。現在のメンズファッションの礎を形作ったふたりと言っても過言ではない稀代の映画スターが、ジャックパーセルを愛用していたのだ。

 ジェームス・ディーンは傑作映画『理由なき反抗』で、リーゼントに赤いドリズラージャケット、そしてデニムパンツという出で立ちで――不良文化に根差したカウンターカルチャーに基づく――ユースカルチャーを樹立した、最初にして最大のアイコンである。もっとわかりやすく言えばデニムパンツをファッションにした、とも言える絶対的なアイコン。

 対して、スティーブ・マックイーンは、『大脱走』『ブリット』など劇中で着用したアイテムが、ことごく人気を博した〈永遠の憧れ〉。A-2やMA-1などのフライトジャケットから、スウェットとチノパンのコーディネート、ロレックス(Rolex)のサブマリーナからタグホイヤー(TAG Heuer)のモナコ、さらには、フォード(Ford)のマスタングGT390など、あげればキリがないほどのプロダクトが、スティーブ・マックイーンによって、理想の男性像のファッション&ライフスタイルに欠かせないピースとして定着した。

 このふたりが愛用したのだから、ジャックパーセルが〈ファッション〉になるのは必然であった。

第3の男

 だが、ジャックパーセルにはもうひとり大切なアイコンがいる。ジェームス・ディーンとスティーブ・マックイーンに比肩し得る男。ことジャックパーセルの〈布教〉については、この2大アイコンを差し置いて語られる人物。ニルヴァーナ(Nirvana)のカート・コバーン(Kurt Cobain)である。そう、ジャックパーセルといえば、カート・コバーンなのだ。

 1980年代のアメリカにおいては、依然としてアンダーグラウンドだったパンクの文脈を踏まえたサウンドを、『ネバーマインド』(1991)を用いて地上にさらけ出したニルヴァーナ。ショーアップされたエンタメ性を重視したメタルが主流であったアメリカの音楽シーンは、彼らの登場により一変した。内省的な自己表現に基づいた音楽がスタンダードとなり、シーン全体をまさに革命してしまったのである。そのニルヴァーナのヴォーカル・ギターであり、ほとんどの楽曲の作詞作曲を手掛けていたのが、カート・コバーンだ。

音楽とファッション

 ニルヴァーナやパール・ジャム(Paerl Jam)などを中心とした、パンクを源流としたロックの潮流は〈グランジ〉と呼ばれた。グランジは、ときに〈薄汚れた〉と訳される。その呼称が音楽性のみならず、ファッションとしても、ひとつのジャンルとして脚光を浴びることになった。

 ジェームス・ディーンとスティーブ・マックイーンが、メンズを中心とした日本の〈アメカジ〉と呼ばれるスタイルの最大のアイコンであるならば、カート・コバーンは〈グランジ〉というファッションジャンルを、男女問わず世界中で定着させるきっかけとなった人物なのである。

 1993年、ペリー・エリス(PERRY ELLIS)に在籍していたマーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)が、まさに〈グランジ〉と題したコレクションを発表し、後にひとつのファッションジャンルとなるほど世界中から称賛された。

 このコレクションを機に、マーク・ジェイコブス自身も、その後ルイ・ヴィトンのデザイナーを任されるような、誰もが知る世界的なデザイナーのひとりとして飛躍することになる。それほど、ファッション界においてインパクトが大きかったのが〈グランジ〉コレクションなのだ。

【スポーツとファッション】 バドミントンシューズの栄光と黄昏 後編

VictorySportsNews編集部