タイムラグ

 といっても、日本においてニルヴァーナやグランジ系のミュージシャンが大衆的な人気を博したのは、すこし後のことだ。アメリカとタイムラグなしで、グランジにのめり込んだのは、ブラックフラッグ(Black Flag)やデッド・ケネディーズ(Dead Kennedys)といった、アンダーグラウンドなパンクシーンに足を突っ込んでいた一部の音楽好きだけだろう。

 日本でニルヴァーナをファッション界に知らしめたのは、パンクカルチャーをひとつのルーツとして掲げているアンダーカバー(UNDERCOVER)だ。このブランドが「SPEED期」と名付けたA/Wコレクションを1995年に放ったことで、日本の一般的な若者たちの間にニルヴァーナとカート・コバーンが刷り込まれた。

 その際、当然のようにジャックパーセルタイプのスニーカーも発表され、こちらはその後も何度か復刻リリースされ続けているほど、当時から人気を博した。

 また、2000年代に入るとナンバーナイン(number(N)nine)が発表した〈カート期〉と呼ばれるコレクションで、再びカート・コバーンがフューチャーされ、これが一大ブームを巻き起こすことになる。このコレクションにより、カート・コバーンがこの世を去った後にも関わらず、ニルヴァーナの音楽に触れる新たな世代が生まれることとなった。

モードはまだ遠い

 ナンバーナインのコレクションが発表された2000年代中期は、エディ・スリマンのディオール・オムなどに代表されるグランジやモッズをベースにしたスタイルを打ち出した時期と重なり、ハイファッションの世界で、グランジを中心としたスタイルが流行した。

 この当時、ストリート誌の編集者だった自分の中では、まだストリートとモードとの間には対立軸のような隔たりがあり、モードの世界で脚光を浴びていたカート・コバーンについて憧れはあったものの、どこか遠目から見ているような気分だった。

 2000年代後半になると、ストリートとモードの垣根を取り払うべく、編集者としてさまざまな企画を打ち出していったのだが、その際、気軽に都合の良いアイコンとしてだけの範疇で、カート・コバーンを扱ってしまっていたような記憶もある。

 軽薄かどうかはさておき、この流れは昨今でも続いているようで、カニエ・ウエスト(Kanye West)やトラビス・スコット(Travis Scott)が、ニルヴァーナのTシャツを着ていたこともあり、90年代当時のヴィンテージものが、信じられないほどのプレ値がつくほど高騰するなど、依然としてカート・コバーンは、ファッションアイコンとして、何度も何度もフューチャーされ続けているのである。

 これにより、カート・コバーンがメディアに露出した多くの場面で身につけていたコンバースのジャックパーセルもことあるごとに注目を集め、ジャックパーセル=カート・コバーン=グランジファッションとなり、現在まで続く定番スニーカーとしての地位を獲得することとなった。

忘れたわけではないのだが

 こと自分に置き換えると、デコラティブな装飾を配した最新のファッションではなく、古く汚らしいものこそが自身の思想を体現しており、自分らしくいられるのだと思っていた。90年代当時の自分は、カート・コバーンが奏でる音楽だけでなく、そのスタイルにも共感し、憧れる部分があったのだ。

 ただ、45歳を過ぎた現在、カート・コバーンの残した表現の捉え方が変化したこともあり、カート・コバーンを想ってジャックパーセルを履くことはほとんどなくなった。あくまで、バドミントン経験者として、〈スマイル〉の〈補強〉に思いを巡らせ、ジャックパーセルを愛用する方が、しっくりくる。

 バドミントンをしていた当時の自分と、今の自分を繋ぐ、といった役割を、ジャックパーセルを通じておこなっていたようにも思う(同窓会などで久々に会った友達と、自分がどのような話し方や態度で接していたのか一瞬わからなくなってしまうこともあるように)。

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VictorySportsNews編集部